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05
 白は良きもの、黒は悪しきもの。そんな定義、一体誰が決めた?
「人間ってさ、透明なんだ。何の色も持たない透き通った色」
 白は何色にも染まるが黒は全てを取り込んでしまう。それがいけないのだろうか?
「自分で染める色が選べるって言うのは羨ましいと思わないか?」
「何を言って…」
「アンタにはさ、まだ色が足せる。でも、俺には無理なんだ。どんなに足掻いても俺の色は黒い色。たったそれだけの為に悪しき者と決めつけられる気持ち、アンタには判るか?」
 寂しそうな横顔にブランはどう言葉を掛けて良いか判らず口を噤んで堅く拳を握りしめる。
「俺もさ…」
 白い肌に月の光が反射し淡い色を放つ。ぼんやりと掠れていく輪郭が酷く曖昧に見え、言い様のない不安に囚われた。
「こいつに会う前はこんな気持ち知らなかったんだ。勿論、コイツと初めて会った時、俺はコイツに対して願いを叶えてやる見返りに魂を寄越せと要求もした。だがな、コイツ、俺に対してこう言ったんだよ。『お前は一体なんだ?』ってな」
 楽しそうに崩した表情。矢張りその顔は、ブランの知る悪魔達が見せた表情とは全く違っている。何故この悪魔はこんな表情を浮かべるのだろう? 頭のネジが飛んでしまっているのだろうか?
「自分が何であるかなんて考えたこともねぇよ! 俺は今まで俺が俺で在るのは当たり前だと思っていたし、人間は喰らう為の餌だとしか思ってなかったんだから。それをそのままコイツに言ってやったら、コイツは次にこう言ったんだ。『お前達は人の作った偶像だ。アッシャーに置いては其処に住まう者が絶対であり、他世界に存在する者は全て偶像にしか過ぎない』ってな」
 その時の衝撃、アンタには判る? 小さく肩を振るわせて、ムストはひたすらに声を殺して笑い続ける。
「……お前…何が言いたい」
「俺はね、コイツに言われて初めて気が付いた。俺って一体何なんだろうって事に」
「どういう事だ?」
「… 天使だ悪魔だっていうのはさ、一体誰が決めた定義だろうな。ヤハウェか? でも俺はヤハウェを知らない。それは言葉として生きている概念であり、俺自身は創造主としての絶対であるヤハウェを見たことがない。なあ、アンタ見たこと有る? ヤハウェから寵愛を受けている白い翼を持つ者なら、この世界を作ったとされる奴の面を拝んだこと有るよな?」
 真剣な顔でそう問われ、ブランは咄嗟に言葉を返せなかった。
「なあ、アンタ、知ってる? ヤハウェの顔」
「俺は……」
 ヤハウェ。絶対の神。白き翼を持つ者はその指示に従い人を導き魔を討ち砕く。誰に教えられたわけでもなく当たり前だと思っていたそれに突きつけられた問い。「ヤハウェの顔を見たことはあるか?」。そう目の前の悪魔は問う。
「ヤハウェは…俺も見たことがない」
「そうか」
 だから何だとブランは思う。ヤハウェを見たことが無くとも、ヤハウェは確かに存在する。何人たりともそれを疑うこと無かれ。我らはヤハウェによって創られ、ヤハウェによって生かされている。それが当たり前なのだと呪文のように繰り返す言葉。
「妄信的に信じた神でも、存在を疑えば途端に虚実へと変わる。確かに俺達は此処に在る。それは変えようのない事実だろう。でも、俺達は俺達のことを何も知らない。なあ、ブラン」

「本当に“ヤハウェ”はいるのか?」

「それは…」
 「判らない」。思わずそう答えそうになってブランは慌てて口を塞いだ。
「………危うく引っかかる所だったぜ」
「?」
 悪魔は拐かすのが得意だ。それは人を相手にする場合でも天使を相手にする場合でも変わりはない。
「上手いこと言いくるめて、俺を堕とそうと…そういう魂胆だろう?」
 そう上手く引っかかってなるものか。再び表情を引き締めると、ブランは再度ムストを睨み付ける。
「……そんなんじゃねぇよ。でも…」
 目の前の悪魔には覇気がない。
「アンタが俺をそう言う者として扱いたいのならもういいさ。勝手にしてくれ。それで良いよ」
 冷たい風が二人の間をすり抜ける。ゆっくりとと持ち上げた頭。ムストの目は外に広がる柔らかな闇へと向けられた。

