誓約の翼
微妙な距離
ノルンは滅多に見ることのない姿見の前に立っていた。いくら休日と言えど、聖職者は聖衣を身に付けなければならないため、今日も変わり映えのしない黒の聖衣である。
せめて髪くらいはいつもより丁寧に梳かしたのだが、どこかおかしい所はないかと気が休まらない。少し前の彼女なら考えられない変化だった。
『馬鹿、みたいね』
そう、忘れてはならない。世界は優しいだけではないことを。完全に信用した訳ではないが、シグフェルズとハロルドは少なくても信頼に値する人物……だと思う。
それでも他人が自分にした仕打ちは変わらない。
結局、ノルンは人を信じるのが怖いのだ。信じれば裏切られるかもしれない。信頼が深けば深いほど、突き放されるのが怖い。
裏切られるのが嫌なら人と関わらなければいいのだ。
でもそれを心の中で躊躇う自分がいる。ノルンには自分が分からなかった。
その時、控えめなノックの音が聞こえた。同室の者も出掛けているから訪問者は分かっている。時間は約束の丁度五分前だ。
ノルンは最後にもう一度姿見を一瞥すると、はい、と短く返事をして扉を開けた。
「ちょっと早かったかな?」
開けた扉から部屋の中の時計を見比べ、はにかむシグフェルズの姿があった。
ノルン同様、黒の聖衣を纏い、首からバクルスでもある銀の十字架を下げている。柔らかい琥珀色の髪に温かみのある紅茶色の瞳。
容姿だけを見れば自分よりよほど聖人らしいと思う。光を受けてきらきら輝く髪も、優しさを帯びた穏やかな瞳も。だがそんな仮定の話に意味はないし、シグフェルズも望まない。
「そんなことない」
己の中に渦巻く様々な思いを振り払い、ノルンは答えた。
外出届けは既に提出しているため、後は街に出るだけだ。ノルンの胸元にもシグフェルズと同じように十字架に変えたバクルスが下げられている。
いくら休日でシェイアードの街中と言っても、悪魔祓いの命と言えるバクルスは手放せない。必要なくとも持っていなければ不安だということも勿論あるのだが。
「行こうか」
「そうね」
部屋を出て鍵をかける。鍵がちゃんと閉まったことを確認すると鍵を仕舞い、シグフェルズに並んで歩き出す。二人の距離は正につかず離れず、微妙なものだったが、今のノルンにしては上出来だった。
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