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EP3-01
 以前好意を寄せていた相手に抱いていたのは、確かに恋心だったのだろう。ただ、それは実に甘酸っぱく何処までもプラトニックなものだった。その様にアシュレーは記憶している。
「……アンタ…しつこすぎっ!!」
「……そうは言ってもなぁ…」
 あれから数千年。今、アシュレーの腕の中にある感触は、あの頃に抱いた柔らかな物とは全く異なっているものだった。
「もう、無理だって!!」
 腕の中で藻掻く相手。確かに、以前も閉じ込めた腕の中で柔らかな存在が藻掻くことはあったとは思う。だが、その抵抗はどこまでも弱く、拘束を緩めれば直ぐに止めてしまうほど小さなものだったはずだ。
「あははは…」
 今腕の中にある存在は、その頃とは異なり抵抗が強い。だからこそ閉じ込めた腕の強さを緩めることができず、代わりにその口を塞ぎ深くするのは口吻である。
 自分がこんな風に一つのものに執着を見せるなんて考えたことはなかった。しかし、今は何よりも、腕の中にある存在を欲しいと求め、つなぎ止めたいと願ってしまう。薄く開いた唇の間から舌をねじ込み、逃げようと藻掻くそれを絡め取り深くしていく。
「んんんっっっっ!!」
 抱き込んだ相手は、何度も腕を振り上げこちらの背を叩いてくるが、その力も少しずつ弱くなって居る事に、果たして気が付いて居るのだろうか。
「…………ぁ……」
 長いそれから解放してやれば、上手く呼吸が出来て居なかったのだろう。失った酸素を求めるようにして浅い呼吸を繰り返すその人が、力なくもたれ掛かってきた。
「おっと」
 触れる温もりが心地よい。もう一度軽く唇を重ねた後、アシュレーは表情を和らげる。
「………なん……なんだよっ……アンタ……」
 ぼんやりと熱に浮かされていた意識が、少しずつ正常に戻ってきたのだろう。腕の中で大人しかったその人は、嫌そうに重ねられた唇を拭うと、アシュレーのことをきつく睨み付けてきた。
「嫌か?」
「嫌に決まってるだろっ!!」
 聞いた問いに対して振り上げられた右手。それは次の瞬間、自分の左頬へと振り下ろされるのかも知れない。何となくそう感じ取ったから次に来る衝撃に備えて瞼を伏せる。
「………ロイ?」
「………ちっ」
 だが、その痛みが頬に走ることは無かった。
「……調子が狂うなぁ……もう……」
 ロイが一瞬だけ見せた攻撃性。しかし、それは直ぐに静まったようで、代わり深い溜息が彼の口からこぼれ落ちる。何だかんだと自分というフリークスを享受してくれるこの人間は、アシュレーにとって随分と奇特な存在であった。
 アシュレーがこのロイという人間と出会ったのは数ヶ月前。随分昔から所有していた自分の領地にある居城に、彼が訪れたことが切っ掛けだった。
 昔からその地方には語り継がれる昔話が一つ存在してた。それは、長い間語られることで少しずつ形を変えていき、ふとした瞬間に大きな尾鰭が付き異なる物語へと変異した。最早原型を留めていないとは言え、元の話を知らぬ人間が多くなってしまっていた事が災いし、その話は人にとって都合が悪いものへと解釈を変えていく。それに対して人々が囁きだした噂は、森の奥にある古城に住まうという化け物の話だ。化け物という言葉が加わることにより、語られる話は更に恐ろしいものへと変化していく。文字というものを用い書き留めることをしなかったというのもあるのだろう。語る人間により印象を変えたそれらは、益々人々に恐怖と疑心を植え付けていった。そうやって作られた怪異はやがて、対フリークス機関への依頼という形で、ハンターの元へと届く。
 その依頼は誰が受けても変わりがないものであった。偶々、都合良く仕事を探していただけ。その依頼を何も考えずに選び、真意を確かめるために派遣された人間がロイで、そうやって訪れたのが、アシュレーの眠る古城だった。時が止まってしまった古城は、来訪者の存在を歓迎する気配など無く、閉ざされた門の先には複雑に絡みついた茨が行く手を遮っていた。
 足を踏み入れた城内に響くのは自分の立てる足音のみ。耳が痛いと感じるほどの静寂のせいで、背筋には怖気が走る。この空間に生きているものの気配は一切無く、何処までも重たく暗い空気がついてのだ。小鳥どころかネズミの一匹すら見かけないその空間に於いて、火という存在はとても有り難いと感じるものだ。そうやって、夜を過ごし、辿り着いたのが西の棟。その最上階に横たえた棺の中に居たのが、アシュレーという吸血鬼だった。
 当初、ロイは他のフリークスと同じように、アシュレーのことをハント対象として認識し、その様に応対を繰り返していた。それもそのはずで、いくら眠っていたとは言え、それが人ではない事は直ぐに判ったのだ。噂通り化け物が其所に居るという事実が確認出来れば十分で、覚醒が見られないのであれば、手早く始末してしまえば良い。そうすれば依頼は簡単に片付ける事が出来ると。しかし、事は簡単に済む話では無かった様で、心臓に杭を打つより早くそれの意識は覚醒してしまったのだ。
 そこから暫く、目覚めた化け物とロイは言葉を交わすことになる。
