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02
『我を使役するだと? 人よ、智を求めてどうしたい。グリモワールを携える程の者が、それを得るのが如何に無駄である事か判らないでもあるまいに』
 そう嗾けると、少年は眉間に深い皺を寄せて表情を曇らせた後こう呟く。
『ならば問おう。お前は何だ?』
 ほう、面白い。ムストは楽しそうに目を細めるとその問いに対しての答えを返した。
『我か? 我は魔だ』
『ならば魔とは何だ?』
 答えた後に間髪入れずまた問いが投げられる。
『聖と対なる力だ』
『ならば聖とは何だ?』
『魔と対なる力だ』
 何時までも続く押し問答。
『何故聖が在り魔が在る』
『それが摂理だからだ』
『ならば人とは何だ?』
『神の造った出来損ないよ』
 行き着いた先の最終的な問い。それは実にシンプルな内容だった。
 人が人で有る理由を知りたい。それは純粋な欲求であろう。だが、悪魔であるムストには特に興味のある内容では無い。そのせいか、返答はぶっきらぼうで興味もなさげに言い放つ。
『神は自分の箱庭で遊ぶための駒を作った、土と息を使ってな。それが人間だ』
 そんな事も判らないのか? 半ば呆れた様にそう言い放てば、対峙する子供はグリモワールを強く抱き声を張り上げてこう言葉を返す。
『それは神の見る側の価値観だ。俺の在る場所は神の居るアツィルトでもなく神が遊ぶプリアーでもなく、お前達の在るイェツィラーでもないこのアッシャーという次元世界だ。アッシャーにおいてはアッシャーに存在しうるものが絶対であり、それを中心として世界は存在する! もう一度問おう。人とは何だ? 魔の眷属者、爵位を持つ高貴なるものよ! 答えろ!』
 少年の言葉にムストは大きく目を見開く。
『それは…我々の存在だけではなく神そのものの存在も否定すると言うことか? 弱き者よ』
『そうだ! 人が神に造られた土塊だと言うのならば、お前達もまた人によって造られた偶像だという解釈も出来るだろう? 全てにおいて絶対は有り得ない。見る目が変われば捉えるものは大きく変化する。つまりは、知を求め智を得る事で物事を理解したとしてもそれが途切れることはなく、渇望すればするほどに得る知識は膨大に増え寄り真理に近付ける。そうではないのか?』
 異なる二つの考え。これほどに対極な意見は何故だと思考を巡らせれば、少年の言った様に神と言う立ち場から捉える考え方と、人と言う立ち場から捉える考え方の差だと言うことに気が付く。
『中々面白い事を言うな、小僧』
 僅かに湧いた興味。
『ならば、我の存在も汝の造る偶像の一部だと…そう言いたいのか?』
『それは判らない』
 今まで張り上げていた声が突然弱くなった。
『お前を呼び出すまで、神も悪魔も偶像にしか過ぎないと思って居た。それが本当に存在する筈がないと。だが、グリモワールを使い描いた陣と唱えた呪によってお前は現れた。目で知覚する事も出来ればこうして対話することも出来る。触れられるかどうかは判らないが、もし触れられるのだとすれば、お前はアストラル体でもエーテル体でもなく実体を持つ現実に起こる現象と言う事になってしまう。そうすると、俺の理念は根底から覆され、矢張り人は神によって造られ生かされているのではないかと考えを改めなければならない』
『触れられるか…ねぇ…』
 随分と覇気の無くなった少年は、より一層小さく身体を固めてグリモワールを抱き俯いてしまった。
『取り敢えずこれでお前の疑問は一つ解消されると言う事だな』
『なっ…!?』
 言い終わると同時に描かれた陣の物理法則を無理矢理破ると、ムストは境界より外側に腕を伸ばし少年の小さな身体を抱き上げる。
『残念ながら俺は実体だ。よって、お前の生み出した偶像ではない事になる』
『…………っっ』
