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01
 神はその美しき翼を愛した。
 穢れなき清らかさは神の求める究極の美。
 だからこそそれは欠陥品だった。
 何処までも白い白いそれ。
 その白が穢れることを神は望まない。
 その思いが強ければ強いほど、神の作りたもう芸術は何処かが欠けた不完全。
 しかし、それで構わない。
 完成してしまえばそれはもう、神の望むべき姿ではなくなるのだから。

 一人の天使がいる。天使と言えば聞こえはよいが、それは只の鳥と何ら変わりがない。トリは歌を囀る。神に褒められた自慢の喉を震わせて。
 丁度その頃、森を一人の悪魔が歩いていた。悪魔はふと顔を上げる。耳に届いたのは心地よい声。セイレーンの歌声の様に心を囚え魂を揺さぶるそれに悪魔は目を伏せて聞き惚れた。
 ふとやんだ歌声に悪魔はゆっくりと瞼を開く。消えてしまった音が寂しいと感じた彼は、歌を奏でた者の姿を探した。漆黒の大きな翼を広げ音の聞こえた空へと近い場所へと羽ばたく。大きな木の枝に座る白い翼。
「よぉ」
 驚かさないよう細心の注意を払いながら近寄ると、悪魔はゆっくりと枝の上へと舞い降りた。
「もう一度、その歌を聴かせてくれないか?」
 悪魔にしては珍しく紳士的な態度を取る彼は、爵位を持つ高位の魔族。しかし、幾ら彼が穏便に接しようとしたところで穢れに敏感な天使は嫌な顔をする。
「悪…魔…」
 自分の身を護るように後ずさった天使から発せられるのは警戒心と軽蔑。
「別に取って喰おうって訳じゃない。ただ…その…歌が聴きたいだけなんだ」
 歌を聴かせて欲しい。そう請う悪魔に対し、天使から返ってきた言葉は罵りだった。
「俺が悪魔の為に歌うだと? 冗談じゃない! 穢らわしい!!」
 差し伸べた手を露骨に避けられ再びきつく睨むと、天使はすっと立ち上がりその純白の翼を広げて羽ばたかせた。
「最悪だ、気分が殺がれた。帰らせて貰う」
 最後にくれた一瞥。興味すら無いと言った態度を取り、天使は枝から足を離し宙に浮かぶ。
「待ってくれ!」
 咄嗟に伸ばした腕が天使の腕を掴む。引き留めた自分の行動に驚いた悪魔と、悪魔に触れられたことに嫌悪した天使の視線がぶつかる。
「離せ!」
 必死に腕を振り払おうと藻掻く天使のバランスが崩れ、悪魔の腕に掴んだ者の体重がそのまま負荷としてかかった。
「危ねぇ!」
 咄嗟の出来事に臨機応変に対応出来る者等、この世界にどれ程存在しているのだろうか。互いに掴む物を無くした二人の身体が、重力に引っ張られるようにして落下していく。
 遠ざかる空と近くなる地面。
「クソッ!」
 機転を利かせたのは悪魔の方だった。一度は仕舞った大きな漆黒を広げると、掴んだ腕を引っ張りその身体を自分の腕の中へと抱え込む。幾ら両者とも人では無いといえど、高所から地に叩き落とされればそれなりに衝撃が走りパーツが破損してしまう。人の様に欠損したパーツは完全に欠如してしまわない限り復元は出来るが、痛覚も有るし復元に時間も掛かる。そうなると身動きは取れなくなり、色々と不都合も起こる。兎に角今は目の前に迫った危機を脱出することが最優先事項だ。全長で四メートル以上もあるそれを大きく震わせると、強い風が起こり木々がざわめいた。
「間に合え…っっ」
 数度繰り返し羽ばたき滞空状態を維持すると、ゆっくりと地上へと足を下ろす。両方の足が無事地に触れたことを確認した後、悪魔はゆっくりと大きな翼を仕舞った。
「……何とか…地面と衝突は避けられたな。無事か?」
 腕の中に抱え込んだ存在にそう声をかける。呆気に取られて固まっていたその顔に表情が戻った。
「離せ!!」
 響き渡る渇いた音。
「…………」