 感情、感情、心の在り方。
 心を知った不浄な黒と、心を知らない清純な白と。
 果たしてどちらが正しいのだろう。
 その答えは誰も知らない。

 一晩中考えた。悪魔の言った言葉の意味を。だが幾ら考えても何も判りはしない。ブランは激しくなる頭痛に顔を顰める。
「……何なんだよ! アイツは!!」
 空が白む。日が昇ったようだ。一睡も出来ずに迎えた朝は、清涼感を伴った空気で世界を祝福の光で満たしているというのに、白き翼を持つブランの心は未だ霧が深くかかり気が晴れない。
「カタン」。
 それはほんの僅かな音。ブランはゆっくりと腰掛けていたベッドから立ち上がると、音のした方へと歩き出した。
 小屋の入り口の扉を開けると、開けた空間に黒い人影。
「起きたのか?」
 ゆっくりと振り返るその男は、昨夜と同じくブランに微笑みかける。
「もしかして、歌。聴かせてくれる気になってくれた…とか?」
「そんな事有るはずも無い」
「だよな」
 雀の鳴き声が森に木霊する。ブランは扉からゆっくり手を離すと、柔らかな土の上へと足を下ろした。
「一晩中考えた」
「ん?」
 近寄れるギリギリの範囲まで歩を進めると、ブランは真っ直ぐにムストを見据える。
「お前が言っていることは矢張り許容出来ない」
「そっか」
 特に何かを強制する訳でもなく、ムストはあっさりそう答えると、大きく背を伸ばす。
「元々居場所も考え方も対極にあるからな。理解して欲しいなんて事は言わないさ。アンタがそう答えを出したんなら、俺はそれに対して文句を言いはしない」
 どこまでが本気なのだろう。真意が掴めない。だからこそ警戒が強まり、疑心暗鬼に陥る。
「悪魔は滅ぼさねばならない。ヤハウェはお前達の存在を許さない」
「そうだなー…」
 空間が奇妙に湾曲する。
「よって、俺は神の代理人とし、貴様を抹殺する」
 取り出された銀色の剣。汚れ無き美しき輝きが、日の光を浴びて煌めいた。
「無抵抗の悪魔でも殺すのか?」
「悪魔とは、その全てが非なる者! 存在を受け入れてはならない!」
「……そうか」
 その表情から、決意が揺らぐことはないと感じ取ったムストは、瞳を伏せて全身の力を抜いた。
「殺れよ。それがお前の職務なんだろう?」
「っっ!?」
「どうした!? 殺れねぇってのか! お綺麗な天使様は、自分の手を汚すことが嫌いだからな! たった一匹の無抵抗な悪魔ですら殺すことに躊躇いでもあるのか!? どうだ!!」
「それは…」
「違うだろう? そうじゃない。お前達はそうじゃないだろう? さあ、どうした。お前の敵は此処だ! 目の前だ! その汚れ無き銀の刃で貫けよ! そうすれば貴様は英雄になれる! さあ、やれ! 遠慮すんな!!」
 その口車に乗せられてはいけない。だが相手は殺すべき対象。ブランの手に握られた銀の刃物が音を立てて震える。
「殺れよ! 腰抜け! どうした!? やっぱり潔癖には無理ってことか! あぁ!?」
「煩い!! 黙れっっっ!!」
 昂ぶった感情が行動を起こさせる。
「何をしている!?」
 ブランが動き出したと同時に建物の入り口から上がる声。だが次の瞬間、ブランの手の中に有った刃物は、ムストの腹部を貫いた。
「ムスト!!」
 飛び出してきた一つの人影が二人の間に割って入りブランをムストから引き剥がす。
「何てことを…莫迦なことをしやがって…」
「ははは…結構痛てぇや、これ…」
 深々と突き刺さる銀の刃の柄を掴むと、ナミルはゆっくりとそれを引き抜いた。音を立てて転がる汚れた凶器。
「大丈夫か? ムスト…」
「兎に角痛い」
