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ルカディア
ある麗らかな日
 誰かが歌を歌っていた。優しく温かさに満ちた子守歌を。
静かに奏でられる穏やかな旋律はどこか懐かしく、忘れていた何かを思い出させてくれる。
 緩やかに波打つ青い髪をかき上げながら女性が笑っていた。慈しむように、愛おしむように。だが彼女の顔は霞掛かったようにはっきりしない。

『大丈夫よ。眠るまで側に居るわ』

 もはや顔すら思い出せぬとしたら母は怒るだろうか。



 燦然と輝く太陽に見渡す限りの青い海。海から吹き付ける風は、潮を孕んで独特な香りを運んで来る。天気は雲一つない快晴。夜が明ける前の深い青のような髪を持つ少年は黒く艶掛かった深紅の瞳を、自分の肩の上で寛ぐ存在に向けた。

「アル、もしかして寝てない?」

 少年の肩に乗るのは皮膜の翼に煌めく白銀の鱗を持つ――竜。彼は猫のような縦長の瞳孔、黄金色の瞳を細める。

『私は寝てない。あまりに退屈だっただけだ』

「それ寝てたでしょうが。いくら俺の肩の上が楽だからって寝ないで欲しいんだけど」

 中性的な顔立ちの少年――ルカ・エアハートは半眼で睨んだ後、呆れるように肩を竦めて見せた。
 今彼等が居る場所は海上都市と呼ばれるエランディアの一角、薄紫の花が咲き乱れるあまり地元の者も近寄らない場所である。
 遠目にはエランディアの本島が見え、ルカの頭上をカモメの親子が優雅に通り過ぎた。今日も平和である。

『仕方ない。それが自然の摂理だ』

 銀色の竜――アルトゥールは片目を瞑ると翼を閉じ、くるりと体を丸めた。確かにこの気候では眠たくはなるかもしれない。
 何故、二人? がこんな場所に居るのかと言うとこの薄紫色の花、ラベンダーである。防虫や精神安定、はたまた食用まで様々な用途があり、需要は高い。
 ルカは香りを楽しみながらラベンダーを摘み、持ってきた篭に入れた。その間に転寝をしていたアルトゥールを突いてみる。

『む、終わったのか?』

 彼が目を開けると同時に、本島の一番高い所に築かれた時計搭から正午を告げる鐘の音が響いて来る。
すっかり時間の感覚を失っていたルカは、今更ながら自分が空腹であることに気付いた。

「うん。ラベンダーもこれくらいあれば十分だし、帰ろうか」

『承知した』

 ルカの肩から下りたアルトゥールは天に向かって短く吠える。次の瞬間、彼の眼前に見上げる程の高さの竜が居た。太陽の光に煌めき、不思議な光沢を放つ銀色の竜、これがアルトゥールの本来の姿。
 ルカも何故彼が普段、小さな姿で居るのか知らない。理由はひとえにアルトゥールが彼の側に居たいだけなのだが、ルカがそれを知る筈もなく。
 アルトゥールは背にルカを乗せると翼を羽ばたかせ、悠然と蒼穹に舞い上がった。



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