誓約の翼
かつて傍らにあったもの
何かに呼ばれたような気がしてノルンは振り返る。勿論、後ろには誰もおらず、白い廊下が続いているだけ。
隣を歩いていたラケシスがどうしました、と尋ねる。誤魔化そうにも、上手い言い訳が見つからない。仕方なく、感じたままを彼女に話した。
「……誰かに呼ばれたような気がして」
「誰もいないみたいだし、気のせいかな?」
「……そうね。きっとそう」
ラケシスが言うように、きっと気のせいだ。聞き覚えのある声ではなかったし、現に誰もいない。
半ば無理矢理、自分に言い聞かせて前を向いて歩き出す。何も変わらない。いつもと同じ朝だと。すると、ラケシスがふと尋ねる。
「……そう言えば、ノルンに兄弟はいるんです?」
「……どうして?」
「何となく、お姉さんみたいだったから」
全く自覚はなかったのだが、ラケシスの目には姉のように見えたのだろうか。自分では姉らしいなんて考えたこともなかったが、苦笑めいた笑みが漏れる。
もう会うことはないだろう家族。決して裕福とは言えなかったが、幸せだった。あの日までは普通の家族だったのだ。まさか自分が聖人で、教戒に連れて来られるとは夢にも思わなかった。
「……アストリッド」
「妹さん、なの?」
「いいえ、三歳下の弟。母が絶対この名前にするってきかなかったみたいで。弟は嫌だったらしいけど」
アストリッドは本来なら女性の名前である。この名は弟が生まれる前から決めていた名で、母が譲らなかったのだ。本人はやはりアストリッドと呼ばれるのがあまり好きではないようで、いつも愛称で呼んでいたものだ。
仲は良かった方だろう。ノルンの記憶にあるのはまだ幼い弟だけ。それは弟も同じだろう。成長の早い子供にとって、五年は長い。
「……ごめんなさい」
「どうして謝るの? 別にいいの。どうせ会えないし、会いたいとも思えないから」
顔を伏せ、謝るラケシスに対し、ノルンは首を横に振る。聖人である限り、家族と会うことは出来ないし、会いたいとも思わない。
彼らが自分に向けた視線。それは紛れもなく、自分たちとは違う異質なものを見る瞳だった。
手紙のやり取りは頻繁でなければ可能らしいが、今更書くことなど何もない。むしろ、何を書けというのだろう。彼らにとって、ノルンはもう家族ですらないのだから。
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