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01
 奇妙な夢を見ていのだと思う。
 だが、目覚めてみれば何を見たのかさっぱり覚えて居なかった。
「…………ぅ……んっ……」
 気が付いたら、薄暗い部屋に一人。ぼんやりとした意識で辺りを見渡し、此処が何処であるのかを把握する。
「教……室?」
 変な姿勢で寝ていたせいで体は痛みを訴えているようで、普段痛みを感じない部分に感じた痛み。緊張していた筋肉を解すように一度背を伸ばして席から立つと、机の脇に掛けていた鞄を掴み教室から出た。窓の外に広がるのは夕闇。灯りの少ない廊下は黄昏れ色に染まっている。しんと静まりかえった校舎には人の気配が無く酷く静かだ。それに心許なさを感じ、自然と動かす足の速度は上がる。何気なくグラウンドへ視線を動かせば、まだ部活動をしている人間が数人残っているようで、片付けをするために動く人の姿が目に止まる。自分以外の存在が在ることが判った事で得られる安堵感。しかし、自分と彼らとの距離は、未だ随分遠いものだった。相変わらずこの空間は音がない。少しずつ空から茜が消え紺に塗り替えられていけば、窓から入る日の光も弱くなり闇がゆっくりと忍び寄る。もう少しで階下へ降りることの出来る階段が見えてくるはずだ。『廊下を走ってはいけません』。そう書かれているポスターは無視し、目的地へ向かって速度を速めた。
 漸く辿り着いた階段を、駆け足で一気に降りると、急いで玄関ホールを抜ける。扉を開けた事で、温い空気が肌を掠める。七月に入ったばかりだと言うのに空気が重い。過ぎたばかりの梅雨の気配は、まだ完全に消えていないのかも知れない。それにしても、妙な違和感があるような気がしたが、この時はあまり考えては居なかった。
「お疲れ様でした!」
 グラウンドに響く声。運動部の人間を眺めながら校門を出る。毎日歩くこの道は、普段ならそんなに長いと感じることはないが、今日は寝起きのため家が遠い。早く帰りたいと思いながらも、コンビニエンスストアの前に着くいたところで買っていた雑誌の発売日が昨日だったことを思い出し、店内へと足を踏み入れる。
 コンビニエンスストアの中は外の暑さと打って変わり、業務用クーラーが元気に稼働しているせいで、若干肌寒いと感じてしまう。目的のものは決まっているため、雑誌のブースに立ち寄り目当ての雑誌を手に取る。その他にペットボトルと軽く摘めるジャンクフードを買うと、再び温い外へと出た。
「なーご」
 外へ出ると、黒猫が一匹。それは小さく鳴いて真っ直ぐにこちらに近づいてくる。足下まで来たと同時に、体を擦り寄せ喉を鳴らす。人に対して警戒心と言うものがないのだろう。コンビニの前などには良くいる、『食べ物を買った客をターゲットにする猫』ってやつだ。
「あっちに行けよ」
 野良猫に構っている暇は無い。足で追い払おうとしたが、猫は諦めることなく、青年の足に体を擦り寄せる。暫く攻防戦を繰り返していたが、猫は諦める様子が無いので、結局青年の方が折れた。
「仕方ねーなぁ…」
 吐き出された溜息。多分この猫は、食べ物を貰わない限り諦めることをしないのだろう。手に入れたばかりの戦利品を分け与えるのは悔しかったが、店員から見えない位置に移動すると、コンビニの袋から唐揚げを数個取り出して地面に置いてやる。
「新商品で、まだ俺も食べてねーんだぞ…」
 当然、猫は青年の呟きなど聞いていない。目の前に現れた食べ物に夢中で食らいついているから非常に現金だ。
「味わって食べろよ。じゃーな」
 猫が食べ物に気を取られているのを確認して、青年はそっと猫の側を離れた。これ以上何かを催促されても困るから。そんな理由でだった。

