誓約の翼
三年前の悪夢
久々の休日と言うこともあり、シグフェルズと同室の人間はまだ帰って来てはいなかった。
他人と関わりたくないノルンと、傷を知られたくないシグフェルズには好都合である。
自分でするからと言い張るシグフェルズを黙らせて、ノルンは塗らしたタオルで傷口を綺麗に拭き、新しい包帯を巻きつける。
巻いたばかりの包帯は血を吸って紅く染まっていた。
有無を言わさず服を着替えさせ、シグフェルズをベッドに寝かせる。
ノルンは傍にあった椅子を引き寄せて腰を下ろした。
「大丈夫だって言ってるのに……」
不満そうに呟くシグフェルズを睨み付ければ、ぱっと視線を逸らされる。
慣れているのか知らないが、見ている方の身にもなったもらいたいものだ。
そう考え、ノルンは彼を心配していた自分に気付いて微妙な顔になる。
「どうかした?」
「別に、何でもない。少し眠ったほうがいいんじゃない?」
絶対にそんな事はない。心配なんてしていない。
ただ目の前で倒れられるのは勘弁してもらいたいだけだと言い聞かせて平静を保った。
シグフェルズはそんなノルンの変化には気づいていないようだ。
「そう言われても直ぐに眠くはならないよ」
「じゃあ、何か話しましょう」
そうは言ったものの、何を話せばいいか分からなかった。
人付き合いとは無縁だったせいであるが、せめて言う前に考えればよかったと思う。
だが言ってしまったことは仕方ない。
ノルンが黙っていると、シグフェルズが口を開いた。
「……僕の話を聞いてくれる?」
「ええ」
窓を眺めている彼の顔はノルンから見えない。
ただシグフェルズが出した声が僅かに震えていることにノルンは気付いていた。
だからせめて自分くらいはそれに気付いていないように何でもなく振舞う。
「……三年前の僕は間違いなく『幸せ』だった。優しい両親と自慢の兄、何の不満もなかった。それなのにあの日、酷い雨の日だった。……ずぶ濡れで帰ってきた兄さんを心配して母さんがタオルを持って駆け寄った次の瞬間、兄さんは持っていた剣を……母さんに振り下ろしたんだ」
三年前のこととはいえ、全てを口に出す事は躊躇われた。
こうやって話しているだけでありありと思い出せる。忘れたことなんて一日もなかった。
幸せであることが当たり前だった。
優しい両親と自慢の兄、ずっとこの幸せが続くんだと何の疑いもなく信じていた毎日。
それは三年前のあの日、無残に打ち砕かれる。
激しい雨の日、いつものように母は夕飯の仕度をして、シグフェルズと父も台所で雑談をしながら兄の帰りを待ち侘びていた。
ドアが開く音と激しい雨音に兄が帰宅したことを知った母は、タオルを手にして玄関に急ぐ。
シグフェルズも同じように少し遅れて母の後に続いた。
だが次の瞬間、シグフェルズの目の前で、兄は持っていた剣を母に振り下ろしたのである。剣が肉を裂く嫌な音が届き、赤い、赤い花が咲いた。
その時の兄の表情を、シグフェルズは忘れる事が出来ない。忘れられない。血に濡れた剣を持って妖艶に微笑んでいた兄を。母と同じはずの榛(はしばみ)色の瞳ではなく、妖しい赤紫の瞳で兄は笑っていた。優美に、そして妖しく。
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