 今起こった現象に少年は悔しそうに唇を噛んだ。認めるのが嫌で仕方無い。そんな考えが見て取れる。
『矢張り…人間とはアドナイによって造られた一握りの砂でしかないのか…』
『そうとも…言い切れないかも知れないぜ』
『な…に……?』
 ムストの言葉に少年が驚いた表情を浮かべながら顔を上げる。
『良し、決めた。お前とは特別に別条件で契約を結んでやる』
 突然打ち出した提案。それに対し少年が目をぱちくりとさせムストの言葉を待つ。
『まぁ、聞けよ。俺達の様な魔の眷属がアッシャーに干渉するには通常、ゲートを通るしかないんだが、ゲートは常に不安定で場を持たない。その為、イェツィラーからアッシャーへ向かう、またアッシャーからイェツィラーに戻る際、偶然出来た不安定なゲートを通り両世界を行き来しなければならないんだが、これが実に不便でね』
 抱え上げていた少年の身体を地面へ下ろすと、ムストは再び陣の中へと戻り言葉を続けた。
『無茶苦茶面倒臭いんだ。だからついつい引きこもりがちになる』
 そこで一度言葉を切りムストは悪戯好きな子供のような笑みを浮かべた。
『だがな。このゲート、幾つか安定して開く事の出来る例外があってな。一つは今起こっているこの現象。グリモワールにより特定の陣と呪で力有る者が法則を組み替えることに成功した場合、それに見合う力を持つ魔がこのゲートを行き来出来るようになる。今回のは…見たところ偶然に発生した事故による結果、俺がゲートを通過することが出来たみてぇだが、本来ならお前の力量にあった魔がこの陣の上に召喚されるはずだ』
『…………』
『もう一つは、定めた契約により、強制的にゲートを開く方法。これはイェツィラーとアッシャー、両世界に契約を交わした力を持つ者が存在して初めて起こせる法則の組み替えだが、これを行う事によって両界をある程度は自由に行き来することが出来る様になる。…尤も…イェツィラーの大気はアッシャーに在る者達にとっては猛毒にしかならんから、アッシャーからイェツィラーに向かう事は余りお勧め出来ないがな』
 さて、此処まで説明すると後はこの条件を提示するだけ。
『そこで、だ』
 少年の前に立ち、ムストが白く長い人差し指を立てて口角を吊り上げる。
『俺は今、退屈をしている。お前の話は随分と荒っぽいが、中々に面白かった。此処で一つ、俺と契約を結ばないか?』
『けい…や…く…?』
『なあに、難しい事は何も無い』
 先程立てた人差し指を少年が大事そうに抱えるグリモワールに向けるとそれを開けと指示を出す。
『お前は術者だろう? その中に隠された力は未だ解放されてはいまい。だがその幼さでこれ程の陣を発動させることが出来るんだ。訓練さえすればその本を十二分に使いこなすことも可能だろう。俺はお前に興味が有る。それに久しぶりにアッシャーを楽しみたいとも思って居る。だから、俺と契約を結び、俺を自由にしてくれ。そうしたら、お前の手助けを無償でしてやろう。どうだ? 悪い条件では無いと思うが』
 これが本当の悪魔の囁き。少年は手に持ったグリモワールを見つめ暫し考えた後、確認するように言葉を紡いだ。
『人を…殺す…のか?』
『必要とあらば。だが、無闇な殺生はしたくない。面倒臭いしな』
『ならば、出来うる限り殺しをしないと約束しろ』
『ふむ』
 『それが条件だ』。再び持ち上がった少年の顔に迷いはない。その条件さえ呑めば自由に両世界を行き来出来る。ムストは小さく頷く。
『了解。条件を呑もうじゃないか』
『ならばお前と契約をする』
『交渉、成立。…という事だな』
 契約は陣を構成する内側と外側の境。互いの手の平を合わせた状態で呪と名を交換する簡易的な儀式。
『我、此処にそれを刻む。我、交わさん、誓いの言葉』
『汝、我が主とし、我汝に使える事約束せん。我が名はムスト』
『我、汝の主とし、汝我に使える事約束せん。我が名はナミル』
