犬馬の心
2
蘭said→
僕に面会だなんて可能性はゼロにないにしろ、思い当たる人物がいない。
誰かな、と少し簡単に考えていた。
だから面会しつに通され、応接用のソファーに座る人物を見て動けなくなった。
「リカぁ、早く帰ろうぜ」
「まぁだ。今帰ったら折角来た意味がないでしょ」
な…なんでここに……。
「お、来た来た。ひさしぶりィ。おせぇよ」
久しぶりに見た彼は意図的に肌を焼いているのか小麦色だった。
そしてブリーチしすぎの痛んだ髪。自分の記憶の中の彼のまだ高校生になったばかりだったという事もあって外見はもう少し大人しいものだった気がする。
……中身は変わってないみたい。相変わらずの下衆野郎さが滲み出ていた。
「……何で…ここが分かったの…?」
「あの人の家、売ったから」
「…!?」
男の隣に座っていた女が僕を睨みつけながら抑揚のない声でそういう。
「処分するときににさぁ、色々書類が出てきたのよねぇ」
鞄からなにやら権利がどうたらと書かれた、見るからに難しい書類を取り出し、机の上に雑に放った。僕はそれを手に取ることはなく、目をそらす。
「おかしいなって思ってたのよ。あのじいさんの遺産がアレっぽっちしかアタシに来ないなんて。それにあんただって施設にいるって言われたのにどこ探しても居ないし」
「……」
探したんだ。
なんで?なんて聞かなくてもわかるけど。
「持ってるもの全部出してもらうから」
「…貴女と僕はもうなんの関係もない」
「あるわよ。絶対に消せないんだから。アンタだって分かるでしょ?」
その顔、アタシにそっくり。と続けた。
「…ッ…」
握りこんだ拳が白く滲む。奥歯を噛み締めて叫びたい衝動を堪えた。
「アタシにも権利はあるはずよ」
難しい事は良くわからなかった。確かに、遺言書はきちっと定められた決まりを全て守って書いてあり、法的にも完璧なものだ。
しかし、肉親、特に子供が一人であれば、何かしら遺言書とは関係なく、何割かもらえるとあの時お世話になった弁護士に聞いた覚えがある。
当時は提示された目の前の額に浮かれて満足していたくせに。あの巨額も使い果たしたのだろうか?
何処までいってもクズな女。
「…僕は、何も知らない。何もわからないから」
「んなことよりさぁ、お前、マジでイイ顔になってきたな。あの頃から可愛かったけど」
男は僕たちの会話にはまるで興味が無いようだ。
傍まで寄ってきて肩に腕を回してきた。たっぷりの香水とタバコのにおいに眩暈がする。
ねっとりとした気持ち悪い視線が僕を舐めるように値踏みしている。
思い出して、気持ち悪くて吐き気がした。でも気づかれたくない。僕がまだ覚えてるなんて気づかれたくない。そんな弱みは見せたくない。
「…ここってさ、全寮制なんだっけ?でも許可もらえば外に出れんだろ?」
耳元で囁かれ、背筋が震える。
「…きょ、今日は…もう、無理だから」
「はあ?ちょっとさぁ、頼んでこいよ。お義兄さまがわざわざ遊びにきてやってんだからさぁ。お前だって、久々に会えて嬉しいだろ?」
「ちょっと!タツヤ!」
女が高い声で悲鳴のような声を上げる。
「あんだよ?ちょっと触っただけだろ?」
「もうっ」
「スネんなって」
男は宥めるように彼女の隣に行き、後ろから抱きしめた。
それでも彼女の目は僕を睨みつけていた。憎しみに歪んだ同じ顔が僕を見てる。僕の……元になっている顔。生まれたときから誰が見てもそっくりな親子だった。
けどそれも過去の話だ。
(…冗談も大概にしろ)
そう言ってやりたい。いつもなら言えるのに。どんな相手にだって。
けれど、今だけは…。
息がしづらい。
コイツらと同じ空気を吸っているのだと思うだけで、今すぐに肺を取り出して、蛇口に取り付けたホースをそのままぶち込んで丸洗いしたくなる。
水だけじゃ駄目だ。何か、何かとても綺麗にしてくれるものじゃなきゃ。熱湯?洗剤?漂白剤?
自分が、汚れる。汚れていく。………もう、汚れている。
誰か
誰か助けて。
『お前は―――』
犬真――――
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