誓約の翼
感情の乱れ
お互いの間に会話はなかった。
ただ二人の息遣いだけが部屋に響く。もう一度深く息を吸ってノルンは身を起こした。思った以上に汗をかいていたらしく、首筋を一筋の汗が伝う。
シグフェルズの方を見れば、彼もまたノルンを見つめている。髪に隠れて表情は見えない。沈黙はどれほどの時間だったのだろう。シグフェルズはぽつりと呟いた。
「……どうして?」
「え?」
その声は小さすぎて聞き取れず、ノルンは思わず問い返す。
起き上がったシグフェルズの顔がよく見えた。それはノルンが初めて彼を見た時に感じたどこか思い詰めた影のある表情。この少年に最も似合わぬ顔だった。
「……何故、君はその力を活かそうとしないんだ!? 僕がいくら望んでも手に入らなかった力を持ちながら!」
ノルンは体の芯が冷めていくような感覚に捕らわれた。冷ややかな視線をシグフェルズに投げ掛ける。
何も知らないくせに。力を活かす? 何に活かせばいいのだ? そんなの知ったことではない。私はこんな忌まわしい力なんて要らなかったのに。
「……お前に何が分かる!? 私には選択の自由すらなかったのに!!」
ノルンは吐き捨てると、シグフェルズを鋭く睨み付けた。他人に自分のことを理解して貰おうとは思わない。
だが何も知らないくせに好き勝手言われることだけは我慢ならなかった。
お前に何が分かる? 何一つ自分で選択出来なかった者の思いなど分かるものか。
もうシグフェルズの顔を見るのさえ耐えられない。
ノルンはそれ以上、何も語ることなく、早足で部屋を出る。シグフェルズの耳には彼女が遠ざかって行く靴音だけが聞こえていた。
苛々はいつまで経っても納まらず、ノルンは人知れずため息をついた。夕食を済ましても、入浴を済ましても中々消えることがない怒り。
逆に言えば、ここまで感情を乱されたのも久しぶりだった。相部屋であるため、自室に戻る気分にもならず、ノルンは回廊を歩いていた。
吹き抜ける夜風が冷たくて心地よい。ふと視線を前方に向けると、回廊の手摺りに腰掛けるハロルドの姿があった。
「ハロルド……」
どうしてここに、と言う一言を飲み込んだ。
ただの偶然かそれとも意図したことか。声で気付いた訳でもないだろうが、振り向いたハロルドはノルンの心を見透かしたかのような言葉を口にした。
「そんな顔してると、綺麗な顔が台なしだよ、ノルンちゃん。大方シグと喧嘩でもした?」
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