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03
「うわぁぁぁぁぁっっっっっっ!!」
 トイレの中に響き渡る絶叫。頭を抱えて膝を立てて。更に身を小さくして声を上げる。目から溢れ出す涙が止まらず悲しいという感情以外何も湧いてこない。
 人並みな幸せで良かった。ほんの小さな物で構わない。だからそれを奪わないで欲しい。どんなにそう願っても、消え去ってしまった命は戻らない。必死に宥められて何とか正気を取り戻した頃には、辺りはすっかり暗くなってしまっていた。病院の人が気を利かせてくれたのだろう。いや。どちらかというとグレイヴのこの状況を見て冷静に話が出来ないと判断した故の事だったのかも知れない。何時の間にか叔母がグレイヴの事を迎えに来ていた。
 その日、グレイヴは叔母に支えられるようにして帰宅した。自分の家ではなく叔母の住む家に。

 葬儀の日は嫌味なくらい晴れていた。せめて雨が降っていてくれれば、涙を流してもそれを雨が全て洗い流してくれたのに。埋葬されるのは棺。土の中で永遠の眠りに就いてしまえば、もう二度と顔を見ることも無くなってしまう。葬儀は淡々と進んでいく。自分という存在だけを残して進み出す時間。ぼんやりとその光景を眺めていたら、何時の間にか三つの棺は完全に姿を消し、新しく土をかけられた墓が三つ姿を現していた。土の上に置かれる花束は何れも白で、めでたい色など一つも無い。
「……独りぼっち…」
 世界中にたった一人だけ。その寂しさは新しく出来た三つの墓の存在により、より一層強く表面化した。
 暫く落ち着くまで叔母の家に泊めて貰い、漸く自宅に戻った頃には月の半分が過ぎてしまっていた。
「……ただいま…」
 普段は言わないその言葉を言ってはみるが、それに対しての返答は何も無い。ただ冷たい空気だけがグレイヴの事を出迎えてくれる。
 玄関から辿りリビング、ダイニング、キッチン、そしてプライベートルーム。あの日まで確かに有った家族の姿を求めて、一つずつ閉ざされた扉を開いていく。
「……ぅ……ぁ……」
 扉を開けば以前のように、『グレイヴ、遅いわよ、何処に行っていたの?』と母親の声が聞こえて来そうだ。『グレイヴ、後で宿題教えて。お願い』なんて、可愛い妹が猫撫で声でそんな事を言ってくれる気がして。もう暫くすると玄関の扉が開き『I'm back』という父親の声が聞こえて来て、直ぐにコートを脱ぐ音が耳に届いてくるようで。建物に染みついた彼等が生きていたという記憶が、そのままグレイヴの頭の中に入ってくる。
「ぁ………」
 でも、それはもう二度と来ない。小さく音を立てて揺れる扉の向こうには何時も通りの部屋の中が見えるのに、其処に居るはずの存在だけが欠けてしまいそのパズルピースが嵌ることは無いのだ。
「…や…だよ……」
 妹の部屋の前。ドアノブに手を掛けたまま、廊下に立つグレイヴが苦しそうに表情を歪める。
「……や…だ……」
 そのまま膝の力が抜け床に膝を付けると、自分の両肩を抱き小さく震えだした。
「………もどって……きて…よ……」
 確かに家族が煩わしいと思う事はあった。それでも自分の大切な物だったことには変わりはない。失いたいと思うはずのない消えたものたち。その存在を、彼等が生きていた時以上に、今のグレイヴは求めている。
「…みんな……」
 誰も居ない空間に、悲痛な叫びだけが響いた。
 幾ら哀しみに包まれようとも彼の人生が其処で終わる訳ではない。失ってしまった家族の時間は確かに止まってしまった。だが、この世界に残されたグレイヴの時間はその後も変わらず流れ続けている。哀しみから立ち直るまでの時間は確かに必要だ。だからと言って死を選ぶ勇気は彼には無かった。そんな訳で叔母や親戚に支えられるようにしてなんとか自立を果たすと、先ず彼は真っ先に住んでいた家を売った。本当は残しておきたいとも思ってはいたが、それ以上にそれを持ち続けることに耐えられなかった為だ。現実的な問題も有ったのも理由の一つである。
 そうして作った金で引っ越した先は山の中にある一件のロッジ。何故そうしようと思ったのかは判らない。ただ、人間社会で人と関わって生きるよりも自然を相手にしたいとその時はそう思った。たったそれだけの事で彼はその後の人生をどう生きるか選択し、今此処に居る。
「……天気、崩れそうだな」
 淹れ立てのコーヒーを片手にカーテンを開くと空には重たい灰色の雲がかかっている。
「一雨降るかもしれない」
 このロッジにはグレイヴしか居ない。窓ガラスを開けベランダに出ると、鼻を動かし大気の匂いを嗅いだ。
 普段から肉体労働が専門のため夜の眠りは割と深い。しかし、この日は珍しく夜中に目が冷めた。
「う……」
 瞼の痙攣をやり過ごしゆっくりと目を開く。視界は暗い。暗闇の中で部屋の中が外から注ぎ込む月明かりで薄ぼんやりと照らされる。
「いま……なんじ…だ…?」
 ランプシェードに灯りを灯すとサイドボードに置きっぱなしの腕時計を掴み時刻を確認する。現時刻は午前三時を回ったところ。
「ふわぁぁぁ…」
 もう一眠りするかと時計を戻し、ランプの明かりを消そうと手を伸ばしたところで彼の耳に狼の遠吠えが聞こえて来た。
「おおかみ…」
 ふと、昔会った白い狼のことを思い出す。罠に掛かり足に怪我を負ったあの狼は、今、何処で何をしているのだろう。
「…元気でやってるんだろうか」
 あの時も独りぼっちだと思って居た。だが、あの時はまだ家に帰れば自分を迎えてくれる家族が居た。今はもう誰も居ない。結婚をすれば状況は変わるのだろうが、生憎今現在そうする予定は立てていない。一人きりのベッドは独り分の体温しか留めてくれず、少しでも寝返りを打てばたちまち冷えたシーツが肌に貼り付く。
「アイツ…暖かかったな…」
 腕の中に抱いた狼の毛の感触を思い出しふと表情を和らげる。冷たい雪の中で雪のように真っ白な狼から伝わる柔らかな温もり。
「もう一度会いたいな…」
 元気でやっているのならばもう一度、その姿を見せて欲しい。消えてしまった家族のようにあの狼もこの世界から消えてしまっていなければいい。次第に降りて来る瞼は段々と睡魔を連れて来る。目を閉じると心地よい闇がグレイヴを包み込んだ。
「おおかみ…」
 狼の遠吠えを聞きながら就いた眠り。今度は朝日が差し込むまで目が覚めることはなかった。

