[携帯モード] [URL送信]
02
 事務所の扉を開けて現れた男はバリー・パーシヴァル。短く借り揃えた赤毛の大男で、大雑把に手入れされている顎髭は見る者に少しだらしない印象を与える。顔の割にはぱっちりとした目が特徴で、顔だけならば年齢よりも多少幼く見えないこともない。くすんだダークブルーの繋ぎを身に纏い、靴は当然安全靴。いかにも技術者という格好をしている彼は、先程ヴァルに話しかけてきたミリアの父親である。
「随分と遅かったじゃあないか」
 脱いだグローブをズボンのポケットに突っ込むと、バリーは一度首に掛けていたタオルで汗を拭い冷蔵庫を開ける。
「起きれなかったんでな」
 ヴァルは苦笑を浮かべながら肩を竦めた。
「相変わらず、あの悪夢は見て居るのか?」
 以前、ヴァルの幼い頃から見て居る悪夢の話を聞いたことのあるバリーは、冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターのペットボトルを開封しながら問いかけてきた。ヴァルは素直にそれに頷く。
「ああ。今日も見たよ」
「そうか……大変だな、お前さんも」
 コーヒーメーカーにセットされたポットの中。棚から自分が好んで使うマグを取り出しそれを注ぐ。すっかり冷めてしまっているため、香りは立たない。一口口に含んだ後、ヴァルはそれをデスクに置き椅子に腰掛けた。
「で、仕事って聞いてるか? ブラッド」
「あ?」
 向かいに座るブラッドは遊んでいた携帯ゲーム機から顔を上げると面倒臭そうに頭を掻いて身を起こす。
「まだなーんにも聞いちゃいねぇよ。だからこうやって待機してんだろ?」
「成る程」
 ポケットから取り出した煙草。吸っても良いかと一度確認した後、最近綺麗にしたばかりの灰皿を手繰り寄せ不健康なそれに火を点ける。
「………出来れば今日は、何もせずにそのまま帰りてぇなぁ…」
「……残念ね。それはどうやら無理の様よ」
「……エレナ……」
 首だけ動かし振り返ると、其処には見慣れた姿の一人の女性が立っている。彼女の名前はエレナ・ヴァレンタイン。暗めのワインレッドのスーツを上品に着こなしている彼女は、いかにも仕事の出来る女性という雰囲気を持つ。プラチナに近いブロンドの髪はアップにまとめ、細いシルバーのワイヤーフレームの眼鏡。化粧は控えめだが紅い口紅のせいで少しだけ派手な印象。胸が大きいため歩く度に其処に目が行ってしまうのは仕方がない話だ。そんな彼女は一見すると冷淡な女性というイメージを覚えるが、その表情は見た目に反してとても穏やかであり、思った以上にさっぱりとした性格が幸いして周りから疎遠されることなく、逆に親しまれている。
「お早う、ヴァル」
「はいはい、お早うさん」
 エレナの手でゆらゆらと揺れる一冊のファイルから漂うのは嫌な予感。なるべくそれを見ないようにしながらヴァルは軽く手を振って応えた。
「その様子だと、何を言われるのか判ってる…って感じね?」
「粗方。大体の想像は付くさ」
 どうやら予感は的中したらしい。一瞬だけ陰る表情。それに気付きながらも敢えて見ぬ振りをしたエレナがにっこり微笑んでこう告げた。
「宜しい。ヴァル、ブラッド。ちょっとこれを見て貰えないかしら」
 指名された人間は二人。互いに面倒臭いと目で会話した後机の上に広げられたファイルの方へと視線を移す。
「……刑務所?」
「正しくは収容所ね」
 先ず始めに飛び込んできたのは、『刑務所』という言葉だった。
「この刑務所は今現在は刑務所として機能していないわ。単純に名前を変えただけだから内部システム的にはそんなに変わりがないみたいだけど」
「ふぅん」
「で、この場所が何?」
 溜まった灰を灰皿に落としながら用件をと言葉の催促を促す。
「どうやら居るらしいの。混じり者が」
 穏やかだったエレナの顔から表情が消え、ワントーン低い声でぼそりと呟く。その瞬間、ファイルに目を落としていた二人の男の表情が、一瞬だけ真剣なものへと変化した。
「次にこれを見て頂戴」
 ファイルの頁を捲り取り出したのは一枚の写真。
「げろげろーっ。マジ最悪だな、これ」
 場所はどうやらトイレらしい。だが、普通のトイレの光景とは明らかに違うそれに、ブラッドが舌を出して皮肉を口に出した。
「下に横たわっているのは死体か?」
「そうね。確かにそれは生きている時は人だったものよ」
 ヴァルの指が写真を摘み上げた。改めて見る写真に写された絵。男性用のトイレという空間に在るのは、個室と便器とおびただしい量の血液。そして…原型を止める事のない食いちぎられた肉片と破られた衣服。それから、投げ捨てられた骨だった。
「猟奇殺人って訳じゃねぇの?」
 出来る事なら関わり合いは持ちたくない。そんな態度でそう答えれば、エレナは残念そうに首を横に振る。
「残念ながら、DNA鑑定の結果、人間とは思えない遺伝子の型が検出されたの。それに、遺体には人のものとは思えない歯形が残されていたわ」
「殺された時の凶器は何なんだよ?」
 ブラッドが横から口を挟む。
「それは見つかっていない。遺体の一部は直接手で引き千切られた様な傷跡も残されていたわ」
 そう言いながらエレナが右の手で自分の左肩を切る様なジェスチャを見せる。要するにその部分が引き千切られていたと、彼女は言いたいらしい。
「死因はショック死。出血性のものか、急激なストレスによる心肺停止なのか、詳しい事は聞いていないわ」
「……で、俺達は何をすればいい訳?」
 その質問は非常に愚問だろう。だが出来る事ならこの後に続く言葉は聞きたくない。そんな願いを込めながら口に出した言葉。然し、二人の願いは虚しく、この一言により平穏は呆気なく奪われる。
「当然。貴方たちには此処に入って貰いたいの。この獣を始末するために、ね」
 エレナはにっこり笑ってそう二人に告げた。

