誓約の翼 辛い記憶 「兄さんの異変にいち早く気付いた父さんは僕を庇って……僕の代わりに斬られた。兄さんは動かなくなった父さんをまるで汚いものでも見るように退けると僕に……」 話し始めてしまえばもう、自分の意思では止められなかった。言葉が堰を切ったように溢れて来る。 シグフェルズは無意識に自分の腕を掴み、かき抱くように震えていた。見間違いではない。あの時、兄の背中には確かに堕ちた天使の証である漆黒の翼があった。 全身に父と母の返り血を浴びても尚、兄は笑っていたのだ。まるで夢を見ているように。 兄の目は異常であったとしかいいようがない。人を惑わせる色香を含んだ赤紫の瞳に映っていたのは“父”と“母”ではなかったのだ。 人間という取るに足らない存在。そしてシグフェルズを視界に捉えた兄は、血のように赤い唇を歪ませた。 「シグ、愛しい弟、か……ふふふふ、あはははは!」 狂ってる。そう思った。あれは優しかった、自分の自慢であった兄ではない。人の姿をした悪魔だと。 そう思わなければとても正気ではいられなかったのだ。 「もういい。もういいから……」 これ以上、見ていられなかった。ノルンは有無を言わさず、シグフェルズを横にしてブランケットを被せた。そうすることでしか彼を止められなかったから。 ノルンにはシグフェルズの気持ちは分からない。けど想像することは出来る。 でも何故彼は、思い出すことさえ辛い記憶をノルンに語ったのだろう。だって自分とシグフェルズはただの他人なのに。 「ごめん……」 「……どうして謝るの? シグは何も悪くない」 何を謝ることがあるというのだろう。 思い出すことも辛い記憶を他人に話すだけでも勇気がいる。 ノルンとて自分が教戒に保護された経緯など話したくもない。 「そうだね。でも、ごめん」 「馬鹿。辛い時くらい笑わなくてもいいじゃない」 するとシグフェルズは困ったように笑った。謝らなくていいのに。ノルンは胸辺りまであるブランケットを引っ張り、顔まで被せた。 ノルンは嬉しい時ですら笑えなかった。笑い方を知らなかった。 それなのにシグフェルズはいつも笑っていた。辛い時でさえ無理をして。 「うん……ごめん」 「だから謝らなくていい」 一体何回謝るつもりなのだろう。だけどシグフェルズらしいとノルンは思う。 少年の顔にブランケットを被せたまま、ノルンはシグフェルズに気付かれないように小さく笑った。 [*前へ][次へ#] [戻る] |