 ロイの態度が変わった理由は、未だにアシュレーには判らなかった。しかし、あの時に話を聞いてもらったことで、彼は考えをあっさりと変え、何事も無かったように立ち去ろうとアシュレーに背を向ける。部屋から去り際に言われた言葉は『いろいろなことを経験するといい』というもので。伝えたいことだけ伝えると、ロイはそれだけを残し扉の向こう側へと姿を消してしまったのだ。言われた言葉はアシュレーの心に引っかかり、気が付けば相手の事を無意識に追いかけていた。そして城門前で辿り着いたアシュレーが、ロイに強請ったのはたった一つのことである。それに対して彼は困ったように笑いながらも、よろしくとその手を差し伸べ握り返してくれた。あの時に今までの過去と決別し、今こうして新しい世界を見て回っている。その時繋がれた手は未だ離されることは無い。それから色々とあり、有ることが切っ掛けで二人の関係はより複雑で奇妙なものへと変貌していた。
「アンタさぁ、普通に接触するだけでも食事って出来るんじゃ無かったっけ?」
 アシュレーの腕の中。そこに怠そうに収まるロイが零した愚痴。
「俺がアンタに触るだけでエネルギーが得られるって言ってのに、コレって意味なくね?」
「コレとは?」
「キスすること」
「ああ」
 ロイの言いたいことは判る。だからこそ、アシュレーは困ったように眉を下げ微笑むだけで返答を返そうとしない。
「スキンシップが好きだって言うのは何となく判ってはきたけどさぁ……」
 アシュレーという存在は、分類上吸血鬼と呼ばれるフリークスにカテゴライズされている。しかし、彼の食事方法は一般的なものとは少々異なっていた。
 通常、吸血鬼は生物の血液を摂取することで活動エネルギーを得るのだが、アシュレーはと言うと、今まで一度も血液を摂取したことは無かった。昔から引きこもりだったせいか大きな力を使うこともせず、他人と関わりを持つことも殆ど無かったせいで食事の形態が変異したようで、その結果、彼は他者に接触することで活動エネルギーを得ることが出来るようになったのだという。その方法は何も特別な手法をとる必要は無くただ手を繋ぐだけでもそれを行うことが可能で、人の肉を喰らったり、性行を行う必要などは一切無い。その上、人が摂取する一般的な食事でも生命維持は可能のため、実に低燃費な化け物というわけである。
「得られるエネルギー量が接触の度合いによって異なるんだろ? そもそも、アンタってさぁ、そんなに生体エネルギーの摂取を必要としてないよな? じゃあ何で……」
 出会って未だ数ヶ月ではあるが、少しずつ理解はしてもらえているらしい自分の体質。それは、彼と共に過ごす事を決めた時点でアシュレーの方から少しずつ伝えていたことではあるが、ロイの方から興味を持って質問されることも多い。今まで、このように興味を持って接してくれた人間を一人だけしか知らないアシュレーにとって、ロイのそういった反応は素直に嬉しいと感じてしまう。だからこそ、彼に嫌がられないようにと選んだ言葉に対しての矛盾は、確かに存在はしていた。其所を指摘されてしまうのも仕方が無いことなのだろう。
「何でと言われてもなぁ……」
 ロイの言う通り、生命維持活動の臨界点に近い状態に陥ったり、一時的な力の解放や暴走が起こらない限り、アシュレーが他者からエネルギーを摂取する必要は限りなく低いのは否定出来ない。それでも、目の前の人物に触れていたいと思ってしまうのは、其所に邪な感情が存在しているからだった。
 たった一度の過ち。
 ロイはそう言って嫌そうに表情を歪めはしたが、それを過ちだと片付ける事は、アシュレーには出来そうにない。だからこそ、その感触を忘れたくないと、目の前の人間の温もりを求めるように手を伸ばしてしまう。
「その理由は言わないと駄目なものなのか?」
 ゆっくりと伏せる瞼。閉ざされた視界に広がる闇に小さく溜息が漏れる。思い出すのは数日前の出来事。それは未だ新しい記憶で、鮮明に思い出すことが出来る映像である。
 あれは確かに事故だったのだろう。
 前回の依頼で起こった予想外の出来事。それにより、不本意ながら重ねた体の関係。勿論、互いに恋愛対象は異性と言うことになっていたはずだが、あの時はソレが一番手っ取り早い解決方法だと同意の上で行った行為。それに対して思うことは面白いほど正反対のもので。飼い犬に手を噛まれた様なものだと忘れたがるロイに対し、触れた温もりの心地よさを手放したくないと求めるのはアシュレーである。それは多分、彼が長いこと孤独の中に身を置いていた事にも関係はしているのだろう。
「……………………」
 アシュレーの方から口を開く気配はない。それはロイにも何となく判ってはいた。理由なんて本当は気付いている。それでもその感情は間違っているのだとロイは思う。
「誰かに触れていたいんなら、もっとお似合いの相手を探しゃいいのに」
 そう。アシュレーが良く言葉にする名を持つ女性のような相手を。
「別に俺は構わねぇぜ? 俺と旅を続ける必要なんて何処にもねぇんだからさぁ」
 それは厭味などでは無く本心から呟いた言葉だった。

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