15 情報を仕入れる方法は人それぞれだと思う。細かい作業は苦手だ。だから自分の足で稼ぐ。確かにそれは面倒臭いと思わないこともない。しかし、ヴァルにしてみれば、そうやって自分で見た物、聞いた物の方が本当かどうかの判断をする上で尤も役立つと考えている部分があった。 ネットでの情報の入手はエレナに頼み、事務所の面子に一声掛けて出た建物の扉。 「……ふわぁぁぁ…」 まだ日は高い。穏やかな時間が流れている。腕時計で時間を確認すると時刻は三時過ぎ。一瞬考えたのはコーヒータイムだったのだが、先程美味いコーヒーを飲んだばっかりだ。 「さて…どうするかな」 先程エレナより見せられた資料はデジタル情報に置き換えられ小さな電子カードの中にダウンロードされている。チップを携帯端末に差し込み起動したプログラム。直ぐに最新の情報が読み込まれ、ディスプレイに情報のコンテンツリストが表示された。 「此処から一番近いのは……」 端末で事件が起こった座標をチェックしながら移動を開始する。思ったよりも距離がありそうな雰囲気に、バイクを一度家に戻し、車に切り替えて事件が起こった町に向かうべきかを真剣に検討し始めた。 ふと、気配を感じた気がした。 「………まさか……」 暗い部屋で一人。草臥れたシャツに身を包みベッドの上で項垂れていた男が顔を上げる。 「……気付い……た……?」 手に持ったグラスの中では、琥珀色の液体が揺れる。まだ日は随分と高い。だが男が居る場所は薄暗く、酷く寂しい雰囲気を漂わせていた。空気に混ざるのは埃と酒と僅かばかりの血の匂い。見れば男の草臥れたシャツに小さな赤黒い染みの痕が見える。男は一人動揺する。自然と荒くなる呼吸。胸に手を当て目を伏せる。何故こんな風に自分の身体が動くのか、その理由は一つしかない。 「……会いてぇっ…」 気持ちが焦るのだ。もしかしたらと。 「今日、こっちに着く……か……?」 酒で鈍った嗅覚で、鼻を僅かに動かし嗅いだ大気の匂い。色々な匂いが混じってはいるが、その中に酷く懐かしい匂いが混ざっている。 「…………………」 声に出さずに呟いた音。それはその匂いの持つ人間の名前。男はグラスの中の液体を一気に煽ると、蹌踉めきながら立ち上がりゆっくりとシャワールームへと向かった。 何処かしら懐かしい空気を感じる。 「んー?」 だが、ヴァルはその町に見覚えはない。今日始めて訪れた土地で感じた奇妙な感覚に一人首を傾げる。 「何だ何だ?」 見つけた軽食店の駐車場。其処に愛車を止め足を下ろしたアスファルト。足の裏に伝わる感触を確かめながら後ろ手に扉を閉めると、鍵を掛け店の方へ向かって歩き出す。日差しは少し傾き空はもう少しすれば茜に染まるだろう。今日は此処で夜を迎えるのかも知れない。ならば後で宿泊先を探さなければ。そんなことを考えながら店内へと続く扉をゆっくりと押した。 「よぉ」 涼しげな音を立てて鳴り響いたベル。ヴァルは真っ直ぐにカウンターに向かうと、向こう側で気怠げにテレビを見ている店の店主に話しかける。 「最近はどんな感じだい?」 「あ?」 その会話に特に重要な意味はない。言うなれば只の世間話というやつだ。それを店主も判ってはいるのだろう、すっと持ち上げた右手で親指を立てると、店内を見ろと合図を出される。 「見ての通りだよ。厭味なら帰んな」 「まぁまぁ、そう言いなさんなって。こう見てもちゃんとした客だろう?」 店内の様子はこの店の扉を開いた瞬間から分かっていたこと。今は殆ど客が居ない。流れるBGMとテレビの音声だけがその存在を主張している。 「時間帯…って訳じゃねぇのかい?」 カウンターチェアに腰掛けながら灰皿を手繰り寄せ、吸っても良いかと確認を促しつつ投げる質問。 「そう言うわけでもないさ」 一本寄越せと店主が手を差し出したので、その手に持っていた煙草のボックスを乗せてやる。 