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約の翼
堕天使
 悪魔を縛めている鎖に僅かな亀裂が入った。あり得ない。
 だが即座に否定する。現実を見なければ。ノルンは焦らず、鎖を維持することだけに全神経を集中させる。それでもこのままでは砕けるのも時間の問題だ。

「堕天使、上級悪魔……」

 ノルンの顔には焦燥が刻まれていた。女は間違いなく悪魔の中でも高位に属するものだ。でなければこの鎖に抗えるはずがない。
 レージング・レイは悪魔や堕天使といった魔の存在を拘束する術であり、ましてや聖人の力を込めた鎖に亀裂を入れるなど、下級や中級と言った悪魔では不可能である。
 しかも苦痛に顔を歪めることさえしない。それどころか笑っているのだ。艶やかに、それでいて優雅に。

「ふふふ……そうだよ。ボクもさ、まだ君たちと遊んでたいけど、早く戻れってうるさいしさ。だから残念だけど時間切れだね」

 すると突然、女の体が不自然に歪んだ。次に視界に入ったのは女ではなく青年。
 年の頃は二十歳前後と言ったところだろうか。息を呑むほどに美しい青年だった。

 美しいと言う言葉でさえ陳腐に思える所か、どんな賛辞でさえ青年を表現するには至らない。
 さらりと流れる紫の髪に、長い睫毛に縁取られた蠱惑的な瞳は、大粒のアメジストを思わせる。紅も引いていないと言うのに、形の良い唇はいやに赤い。笑みの形に歪められたそれは禍々しいほど艶やかだった。

 悪魔、それも上級に属する悪魔はまるでこの世のものではないような美しさを持つとされていた。
 それを考えれば、この悪魔は間違いなく上級であろう。もし彼が纏う翼が白であったなら、正に神の意志を伝える天の使いであったに違いない。

 しかし女神に仇なした背徳の証である黒の翼を持つ彼の美しさは毒を含んでいる。艶やかな薔薇に棘があるように、青年の美しさは禍々しいとしか表現出来なかった。その時だ。それまで一部にしかなかった亀裂が鎖全体に走ったのは。

『砕ける……!?』

 青年はまるで蛹が羽化するように緩やかに両翼を広げる。刹那、甲高い音を立てて光の鎖が四散した。彼を縛めるものはもう何もない。ふわり、と爪先から青年の体が宙に浮く。

「それじゃあ、サヨウナラ。結構楽しかったよ、悪魔祓いサン。今日は見逃してあげるけど、縁があればまた会う時があるかもね」

「待て!」

 ノルンが聖気を込めたバクルスを投擲するが、するりと青年をすり抜け壁に突き刺さる。次の瞬間、悪魔の姿は二人の目の前から忽然と消えていた。



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あきゅろす。
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