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そのはち
 珍しく最近のリュシアンは苛立っているようだった。いつも通りに見えるのに機嫌が悪い。その笑顔は綺麗なのに背筋が凍るほど。ソールも出来るなら近づきたくなかったが、そんな訳にはいかない。届けられた書類に目を通し、重要度の高いものから処理するのだが、今日のリュシアンはその作業が恐ろしく早いのだ。彼を知らない者が見れば、文句の付け所もないもないのだろう。ソールだからこそ分かる、本当に僅かな変化。
 実際、太陽の光に照らされたリュシアンは美しい。もっとも、それは口を開かない事が前提だが。すると、手を止めず視線も書類に向けたまま、リュシアンが口を開く。

「いつまで油を売っているつもりですか? ただでさえ、ソーは考え事が苦手なのですから、少しは頭を働かせなさい。使わないでいると退化しますよ」

「ご丁寧な忠告どうも。そんなにすぐ退化してたまるかよ。油を売ってるんじゃなくて、お前の様子を見てるんだ。顔に出さないのは良いが、空気で分かる。大方、姫さんのことだろ? シアン、姫さんには弱いからな」

 聖職者さえ真っ青の完璧な笑みを見せられ、一瞬顔が引きつるが負けていられない。この捻くれた、手のかかる親友を励ますために。リュシアンは人の言葉を素直に受け取らない。頭が良いから余計に面倒臭いのだ。色々と理由をつけられたりと。ソールは絶対にリュシアンの前では偽らないのに。
 もっと単純に生きられたのなら楽だろう。しかし、彼の立場がそれを許さない。己が思う通りに突き進んでいるように見えて、リュシアンは様々なものに縛られている。名であり、立場。だからせめてソールにだけは自由でいて欲しい。いつか彼がそう零したことがあった。

「条約について考えているだけです。貴方にだけは言われたくありませんね。私の心配などする必要はありません」

 不可侵条約が結ばれると言っても、事はそう簡単ではない。その内容についても擦り合わせをする必要があるし、双方が納得する形で仕上げるのは難しい。調印式に至るまでも一苦労なのだ。
 やはり機嫌が悪いのか、ソールに向ける言葉も辛辣だ。拒絶とは少し違う。余計なことを考えるな。そう言いたいのだろう。それでも、考えずにはいられない。我慢出来ずに、テーブルに手をついてリュシアンを見下ろす。

「そうは言うけどな。それ、悪い癖だぜ? 何でも出来るのは知ってるけど、たまには頼れよ。そりゃ、頭はシアンみたく良くはないけどさ。聞くくらいなら出来るだろ」

 リュシアンは何でも出来すぎる。だから一人で全てを片付けようとするのだ。確かにソールは彼ほど頭は良くないが、愚痴を聞くことくらいは出来るだろう。親友ならば、彼の苦しみも悲しみも分かち合いたい。かつて彼がソールを救ってくれたように。



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