「助けてくれたことに礼は言う! だが、貴様が俺に触れなければこうはならなかった! 最悪だ! 早く帰って身を清めたい」
 悪魔には一瞬、何が起こったのか判らなかった。じんわりと伝う鈍い痛みに、自分が今、目の前の白い存在に叩かれたのだと言うことを理解する。
「もう二度と会うことは無いだろう。もし貴様の姿を見たら、一度目は今の礼だ。見逃してやる。二度目には殺してやるからそのつもりで居ろ!」
 最後の最後まで高慢な態度の天使は、そう言って悪魔を睨み付けると再び大きな白い翼を広げて空へと羽ばたき姿を消した。
「……何…だよ…」
 後に残された悪魔は叩かれた頬にそっと手を重ねる。
「ただ…歌を聴かせてくれって言っただけじゃないか…」

 昔から相容れることのない二つの存在が有った。片方は神の寵愛を受ける神の使い。片方は神に忌み嫌われる神と対峙するもの。その双方が解り合うことは長い歴史の中一度たりとも無い。
 素晴らしい愛の教えだか何だか判らない偶像の描き出す対立する存在同士のラブストーリーは、実際には存在しうることのないものだった。何故なら、神はその存在が汚れることを許さないからだ。
 一度でも魔に染まってしまった白き翼は、神の怒りに触れ容赦なく地に落とされる。まるで芸術家が自分の創り出した美を一瞬にして破壊してしまうかの如く行われるそれ。
 神は自分の芸術に、醜い部分があることを嫌った。何処までも潔癖で歪んだ愛情。それが神の白い存在へと注ぐ愛の形である。

 悪魔は白い月を眺める。
「…………つまらないな。黒に染まらない白だなんて…最悪だ…」
 向かう先は酷く寂しい森の奥。小さな掘っ建て小屋の前に辿り着くと、決められた回数だけ扉をノックし暫く待った。
「遅かったな」
 開いた扉の向こうから現れたのは、随分と付き合いの長い一人の人間。
「何かあったのか?」
「ん? ああ、少しな」
 入れと招き入れられ、悪魔は静かに扉を潜った。
「元よりお前は時間にルーズだったが、今日はまた随分と大遅刻だ」
 そう言いながら出されたのは柔らかい香りを放つハーブティー。
「悪かったって。急用だったのか?」
 出されたそれに口を付けながら問うと、目の前の人物は肩を竦めて小さく息を吐いた。
「いや。急用というわけではない。ただ、思ったことを素直に述べたまでだ」
「そうか」
 悪魔がこの男に初めて喚び出されたのは随分と昔のことだ。初めて会った頃、まだ未成熟な少年の姿をしていた友人は、今ではすっかり立派な青年へと成長を遂げた。
「それで? 要件は?」
「ああ、これなんだが…」
 取り出された一冊の紙の束。
「又何か新しい物でも創り出そうと?」
 身を乗り出してその内容を読みとろうと覗き込むと、友人は渋い表情を浮かべながら首を左右に振る。
「違う。今回は別件だ」
 指を指した項目に目を配らせると其処にはっきりと書かれた文字に悪魔は目を見開いた。
「R'lyeh…ルルイエ…だと…?」
「ああ、見つけた」
 先程まで暗い表情を浮かべ居た友人の表情は一変。紙の束から顔を上げたの友人が口角を吊り上げて笑う。
「冗談だろ?」
「さあな。異本自体は手に入ったが、それが本物かどうかは判らない。だからお前に来て貰ったと…そう言うわけだ、ムスト」
 そう言って一度、友人は奥の部屋へと姿を消した。
「……おいおい、ルルイエって…冗談だよな? ナミル」
 複雑な表情を浮かべながら友人が戻ってくるのを待つ。灯り取りのランプがゆらりと揺れた。
「これだ」
 戻ってきた友人の手の中には草臥れた一冊の本。
「どうだ? ムスト」
「うーん…」
 差し出された本に軽く触れてみる。奇妙な手触りに悪魔、ムストは眉をひそめた。
「これ…は…」
 確かに普通の本ではない異様な何かを感じとる。
「開けてみても良いか?」
「ああ。開けられる物ならばな」
