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約の翼
大悪魔アスタロト
 法都シェイアードが見渡せる小高い丘に二人の男の姿があった。
 ただ、人間と言うには二人とも、少し違う。一人は二十代後半から三十代手前ほどの男。薄紫と紺のオッドアイに銀色の髪は光を反射して煌いている。
 すっとした鼻筋に切れ長の瞳。顔立ちは整っているものの、見るものに冷たさを感じさせる怜悧な美貌である。何と男の左肩からは翼が生えていた。それも鳥のような白い翼ではない。黒き羽毛である。

 そして顔の左側には眉から頬にかけ、刺青に似た黒い紋様が浮き出ており、激しい明滅を繰り返している。それは左腕も同じで二の腕から手首まで及んでおり、妖しく蠢いていた。

「命の使い所、か……」

 今まで一言も喋ろうとはしなかった男がぽつりと呟いた。独り言であったのか、それとも隣の人物に向けたものかどうかは分からない。
 すると隣にいた青年が盛大にため息をついた。恐らく男に分かるようにだろうが、彼が気にした様子はない。

『そうだよ。悪魔のボクが言うのも何だけど、君はもう少し自分の体を省みた方が良いんじゃない』

 自らを悪魔と言った青年は見たところ、十代後半だろうか。絹のような光沢を放つ髪は夜が明ける直前の空のような紫で、長い睫毛に縁取られた瞳はアメジストのようにきらびやかだ。
 顔立ちは男以上に整っており、一種の芸術品と言ってもいい。

 ただ青年には芸術品にはない妖しい色香を含んでいる。なまめかしい、と言っても過言ではないだろう。彼には人を惑わす何かがある。その点では青年は確かに“悪魔"なのだ。
 だがもしこの場にノルンとシグフェルズがいたのなら、厳しい表情を作っていたに違いない。何故なら、青年は彼女たちが目にした悪魔であったからだ。

「本当にな。仮にも大悪魔アスタロトだろう?」

 呆れたように微かに笑う男の顔色は悪い。まるで蝋のようだ。
 大悪魔アスタロトと言えば、魔王ルシファーに従う偉大なる公爵。強大な力を持つ悪魔である。
高位の悪魔はこの世のものではないくらい美しいという。ならば青年が“大悪魔アスタロト”であってもなんらおかしくない。

『あのねえ、ボクの手を患わせないで欲しいだけ。死ぬ時はサクッと死んでよね。それよりさっさと行くよ。力を使ったんだから、忌ま忌ましい天使共に気付かれるのも時間の問題ってさ』

「そうだな。お前には迷惑をかける」

 アスタロトの言葉からは不思議と冷たい印象は受けなかった。例えるなら不甲斐ない兄を叱る弟のようで、その姿はとても残虐で狡猾な悪魔には見えない。
 迷惑を掛ける、という男を呆れた顔で見つめている。

『そうだよ、本当に迷惑なんだから』

 アスタロトの背に広がる六枚の翼。次の瞬間、二人は丘の上から姿を消していた。



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