「随分と弱いのを吸っているんだな」 「煙草が切れたときに偶々それしか手に入らなかったんだよ」 「成る程」 一本抜き取られ戻されたボックスをジャケットにしまうと代わりにガスライターで火を点け店主の煙草に近付ける。二、三軽く息を吸い込んで点けられた灯りは一瞬だけ綺麗なオレンジを見せて直ぐに周りの色に馴染んでしまった。 「で、お前さん、注文は?」 「んー? そうね…」 今はそれほど腹が減っては居ない。 「手軽にポテトとコーラでも」 「了解」 軽く摘めれば充分だ。そんな風に出した注文を受け、店主は直ぐに料理の準備に取りかかった。 この手の店にきちんとした料理を求める方が間違っている。注文した品物は直ぐにカウンターのテーブルの上に出された。 「アンタもどうだい?」 皿の上に山盛りに盛られたポテト。流石にこの量は予想外だ。 「食わねぇのか?」 店主の眉間に皺が寄る。どうやら機嫌を損ねてしまったらしい。 「違げぇよ…ちょっと予想外の量だったから一人で食いきれねぇって思って、さ」 そう答えれば店主は驚いたと言わんばかりに目を見開き、次に呆れた表情を見せて溜息を吐いた。 「何、女みてぇな事を言ってんだか」 「最近食が細いんだよ。ダイエット中なの」 「…ますます女みてぇだな、お前さん」 「ははは、まぁまぁ良いじゃねぇか」 店の主人は口は悪いが性格としては良い奴だったらしい。小さく息を吐き出し溜息を吐いた後、カウンターの上に置いた皿に盛られているポテトの山に手を伸ばす。 「付き合いイイネ、アンタ」 「お客さんの頼みだ、仕方がない」 「そう言うトコ好きよ。嫌いじゃねぇ」 「ドウモ」 中々に心地良いリズムで繰り返される言葉のキャッチボール。それを幾らか楽しんだ後、ヴァルは話題を本題へと切り替えた。 「そう言やぁさぁ……最近、この辺りで流行ってるんだったよな? 変な事件が」 「あ?」 「猟奇殺人っての? 何かほら……こう、さ」 この話題を振ったのは宜しくない。それは店主の反応を見て一発で判った。 「お前……ジャーナリストか何かか?」 先程までは砕けた感じでヴァルと言葉を交わしていた店主の態度は一変。警戒を剥き出しにし身構えると、厳しい口調でそう言いながら静かにカウンターから離れる。 「違げぇよ、そんなんじゃなくて単純に、この町に親父が来てるんだ。仕事で」 それは勿論口から出た出任せにしか過ぎない。 「親父さん?」 「ああ。この前電話があってさ、この町に居るって言われて会いに来たんだけど、その途中で見た新聞に、何か物騒なことが書いてあったから…」 「ああ、そう言うことか」 何処まで本気にしたのかは知らないが、店主は納得するように頷くと困った様な表情を浮かべながら頭を掻いた。 「お前さんの言う通り、今、この町ではやたらと良く人が死ぬ。それは間違いねぇな」 「そっか」 其処でヴァルはふと気になった。 「…もしかして……アンタも、誰かを……無くした…のか…?」 「……ははっ…まぁ……そんなところかな…」 店主が寂しそうに笑いながら肩を竦める。 「妹をな……やられたんだ、その…犯人に…な」 「……そうか…」 伝えられた言葉が重い。簡単に言われた一言だが、その一言は「そうか」などと言う軽い言葉で片付けて良いような物では無いはずだ。しかし、こういう時に何て言ってやればいいのか非常に迷う。ヴァルは余り慰めの言葉を知らない。その言葉がこう言う状況に置いて何の役にも立たないことを知っている分、上手い言葉を見つけることが出来ないのだ。 「別に良いさ。お前さんが悪い訳じゃねぇしな」 そう言って笑う笑顔が何よりも苦しい。本当は色んな感情を外にぶつけたいはずだ。自分の中で淀めく感情はそんなに簡単割り切れる物では無い。それはヴァル自身も経験している事だ。だからこそその気持ちが痛いほど良く判る。 「……俺もさ……良く…判らねぇ事に巻き込まれて……その……お袋と妹を…亡くしたんだよ…昔…」 身の上話をするのはどれくらいだろう。でも、その言葉は自然にヴァルの口から外へと吐き出されていた。 [*前へ][次へ#] [戻る] |