金の満月が昇る時
自分が知らない彼
「この水は世界の海を回って全てを見て来てるんですね。この海を通じて世界中が繋がっている……」
エステルは水面を見つめながら、感慨深げに呟く。
この水は自分が知らないものを沢山見てきたのだろう。胸に手を当て、忘れないようにしっかりと今の光景を目に焼き付ける。
とても素晴らしいことのように思えたのだ。自分がまだ世間知らずで、箱庭の世界しか知らないことを理解していた。だからこそ、水が羨ましかったのだ。
「また大袈裟な。たかだか水溜まりの一つで」
「リタも結構、感激してたくせに」
リタは思わず、手を上げて叩こうとする。カロルは慌てて両手で頭を抑えたが、いつまで立っても衝撃はやってこなかった。
カロルが顔を上げるとリタは何事もなかったかのように腕を組んでいる。それまで海を見つめていたユーリが一言。
「これがあいつの見てる世界か」
騎士の任務でフレンは各地を旅し、様々なものをその目で見て来たのだろう。親友が見ている世界は広くて、自分とフレンの道が分かたれたあの時から、どれほど離されてしまったのか。
エリシアはユーリを見て首を傾げる。さっきからユーリらしくない。そこまで考えて、おかしなことに気づいた。ユーリらしい、とは何なのだろう。そこまで深く知っている訳じゃないのに。そう思うと胸の奥がちくりと痛んだ気がした。
「もっと前に、フレンはこの景色を見たんだろうな。追いついて来いなんて、簡単に言ってくれるぜ」
エリシアの想いなど露知らず、ユーリは未だ紫掛かった黒瞳を海に向けている。
本当にあの親友はたちが悪いが、実に彼らしいと思う。何が追いついて来い、だ。ユーリと彼が見ていた景色はあまりにも違う。いや、だからこそ、やる気が出てくるというものだが。
「エフミドの丘を抜ければ、ノール港はもうすぐだよ。追い付けるって」
「そういう意味じゃねえよ」
フレンが言った『追いついて来い』とは、カロルが言うような意味ではない。
上等だ、とユーリは思う。どこか楽しそうな表情に変わった彼を見て、気付けば笑っていた。別に良いではないか。知らないのなら、これから知ればいい。今はまだ分からない。
けれど旅を続ければ、この答えが出るかもしれないのだ。
「さあて、ルブランが出てこないうちに行くぞ。海はまたいくらでも見られる。旅なんていくらでも出来るさ。その気になりゃな。今だってその結果だろ?」
「……そうですね」
名残惜しげに海を見つめるエステルに、ユーリが声をかける。しつこい彼らのことだ。追いついて来ないとも限らない。気持ちは分かるが、あまり長い間、ここにいることは出来なかった。それに、海など旅をしていればいつでも目にすることは出来る。
頷いたエステルが何を思ったのか、彼女の表情からは窺い知ることは出来ない。
ほら先に行っちゃうよ、とカロルが真っ先に走り出すが、
「慌ててると崖から落ちるぞ」
「いや、まさかそんなはずないでしょ……」
カロルもそこまでドジではないはず。
しかし、ユーリの予言通りに足を滑らせたカロルが、うわあああっ! との叫び声を上げた。間一髪、落ちることはなかったが、それを見ていたリタが頭に右手を当て、はあっ、と息を吐き出す。
「バカっぽい……」
「それがカロルの良さなんじゃないの?」
「そうかぁ?」
「そ、そうですよ!」
それがカロルの良さだと笑うエリシアに、首を傾げるユーリ、勢い良く叫ぶエステル。まさか背後でそんな会話が交わされているとは知らない少年は、ちょっと、何してんの!? とこちらを振り向く。
走り出したカロルと、彼の後に続くユーリとエステル、そしてリタが一斉にこちらを向いた。彼女の視線の先には小さな石。海が見渡せる丘の上に作られた墓標だった。
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