アルカディア
抗うだけの力さえ
ヴァイスファイトが表に出てこないのは、何か考えがあってのことか、それとも彼の好きにさせているだけなのか。ヴァイスファイトが何かを考えていたとしても、今のルーアには関係ない。
自分は始竜ではないため、彼の興味を引く対象ではないだけなのかもしれないが。
『氷葬陣』
ルーアは襲い来る風の刃を相殺し、息を付く暇もなく喪歌を唱える。
刹那、周囲の温度が急激に下がり、植物や大気までもが凍りつく。それは喪歌、ではなく遥かなる時に埋もれし古代歌だ。
本来なら、マスターたるルカの力を借りずに行使できるものではない。
だがこのままではジリ貧なのだ。ルーアの方が先に息切れするのは目に見えている。
「死ぬ気か?」
「さあね」
死ぬ気かと笑う青年に、ルーアはどうにか笑みを浮かべながらはぐらかす。
ぱき、ぱきと音を立て、青年の足が凍りついて行く。無情にも全てを凍てつかせ、封じる氷姫。遍く氷界を司る冷たき姫は、己以外の存在を許さない。吹き荒れる雪風は正に彼女の吐息のよう。
だが有利であるはずのルーアの顔は真っ青で、肩で息をしている有様だった。どの道、もう限界だ。
『燃えろ、緋炎燐』
青年の体が凍りつくと同時に氷がとけて行く。
魔力と魔力のぶつかり合い、純粋な力比べ。ルーアは確実に押し負けるだろう。
しかしそんなこと、言われるまでもなく分かっている。ルーアは地面を蹴り、青年の腕を掴んだ。
黒に近い紫の瞳が驚愕に見開かれる。ヴァイスファイトに奪われた夢幻の真名を取り戻すには、精神に潜らねばならない。
ドラグナーだけでなく、マスターと精神接続を行うルーアもまた適任だったのだ。ルーアの力を持ってすれば精神接続は一瞬。
見えた。『 』。それが夢幻の名。
だがその一瞬で青年を戒めていた氷が砕け散り、ルーアの肌を裂く。青年が生み出した緋色の炎が少年を飲み込まんと顎を開けた。
『絶対……氷結』
ルーアは必死に喪歌を紡ぐ。地面から隆起した氷柱が炎を消し去ったかと思うと、きん、と空気が裂く音がした。直後、激しい爆風が生まれる。ルーアの喪歌と青年の歌の力がほぼ同等だったために起こった現象だ。
膨れ上がった力がルーアの中で荒れ狂う。気を抜けば自分の力に飲み込まれそうだ。正気を保つために、肌に爪を立てる。痛みで意識を繋ぎ止めておかなければ、立っていることさえ出来なかった。
満身創痍といった様子のルーアを見て、青年が嗤った。イクセと同じ顔で。
『血塗れの刃は我が手中。四散せしは幾千の叫びにして幾万の嘆き。世界を埋める幾億の慟哭。白は緋へと染まり、真紅の涙が流れ行く。遥かな詩は世界より途絶(き)え、世界は滅びに満たされる。昏き破滅を知るならば、今反逆の証を立てよ――』
人が生み出した竜殺しの魔歌。まともに受ければルーアの命はない。
しかし、彼にはもう抗うだけの力さえ残されていなかった。震える唇でどうにか喪歌を紡ぐが、声にならない。
『滅竜歌』
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