 道具を荷台に乗せるとトラックのエンジンを掛けて職場へ向かう。建築用の木材伐採の職に就いてどれくらい経っただろうか。
「お早うさん」
 随分と年上の同僚が、グレイヴの存在に気付き手を挙げた。
「お早う、おやっさん」
 持ってきた道具を下ろし彼の元に歩み寄ると、朝飯の代わりに持ってきた奥さん特製のサンドイッチの一つを差し出される。
「朝飯は食ってきたか?」
「残念ながら、寝坊した」
「なら、これやるよ」
「Thanks」
 差し出されたそれを受け取り齧り付く。直ぐさま淹れ立てのコーヒーの入った紙コップを手渡され、軽く手を挙げた後にそれも受け取り男の隣に腰掛けた。
「今日は何処で作業すんだ?」
「んー? ああ、この辺りだな」
 広げられた地図の上。男が指で指定されたポイントを突く。
「了解」
 ミーティングが終われば作業開始。その場に集まった作業員達がそれぞれ作業場に向けて移動を開始する。
「そう言えば、昨夜狼の遠吠えを聞いたぜ」
 チェーンソーの調子を見ながらそう呟けば、同伴した男が難しい表情を浮かべ考え込む。
「気を付けた方が良いかもな」
「何故?」
「この近くまで来ているなら、襲われる危険も有るだろう? だからだよ」
「ああ、成る程。それは一理」
 チェーンソーのエンジンがかかり勢いよく回転する刃。
「取り敢えず、用心するに超したことはねぇってことだよな?」
「そう言う事だ!」
 その掛け声により、今日の業務がスタート。各自持ち場に別れると、慣れた手つきで作業を開始し始めた。

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あきゅろす。
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