14 のんびりと風呂に入る習慣は元より無い。最近はノアの身体を洗う為に少しだけ長くなりはしたが、自分一人の時は汗と汚れが簡単に流せればそれで十分ではある。時間の掛からないシャワータイムを終えると、簡単に身体に付いた水気を拭い、ライアンは頭にタオルを被せて廊下に出た。そのままリビングに向かうと、ソファの上にちょこんと座るノアの後ろ姿を見つける。 「ライアン?」 「ん。お待たせ」 軽く頭を撫でると、まだ髪はしっとりと濡れたまま。 「ちゃんと乾かさないと風邪引くだろ?」 肩に掛けられていたタオルを奪うと後ろから被せ乱暴に手を動かし始める。 「うわっ!」 「ほーら、暴れない。大人しくしてろって」 弱い抵抗は見せられるがそれを気にせずに手を動かし続ける。水気を奪っていくタオル。ある程度乾いたところでもう一度手櫛で髪を梳きそっとそれに口付けた。 「後でドライヤー当てような」 「……其処までしてくれなくても良いのに…」 「良いの。俺がしたくてしてることだし」 時刻は夜の十時を過ぎた頃。 「さて…と。どうする?」 「何が?」 自分の髪で遊ぶライアンの手をくすぐったがるように身を捩りながらノアは問う。 「これから何をするかってこと」 生憎、昼寝とも呼べない昼寝をしてしまったせいで眠気は殆どない。これでもかというくらいしっかりと覚醒した頭。 「後二時間ちょっとで眠くなると思えるか?」 自分はそんな状態だ。そうライアンが訴えると、ノアは少し考えてから「確かに」と答えた。 「まぁ、元々仕事の時間には都合が付くから、別にコレといって支障があるわけじゃねぇけどもな」 言いながら一度ソファから腰を浮かせて手を伸ばす。掴み取ったのはテレビのリモコン。電源ボタンを押せば小さな電子音を鳴らして徐々に明るくなる画面。 「テレビ?」 「そう。音が有った方が賑やかだろ?」 「どうだろう?」 ノアにしてみればテレビの必要性は余り分からなかった。ライアンが来るまでリビングにあったテレビの電源が入ることは指を折って数えられる程度しかなかったし、自分自身が必要だと思って電源キーを押したこともない。確かに音は無いよりあった方が賑やかだが、長い間一人の生活を送っていたせいか、静かな空間に長時間居てもさほど苦痛だとは感じないせいだろう。 「俺は賑やかな方が好きなんだよ」 ライアンの言った何気ない一言。 「……賑やかな方が……好き…」 自分とは正反対の価値観に感じた壁。 「そう…だよな…普通は賑やかな方がいいに決まってるよな…」 ライアンにはノアの知らない世界が沢山ある。自分にとっては必要の無いことでも、ライアンにとっては必要だと感じることは決して少なくはない。只の娯楽一つにしたってこの様だ。 「気づいてあげられなくてごめん」 時には一歩後に引き、相手の事を尊重する事も大事。何時もは自分を優先して貰っているからこそ、こういうとき位は自分が遠慮しなければいけないんだとノアは頷く。 「何のことだ?」 ライアンはと言うと、実はあまり不覚は考えてなどいなかった。テレビがどうしても見たかった訳ではない。強いて言えば、話題作りになるかな程度。若しくは、会話がとぎれたときの為の何かでしかなく、ノアの存在を無視してまでテレビを選ぶつもりは毛頭無かった。だからこのノアの行動はまたしても予想外で面食らってしまう。 「何でもねぇよっ」 少しだけいじけた態度で言われた台詞には少しだけ涙声が混ざる。今度は何だと考えて、何となく原因が分かって苦笑。 「馬鹿だなぁ、お前」 ライアンの腕がノアの肩に回り軽く力が入れば、簡単にノアの身体はライアンの方へと傾いた。 「テレビにも嫉妬しちまう? ただ電源入れただけだろ?」 「っ!?」 悔しそうに唇を噛んでライアンから顔を逸らすノアが、腕の中で小さく暴れた。もう、なにをされても可愛くて仕方なくて思わずにやけてしまう顔。 「俺が、ノアの事を放って置けるわけねぇだろ?」 足りないと言うのならもっと構い倒してあげる。ノアが何か言い掛けたのを無理やりキスをする事で止め、しつこいくらいにそれを貪りながら優しく背中を撫で続ける。高ぶっていた感情が鎮まると借りてきた猫のように大人しくなるノアが、離れるのを嫌がるように抱きつき何度もキスを強請られた。 「落ち着いたか?」 もう一度啄むように口付けてからライアンは身体を離す。 「…なん…でっ」 結局は何時も通り甘やかされている現在の状況。折角の覚悟も水の泡になってしまった。 「俺のためにって思うんなら、もっと甘えて欲しいんだって」 「…………どうし…て…」 何時だって優先されるのは自分の方で。それはとても嬉しいとは感じているが、本当にそれで良いのかと不安にもなる。 「俺に気を遣う必要はねぇぞ」 ノアが言いたいことを感じ取ったのだろう。呆れた様な声で囁かれる言葉。 「もっと独占したって良いんだぜ。お前の為だけに俺は此処に居るんだ。お前が必要としないんなら、俺がこの場所に居る意味が無くなっちまうだろう?」 だからもっと我が儘を言って欲しい。それは何時だって思い続けている小さな願い。 「我慢なんてするな。ほら、言ってみろ? 俺に何をして欲しい?」 「………っこ…」 「ん?」 言い難そうに淀む声。それを許さないとライアンはもう一度問い掛ける。 「抱きしめて…ほし…」 「うん。それから?」 言われた通り腰に手を回すと、自分の膝に乗せるようにしてノアの身体を抱きしめる。 「キスして…ほしいっ」 「了解」 音を立てて触れるだけのキス。 「で?」 「何がっ!」 「本当に、これだけでノアは満足?」 そう言ってやると再びノアの顔が真っ赤に染まった。本気で恥ずかしいと逃げるように顔を伏せる。 「もっと欲張っても良いんだぜ? ほら、言ってみろって。他に何が欲しい?」 まるで誘導されているかのような何か。煽るようにライアンの手がノアの尻を撫でる。 「ひっ」 「欲しい物を言えって」 追い詰められていく、心も身体も。一つずつ退路を断たれ、選択肢を狭まれて身動きが取れない。だから最終的には目の前の人間にしがみつき、その人が欲しいと思って居る強請られた言葉を吐き出すしかなくなってしまう。 「あん…たがほしいっ!」 訳が判らず溢れ出た涙。しがみついてこれ以上溢れ出ないように堪えたノアの事を、あやすようにライアンは頭を撫でた。 「良く出来ました」 こんな方法は狡いって事くらいきちんと理解はしている。 「ごめんな。泣かせちまった」 それでも、自分の事で泣いたり笑ったりして貰えることが嬉しい。 「俺はお前だけの物だよ。だから気兼ねなく甘えて良いんだって」 我慢なんてして欲しく無い。何時だって無意識に浮かべられる辛そうな表情には気が付いているのだから。 「自分の気持ちに正直になりなさいな。俺の前では我慢するの禁止な!」 「ぅ……ぁ……」 誰に対しても開けなかった最後の扉。ノアの中で何かが音を立てて壊れたと同時に、大きな泣き声が部屋中に響き渡った。 [*前へ][次へ#] [戻る] |