 どうぞと手で勧められ、ムストはページを捲るべく本に手を掛けた。
「ん?」
 しかし、不思議なことに本はぴくりとも動かない。鎖で雁字搦めにされているわけでも鍵付きの本と言うわけでもないのに本が開かないのだ。本を暫く眺めてその理由を理解したムストが納得したようにゆっくりと頷いた後口を開く。
「封が掛けられているな。しかも人の手によってではなく、魔の物による高位魔術で。成る程。だから、か」
「そう言うことだ」
 やれやれ、とんだ友人を持ってしまったものだ。ムストは困った様に笑い頭を掻いた。
「まさかこっちに来ているとは思わなかったから探すのに苦労した。ムスト、開けられそうか?」
「んー…そうだな…」
 封の鍵穴を探し本をくるくると手の中で回す。
「おっ? 綻びがあるな。これが鍵穴か?」
 本の背の底面に近い部分に見つけた印の綻び。其処に手を翳すとムストはぶつぶつと呪を唱える。ナミルは黙ってその光景を見守っていた。暫くして本の輪郭が淡い光で包まれ、鋭い音を立てて空気が弾ける音が耳に届く。
「ほら、開いたぞ」
 解除された封印。本は先程とは打って変わり、普通通り読めるように開く。
「しっかし、ホントボロボロ。封印でもかけなきゃ今にでも崩れ落ちそ…」
 そこまで言って、ムストの本を捲る手がぴたりと止まる。
「どうした? ムスト」
「この本、一体何処で手に入れた?」
「久しぶりに降りたバザーで中国系の怪しい老人が店を出していたんだ。其処で買ったんだが?」
 それがどうした? そう言いたげな表情を浮かべるナミルにムストは渋い表情を浮かべると、疲れたような素振りでゆっくりと首を振りながら答えた。
「これはルルイエじゃねぇよ。ネクロノミコンの方だ」
 読んでいた本を閉じるとムストはそれをナミルの方へと差し出す。
「ネクロノミコン…そうか、ルルイエ異本ではないのか」
「残念ながら…な」
 受け取った本を崩さないように慎重に捲りながらナミルは内容に目を通していく。有る程度読み進んだところで小さく呟き顔を上げ、向かいに座るムストの方へと視線を向け困ったように眉を下げた。
「傷みが激しく文字も掠れてまともに読めない。修繕しても使えるかどうか判らないって所だな」
 そっと机の上に置かれるボロボロになった本。
「それ、どうするんだ?」
「一応修繕してみようと思う」
「その後は?」
「蔵書として保管するが、それがどうした?」
「……物好きめ」
 ナミルという人間と付き合ってからどれくらいの月日が流れたのだろう。ムストはそっと目を伏せて考えに更ける。
「そう言えば…初めてあった時も、お前はグリモワールを抱えていたな」
 一冊のグリモワール。それに記された呪と陣でムストはこの世界に呼び出された。多分それは偶然起こった事故だったのろう。突然発動した陣が強制的に呼び出したのは爵位を持つ高位の悪魔。
『我を呼びだしたのは汝か?』
 威圧的な言葉で問い掛けると、目の前の小さな身体は恐怖で震える。
『呼び出された以上、汝の願いを叶えてやる。判っているとは思うが、願いを叶える代価として我に差し出すのは汝の魂。さて、弱き者よ。望みは何だ?』
『お前を使役することだ』
『何?』
 身体は恐怖で小刻みに振るわせながらも、強い意志を秘めた紅に近い色を放つ瞳が真っ直ぐにムストの姿を捉え、はっきりとした声で紡がれた言葉。
『俺は知りたい、世界とは何なのかを。だから、その知識を得る為に手助けをしてくれる奴が必要だ。俺は願う。お前を俺の使い魔として使役することを』
 人の願う欲望とは浅はかだと常々思っては居たが、まさか知識を要求されるとは予想外だ。ムストは一度目を見開いて固まった後、大きな声を上げて笑い出した。

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