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凍てつく雨
まるでこの世の全てを拒絶しているのではないか。そう思わせるほどに冷たい、身体にしみる雨だった。雨粒の一つ一つに無いはずの重さを感じさせるくらいにどこまでも冷たい雨。
雨足は激しくないものの、静々と降りしきる雨は一向に止む気配を見せなかった。

まだ昼だと言うのに空は夜のように暗く、微かなファクター・デバイスだけが辺りを照らしている。まだ九月だと言うのに驚くほど冷たい雨のお陰で街中には人の姿は見受けられない。
そんな薄暗い中で一人の人間が佇んでいた。まだ若い、二十歳前後の女性だった。腰まで届くかという黒髪は雨粒を受けてしっとりと艶を帯びて背中に張り付いている。

全身がずぶ濡れのために着ている衣服は肌に張り付いて、文句の付けようもない完璧な身体のラインを描いている。同性なら思わず羨んでしまうくらい完璧な、黄金比と言ってもいい。
だが女性は未だ佇んだまま、何をする様子もない。傘もさしていないことから、人を待っている訳でもないだろう。第一、待ち合わせをしているのならば、どこかで雨宿りをするはずだ。街中なら雨宿りをする場所など腐るほどある。

女性の月を思わせる黄金の双眸は、目の前に立てられた石碑に向けられていた。数え切れないほどの名と生没年が刻まれていることから慰霊碑だと思われる。その証拠に石碑には慈愛の笑みを浮かべ、手を差し延べる女神アルトナと、『犠牲になった全ての魂たちに安息があらん事を切に願う』と刻まれていた。

この街は十五年前に一度半壊している。原因はディスレストと同じく魔術暴走だと言われているが、結局のところ真相は分からない。闇に葬られたまま。
今は再建され、十五年前の傷跡など見当たらないが、全てが元通りになるはずがない。失った命は戻らない。慰霊碑と言う形で名は残されたものの、記憶は風化して行く。いつの日か人は、犠牲があったことも忘れてしまうのではないか。

「――……」

悲しげな声で誰かの名を呼び、慰霊碑に刻まれた一つの名に触れた。しかし呟いた声は小さく、雨音のせいで聞き取ることが出来ない。だが石碑には彼女が愛すべきもう一人の名はない。名すらないのだ。冷たい石に触れた拳が握られる。

「ごめんなさい。私はもう……貴方の愛した私ではないかもしれない」

女性の白い頬を雨が伝う。涙は出なかった。そんなもの遠の昔に枯れ果てている。止むことなくいつまでも降りしきる雨は、まるで泣くことの出来ない彼女を代弁しているかのようだった。



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あきゅろす。
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