 地に崩れ落ちるムストの身体をゆっくりと地面へ横たえる。自分の膝にその頭を乗せた後、ナミルは厳しい顔つきでブランを睨み付けた。
「何故、ムストを刺したりした?」
「それは…」
 何故この人間は悪魔を庇うのだろう。ブランは両手で頭を抱えて小さく震え出す。
「悪魔は…悪いものだから…だから…」
「悪しき者だと見境無く殺すのか? お前達は」
 責めるような口調で言葉を吐くナミルに、ブランは必死に言い訳を考え言葉を紡ぐ。
「俺は…お前が…コイツに拐かされて喰われないように…って…思って…」
「誰もそんな事を頼んだつもりはない。貴様達は俺からムストまでをも奪うつもりか?」
「違う…そうじゃない…ただ…」
 正しきことをしただけだ。そう必死に訴えるが、ナミルは厳しい表情を変えず聞く耳を持たない。
「何を持って正しいとする? 悪魔を殺すことが正しいというのか?」
「そうだ。悪魔は人を拐かし堕落へと導く。それを祓い、正しき光の元へと導くのが俺達の役割だろう? 何も間違っちゃ居ない…居ないはずだ!!」
「ならばその悪魔がその人間にとって大切な家族のような存在だったとしても、悪魔だという理由で貴様達はその刃を突き立てるというのか!? かけがえのない者を奪ってまで導かねばならない正しきこととは何だ!」
「っっ!?」
 弾かれたように顔を上げたブランの目に、ナミルの涙を堪えた表情が映る。
「神が好まないからという理由だけで、お前達は俺から両親を奪った! グリモワールを持ちそれを用いて魔を喚べるというだけの理由で殺されたんだ! 俺の両親は!! 彼等が俺に残した物は、血に塗れたたった一冊のグリモワールだけだ。他に肉親が居ない俺に取って、グリモワールで呼び出したムストは友であり父であり、兄のような存在だったんだ! それをまた、俺から奪うつもりなのか!? これがお前の言う、正しい事だというのか!?」
「人は弱い! だから悪魔の囁きに拐かされる! 傷付きし魂を救済し、神の大いなる愛で汚れを清めなければ人は楽園へは帰れない! それを導くのが俺達の使命だ! だから俺は剣を振るう! それを突き立てる!! 世界が黒に染まってしまわないように、そうやって俺達がこの世界を守っているんじゃないか!!」
「付け上がるな! 偽善者が!! 奢り昂ぶるのもいい加減にしろ!!」
 ムストの頭を静かに下ろすと、ナミルは立ち上がりブランの頬を強く叩いた。
「良いか、良く聞け。神の代理人とやら。貴様達は人の為だと言いながら、結局は自分のしたいことをしているだけにしか過ぎない。魂を救済するだと? 穢れを清めるだと? そんな事はただの戯れ言だ。自分の身を見て見ろ。自分の翼に目を向けろ。貴様の姿は白いと言えるのか? 貴様の姿は血で染まり、真っ赤になっているのが何故判らない」
 殺した分だけ被った血。それで染められた自分の身。何故それに気付かないんだ。ナミルはブランの襟首を掴むと、尚も言葉を吐き続ける。
「貴様は傷付いたことがあるのか? 身体の傷ではなく心の傷を経験したことはあるか? 無いだろう? 天使は感情を持たない。知識はあっても間違いを認めない。心を知らない操り人形であるお前達は、何処までも白くあれと神に呪いを掛けられているんだかな!」
「神を侮辱するな! 何時までも悪魔の傍に居るから、考えが歪むんだ! お前は早急に穢れを落とす必要が有る! 俺が救ってやるから大人しくその悪魔が消えるのを見ていろ!」
「巫山戯るな!!」
 うち捨てられた銀の剣に伸びたブランの手をナミルが勢いよく払った。

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