『新たなるマトリクスの定義に従い、この契約成就せん事を誓う。発動せよ、契約の呪文。互いの手に刻印を刻み、互いにその契約を違わんことを証明せよ!』
「……あの頃はまだちびっこい餓鬼だったのになー…お前…」
「何か言ったか?」
 物思いに耽っていたムストは向かいに座るナミルの方へ視線を戻すと何でもねぇよと首を振って答える。
「いや、何。昔の事を思いだしていただけさ」
「……そうか」
 ここ数年でナミルが集めたグリモワールの数は書庫一個分。中にはムストが手に入れてきた曰く付きの本も混ざっており、その種類は実に豊富だった。
「で、まだまだ本を集める気?」
 何時の間にか用意されていた修繕道具。使い慣れたそれを器用に操りながら、本の綻びを修理してくナミルの作業を眺めつつムストは問いかける。
「集めた蔵書はまだ一部だ。其処に記された知識が全てではあるまい。ならば、枯渇するまでそれを追い求めるのは当たり前だろう?」
「あっそ」
 此処まで来たら本の虫。これ以上知識を詰め込んで馬鹿になったらどうするんだろうなんて思いながらムストはぼんやりと明るい天井を見つめる。
「アラブ人ってみんなこうなんかね?」
「どういう事だ?」
 聞き捨てならないな。ナミルは作業の手を止めて真正面からムストを睨み付けた。
「別に変な意味で言った訳じゃねぇぞ。でも、確かネクロノミコンの元になったキタブ・アル=アジフを書いたのもアブド・アル=アズラットっていうアラブ系の男だったんじゃなかったっけか? かの有名なソロモンにしたって、確か出身はその辺だろう?」
「ふむ、確かに」
 ふうと吐き出される細い息。
「そんなに必死に知識を詰め込んだって、真理を見付けたところで死んじまえば消滅しちまうのにさー…」
「集めた知識が無に消えることを惜しむではなく、自分の求むる答えを導き出す事が何よりも重要なんだ。其処には神も人間も関係無い。結局は全てが同一であり異なると言うことだからな」
「どういう事?」
「さあな。それを探して知識を得るんだろう? まだまだ答えは見つかって等居ない」
「左様ですか」
 時間は穏やかに過ぎて行く。窓ガラス越しに見える夜空には、白く輝く星が小さく煌めいていた。

 イェツィラーに戻った早々、男は同僚に声を掛けられた。
「どうしたんですか? その顔」
「何が!?」
 顔と言われても鏡なんて物は手元に無いからピンと来ない。乱暴な口調で答えれば、呆れた表情を浮かべた同僚が眉間に深い皺を寄せて答える。
「何時もだらしないくらい緩みっぱなしの顔をしているのに、何だって今日はそんな顰めっ面なのかと聞いているのです」
「別に。悪魔と会って機嫌が悪いだけだ!」
「悪魔…ですか…?」
 同僚の表情が曇る。
「何もされなかったでしょうね?」
「されてねぇよ。ムカツクからさっさと帰ってきた。取り敢えず風呂入りてぇ」
 あの悪魔と言葉を交わして以降、苛々が治まらない。思い出したくなくとも思い出される不愉快な思いに、男は再び顔を顰めた。
「まあ、いいでしょう。幸いにも今日はそれ程忙しくない。偶にはふらふらせずにきちんと職務でも全うしたらどうですか? ブラン」
「煩せぇぞ、ヴェルテュー」
 それが八つ当たりだと言うことはブランにも充分理解出来ていた。だが今は他人を気遣う余裕が無い。
「まるで臭ってきそうだと言わんばかりの反応ですね」
「実際その通りだから仕方無いだろう! 用が無いなら行くぞ!」
 くるりと踵を返すと、ヴェルテューに背を向けて歩き出す。
「思う存分身体を洗うと良い。それで気が済むのでしたら」
「言われなくてもそうするさ」
 ヴェルテューと分かれ自室へと戻ってきたブランは、着ていた服を脱ぎ捨てるとそのままバスルームへと直行した。
「………はぁ……」

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