「ありがとう」
「…えっ?」

 コンビニを背に歩き出した瞬間、背後からそう言葉をかけられる。慌てて後ろを振り返るが、当然其所には誰もいるはずがない。青年の背後にいるのは一匹の黒猫だけ。黒猫は一度「なーん」と鳴いてから、再び目の前で匂いを放つ食べ物に食らいついた。
「…まさか…な」
 一瞬、猫がお礼を言ったのかと青年は思った。いや。鳴いたのだから、お礼は言っているのだろう。それがまさか、人間の言葉で聞こえる気がするとは。笑えないにも程がある。左右に頭を振って馬鹿な考えを振り切ると、青年は家路を急いだ。
 余り聞き慣れない音が耳に届いたのは公園に差し掛かった時だった。
 帰宅路の途中にある児童公園に点る街灯。もう夜の帷が降りる時間のため、当然人気はあるはずが無い。実際は近道をしようと公園を歩く人も居はするから、全く人の気配が無いわけでは無いのだが、それでもその音は、あまりにも違和感のあるものだった。
 それに気が付くと気になって仕方が無い。一体何の音だろうと耳を澄ませ気配を探る。どうやらそれは、時計の音らしい。普段から良く聞く音では無かったが、直感的にそれだと分かった。
 音の正体が分かったところで、今一度辺りを見回してみることにする。しかし、残念なことにその音が出るようなものは何一つ見あたらない。公園に時計はないし、携帯が普及した現在、アナログ時計を持ち歩く人も少なくなっただろう。そもそも、青年の目の付く範囲に人の気配が全く無いのだ。それでは一体この音はどこから…そんなことを考えていたら、視界の端を白い影が過ぎった。
「……?」
 無意識に影が見えた辺りに視線を移す。
 別段、さっきと変わる所は無いように思うが念のためにと。
「っ!?」
 暫く目を凝らして見ていると、信じられないモノが目に飛び込んできた。
「急がなきゃ…急がなきゃ…」
 二足歩行の兎が、金の時計を見ながらそんな事を呟いている。夢でも見ているのだろうか。青年は自分の目を疑い軽く太股を抓ってみた。確かに其処から伝わる痛み。どうやら夢ではなさそうである。
 兎はさっきから「急がなきゃ」という言葉を繰り返しながら何かを必死に探している。
「…疲れて居るんだな…帰ろう」
 何も見なかったことにしてその場を後にしよう。青年はそう判断し公園のゲートから離れさっさと帰宅することにして歩き出した。しかし、少し歩いたところで違和感に気が付き足を止める。
「あれ?」
 確かにあの時、公園のゲートを無視していつもの帰宅路に着いたはずだ。それはしっかりと記憶にある。だが、気が付くと青年の体は自分の意志とは関係なく公園の中に足を踏み入れていた。
 足が自然と兎に近付く。兎はまだ気付かない。
 手を伸ばせば兎が掴める…という距離に来て、兎が急に後ろを振り返った。
「やっと見つけた。遅いじゃないか“アリス”」
 兎の目尻が下がり、口が奇妙に吊り上がる。兎ってこんなに怖い笑い方をするのかと、青年は驚く。
「さぁ、急ごう。遅刻したら首を撥ねられてしまうよ」
 兎が持っていた懐中時計を首から下げると、小さく跳ねて茂みに消える。
「一体なんだって言うんだ…“アリス”って何だ?」
 青年が小さく呟く。頭では、今起こった事が上手く理解出来ていない。だが、体は何かに導かれるように、兎の後を追っていた。それは自分の意志などではなく、見えない大きな力に導かれるような印象を受ける。
 兎の後を追って茂みを歩いていると、不意に開けた場所に出た。緑の芝生と一本の木。
「こっちだ、急いで」
 兎は小さな木の虚に吸い込まれるようにして消える。
「急げって言ったって…」
 青年は木の前まで来て溜息を吐く。虚の大きさは、どう考えても人が通れる大きさじゃない。どうやってこの中に入れと言って居るのだろう。
「ってか、そもそも、兎が喋るなんておかしいだろ!!」
 今、目の前で起こった不可解な現象を何とか理屈で納得しようと唸っていると、突然足下がぐらついた。何事かと思った瞬間、地面がボロボロと崩れ、大きな穴が開く。
「は?」
 言葉を漏らす暇など無い。青年は足下に出来た大きな穴に、吸い込まれるようにして落ちていった。

 奈落に吸い込まれるっていうのはこういう感じなんだろうか。青年はぼんやりと考える。この穴の先に何が有るのか始めは考えられなかったが、次第に頭が回転し始めてくると、段々不安の方が大きくなってきた。この穴の先が無限で底がなかったらどうしよう。ずっとずっと暗闇の中で降下し続ける恐怖。その感覚は割と怖いと感じる。反対に底が有った場合はどうだろう。深さがある以上、骨折などでは済まないだろう。下手したら即死である。
 しかし、降下は実に緩やかな速度で下へ下へと続いていた。青年の考えを嘲笑うかのように身体は重力に逆らわずどんどん暗闇の中へと落ちていく。
 どのくらい落ちたのだろう。周りはすっかり真っ黒に染まってしまった。上も下も左も右も。前も後ろも真っ黒で。何が何処にあるのかもさっぱり判らず、落ちているのか止まっているのかすら判らない。重力の関係で物体は上から下へ落ちると決まっているが、今はただ黒い空間に浮いている。まさにそんな感じだった。
「…もしかして俺、まだ教室で寝てるんだろうか?」
 何時までこの降下現象は続くのだろう。特にすることがないから、青年は帰宅途中に起こったことを一から整理してみることにする。
 まず、最初は教室で寝ていた。何時から寝ていたのかは判らないが、起きた時には教室に誰もいなかった。何で誰も起こしてくれなかったんだろう。明日学校言ったら、文句言ってやろうと青年は思う。
 運動部の部員はまだ部活頑張事を思い出す。青年が帰宅してから後数十分もしたら、彼等もきっと家に帰るのだろう。学校から出てからは、数日前に発売だった雑誌をまだ買ってなかったことを思い出し、コンビニへと立ち寄った。早めに気付いて良かったと青年は胸を撫で下ろす。その時に買ったジャンクフードとペットボトルの中身を思い出し思わず苦笑。それらは既に温くなってしまっていることだろう。

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