「………で、何でこうなってる訳?」
 トラックに揺られぼんやりと外を眺めながら先に口を開いたのはヴァルの方だった。
「仕事だからだろ?」
 口に含んだガムを音を立てながら噛み続けるブラッドが興味無いと言う様にあっさりと答える。
「これって、受刑者みたいで嫌だねー」
「始めてって訳でもねぇじゃん。諦めろよ」
 ブラッドの口の中で柔らかくなったガム。それを舌で押し出すと空気を吹き込み小さな風船を作る。暫くするとそれは音を立てて弾けた。口の外に広がるガムの残骸を丁寧に舌で拭い取ると、ブラッドは再び音を立ててそれを噛み始める。
「潜入捜査って言うと聞こえは良いんだケドよー…」
 外に向けていた視線を向かいに座るブラッドに合わせると、ヴァルは盛大に溜息を吐く。
「だからって手枷・足枷はやり過ぎだと思わねぇか?」
 重たい音を立てて持ち上がる両手は枷で拘束されている。それを見てヴァルは徐に嫌そうな表情を作り溜息を吐いた。
「向こうに着くまでの間だけだろう? 気にすんなよ」
 同意を求めたブラッドは、矢張り興味が無いと言う様にそっぽを向いてしまう。
「お前ってさあ、偶にスゲェって思うよ」
「何で?」
「だって、普通こんなの付けられて喜ぶ奴って滅多に居ねぇじゃん? SMプレイじゃ有るまいし」
 なぁ、アンタもそう思うだろう? 自分の隣に座る男に同意を求めると、男は一度ヴァルに視線を合わせただけで直ぐに目を逸らしてしまう。
「連れないね−、軍人さんって奴は」
「仕事馬鹿なだけだろ?」
「そんなお前も連れないな」
「無駄な話をしてたって仕方ねぇからな」
 最悪な道路状況の中二人を乗せたトラックは進む。
「見ろよ。そろそろ見えてきたぜ」
 ブラッドの声に顔を上げると、彼の言った通り目的地は直ぐ其処まで迫っていた。

[*前へ][次へ#]

2/28ページ

[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!