君に届く歌 朱い空 微かに歌声が聞こえた気がした。或は気のせいかもしれないし、他の者なら空耳だと片付けるだろう。だがイクセは確信していた。あれは歌声だと。 そう思った時、目を開ける。ベッドから身を起こし、ふと視線を窓の外に目を向ければ、東の空が朱くなり始めている。夜明けが近いのだ。 やはり聞こえる。微かだがイクセの耳は確かに声を捉えていた。 「嗚呼、灰色となったこの街で、この最果ての地で私は一人、歌い続ける。どうか私に約束を下さい。愛しい人を待ち続けられるように。例え記憶の墓標が崩れ落ちても、ただ一人歌い続けよう。この身体、朽ちて灰になろうとも、この魂、消えて塵になろうとも想いだけを貴方に――」 間違えようもない、ルカの声だ。上着を羽織って部屋を出る。 宿屋から少し離れた一本の木の上でルカが歌っていた。肩の上にはアルの姿もある。 その時、イクセの気配を察したルカが、歌を止めて振り返った。少年は眩しい笑顔をこちらに向ける。 「イクセ」 「悪ぃ、邪魔したか?」 ルカの歌声は不思議と心地よくて、最後から聞けなかったことが残念だと思ってしまう。 アルストロメリアのギルドでも思ったのだが、彼は魔奏士として随分優秀らしい。竜であるアルに教えを受けたのだから、当たり前かもしれない。それでもこの歌声は本当に美しい。ルカの才能なのだろう。 そんなイクセの心情を察したらしいアルが口を開いた。 『ルカ、歌を続けてくれないか? イクセルも聞きたいようだぞ』 顔までは見えないが、ルカがくすりと笑った気がした。 イクセは座り込み、太い木の幹に背中を預けた。優しく、哀しい旋律がイクセとアルの耳朶を震わせる。 ルカの歌を聞いていると何故か故郷を思い出した全てを捨てた自分には、故郷とは名ばかりの街ではあるが。色を無くした故郷はイクセにとって灰色の街なのかもしれない。 静かに目を閉じれば、ありありと蘇る記憶。両親の最後の姿。何故共に生きてくれなかったのか。瞼を上げれば東の空は、血のように朱い朱い色をしていた。 イクセはこの色が嫌いだった。 だが今は素直に綺麗だと思える。この哀しくも心を打つ旋律のお陰で。 『どうした、そんな顔をして』 翼を羽ばたかせ、アルはルカの肩からイクセの頭に移動する。あれほど頭には乗るなと言っているのに、彼には関係ないらしい。どうせ注意しても無駄だ。 そしてやはり、彼は人の感情に敏い。流石は始まりの時より生きる竜。伊達に長い時を生きている訳ではないのだろう。 ただ、どう答えればいいものか。アルは同情もしないし、恐らくはイクセの話を聞いてくれるはずだ。 「……別に。昔を思い出しただけだ。大して面白くない昔話さ」 『イクセル、お前は他人に対して無意識に壁を作るだろう? ルカは例外のようだが』 「そう、かもな。そうなんだろうな」 アルの月色の瞳がイクセに向けられている。困ったように笑ってアルの頭を撫でた。彼は嫌そうに身をよじっていたが、本当に嫌な訳ではないのだろう。それならば文句の一つでも言って、さっさと離れている。 アーヴィンにも一度言われたことがあった。 イクセ自身は勿論、意識したことはない。それでもアルやアーヴィンが言うのなら、そうなのだろう。 他人と深く関わることを避けている。間違いなく、両親が原因だ。 『……ひとつだけ。心の傷は時間で癒えるものではない。己自身が乗り越えなければ、それはいつまでも傷として残り、自身を苛むだろう。誰もがあの子のように強くはない。けれど、強くあろうとすることは出来る』 「強くあろうとする、か」 目を閉じ、優しい旋律に身を委ねる。ルカの歌はまだ続いていた。 確かにそうなのだろう。時間が心の傷を癒してくれるとは限らない。己自身が向き合い、乗り越えなければいつまでも傷として残ったまま。 ルカは強い。強くて真っ直ぐだ。まだ十五歳だというのに。 イクセはもう一度、今度は乱暴にアルの頭を撫で、ありがとう、と呟いた。 [戻る] |