誓約の翼
賛歌
ミサが行われるのは午後からで、聖人の儀は更にその後。その際、聖歌を歌うのは、ノルン達見習いの聖職者である。
今日ばかりは普通の聖職者も悪魔祓いも関係ない。半月ほど前から練習が行われていたが、最終の確認が行われるのは朝。つまり今だった。
向かう先は大聖堂ではなく、夏に洗礼の儀が行われた東塔。ミサで歌う聖歌にも種類があり、入祭唱(イントロイトゥス)から始まり、キリエと続き、クレド、サンクトゥスと実に多様だ。
東塔に向かう途中、ノルンはラケシスの表情が暗いことに気づく。
「……ラケシス?」
「ラケシスは聖歌が苦手だからな」
「そうなの?」
歩きながらため息をつくクロトに、ノルンとシグフェルズは首を傾げる。今まで何度も一緒に練習したが、彼女の口からは一度として聞いたことがなかった。ノルンもそれほど好きではないが、嫌いでもない。聖職者であれば、聖歌を歌う機会は多いし、見習いならば尚の事多い。
決して音痴では無かった気がするのだが、何かあるのだろうか。
「上手く感情を乗せられないっていうか……」
ミサは一般的に、キリエ(哀れみの賛歌)、グローリア(栄光の賛歌)、クレド(信仰告白)、サンクトゥス(感謝の賛歌)、アニュスデイ(平和の賛歌)の五曲で構成される。
グローリアのみ、四旬節や待降節のミサやレクイエムでは省略されるが、賛歌は文字通り賛美するための歌。それを上手く歌えないというのは、聖職者としてあまり宜しくない。
「とてもそうは見えなかったけど……」
「ラケシスの場合、上手く歌おうとし過ぎてるんだろう」
不思議そうな顔をするシグフェルズに、クロトが苦笑する。賛歌はあくまで賛歌。何も『上手く』歌う必要はない。気持ちは分からないでもないが、彼女は気にし過ぎているのだ。
下手でも上手でも、構わないとクロトは思う。女神に全てを捧げている訳ではないが、この世界を創造した女神はアルトナただ一柱。
「私は好きだけど。ラケシスの歌」
「そ、そう? ありがとう。気負い過ぎなのかな?」
「だからそう言っている」
好きだとノルンが笑えば、ラケシスは何とも言えない表情をしている。嬉しそうではあるが、遠慮をしているような感じだろうか。
そんな幼なじみに、クロトは小さくため息をついた。
ノルンはラケシスの歌が好きだ。自分はとても彼女のように歌うことは出来ないだろう。聖職者ではあるが、女神を崇拝している訳ではない。
「でも僕はノルンの歌が好きだけど?」
「……はい?」
思わず微笑み返してしまいそうな、太陽を思わせる笑みを浮かべるシグフェルズ。そこにはかつて、彼が抱えていた影は見当たらない。あまりにさらりと言われ、ノルンは呆けたように彼を見返した。
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