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君に届く歌
司教石歌
 何も見えない、感じない。
 ヴァイスファイトはそんな場所にいた。天と地の境さえ分からず、感覚もないため、自分が立っているのかすら分からない。正に“無”。
 歪んでしまったこの魂はアルカディアに生きる全ての魂たちが帰る場所――輪廻の輪に戻ることは出来ない。

 つまり“此処”は那由多(なゆた)の果てなのだろうか。それすらもヴァイスファイトには分からない。何も。もう考えなくてもいいのだ。後はただ消えるだけ。ゆっくりと瞳を閉じたその時、

『ヴァイス、ヴァイスファイト』

 誰かがヴァイスファイトの名を呼んだ。自分以外誰もいないはずなのに、その声は確かに届いた。耳ではなく、ヴァイスファイトの魂に。
 ぼんやりと浮かび上がった青光の球体。光が弾ける。
 恐る恐る瞼を上げた彼は言葉を失った。目の前に佇む人物には見覚えがありすぎたから。闇の中でも光を放つ髪は、海とも空とも違う不思議な色合いで、宝石よりも美しい瞳は夕暮れを写し取ったかのよう。

 肌は陶磁器のように白く滑らかで、染みすら見つけられない。中性的で整った顔立ちは男にも女にも見えるが、“彼”が男であることはヴァイスファイトも知っている。何故なら、彼は、

「ルカ・エアハート……」

 佇む少年は、声を聞く者(ドラグナー)であり、始竜たちの希望――ルカ・エアハートだった。
 しかし生命力溢れ、きらきらと輝く瞳が今は湖面の様な穏やかさを湛えている。顔の造形は確かにルカと同じであるはずなのに、随分と大人びて見えた。まるでルカ、という姿形を誰かが借りているようで。
 戸惑うヴァイスファイトに少年は言う。

『私は神と呼ばれし存在。かつてお前達の元となった始竜たちを生み出した者。今はお前と話すためにこの少年の姿を借りているだけだ』

「神……」

 ルカの姿、声をした少年は自らを神と名乗り、一時的に彼の姿を借りているという。にわかには信じられないが、ヴァイスファイトは少年の言葉を否定することも出来なかった。
 初代から受け継ぐ記憶の中にも創造主に関するものは殆ど無い。だから彼が本当に『神』なのかどうかは分からない。なのに何故か懐かしさが込み上げて来る。
 母を前にしているかのように。

「ここは闇なのか?」

『闇とは少し違う。ここはお前の魂の内』

「魂の内? 何故?」

 彼が言うように、ここがヴァイスファイトの魂の内ならば、何故少年は自分に語りかけてきたのだろう。この魂はもはや輪廻の輪に還ることも出来ないというのに。
 今更、話をしたところで何かが変わる訳ではない。『ヴァイスファイト』が犯した罪は重い。多くの竜を屠り、蒼穹の眷属まで手に掛けた。後悔はしていなかったが、決して許されてはならないのだ。

『私はお前を導くために来た。ヴァイスファイト、お前が帰るべき場所は別にある』

「帰るべき場所などあるはずがない。後はただ消え去るのみ」

 歪んだ魂に還る場所など無い。この魂は朽ちて消え逝くことだろう。それが罪を犯した自分に対する罰であるはず。悲しいとも恐いとも感じなかった。当然の報いだ。一瞬だけ炎の色が脳裏を掠めたが、気づかないふりをする。彼に背を向けても構わなかった。それで彼を救えるのなら。
 自らに言い聞かせるよう呟くヴァイスファイトに、少年は静かに首を横に振った。

『暁闇の名を与えし愛し子。お前が全てを背負うことはない。誰よりも人に近しき子よ、帰るがいい。お前がいるべき場所へ、お前を待つ者のところへ。案ずることはない。あの者の魂も輪廻の輪へと還った。今は深い眠りについていることだろう。さあ、お帰り、ヴァイス』

 慈愛の笑みを浮かべて少年は言った。本当に許されていいのだろうか。罪を犯したというのに。
 ヴァイスファイトの迷いを察したのだろう。彼は『ルカ』を思わせる太陽のような笑みを作った。
 あの者、とはヴァイスファイトが肉体を借り受けていた青年のことに違いない。消える直前、彼は地獄でも何でも付き合うといってくれた。
 だが彼もまた許されたのだ。愛おしげに名を呼ばれ、意識が遠くなっていく。やがて視界を白い闇が満たした。


 ヴァーミリオン=フレイア=フィーニクスは、銀の宝石が瞬く夜空を眺めていた。いつの間にか日課となった天体観測。黒色の宝石箱には色とりどりの宝石が散りばめられている。銀や赤、青。その中で一際強い光を放つのは、やはり金の女王だろう。夜を司る彼女は夜神ノティスの化身と伝えられていた。
 毎日眺めても飽きることはない。彼らが見せる顔は日によって驚くほど違う。

 この星々はアルカディアの全てを見守り、またこれからもずっと見守り続けるのだろう。何十年後も、何百年後も。リオンが世界に還ってからも。
 視線を空から屋根の上へと移す。そろそろ小さな友人がやってくる頃だろう。優しい風に身を委ねながら髪を掻き上げた。
 リオンの耳がぴくりと動く。耳に入ったのは待ちわびた友人の足音。そしてにゃあ、と小さな鳴き声が聞こえた。リオンは満面の笑みで親友を迎えると、小さな存在を腕の中に包み込んだ。

「いらっしゃい、ヴィオ」



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あきゅろす。
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