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10
「それじゃあ、家に帰りますか」
 駐車場スペースから動き出す愛車は駐車場の出入り口を目指して進み出す。
「何時もと何か違うね」
「そうかな?」
「うん。ライアンがとっても近い」
 視力がないためノアは景色を楽しむことは出来ない。向けられた顔。嬉しそうに微笑まれた表情。
「ライアンの声が隣から聞こえてくるのが楽しい。もっと早く此処に座りたいって言えば良かった」
「そうだな」
 もし、今の愛車が廃車になったら次はオートマティックに買い換えよう。そうすればギアを握る手を遊ばせることが出来る。運転中に手を握ることは危ないとは判ってはいるが、信号で停車したときに手を繋ぐ時間はマニュアルよりも長く取れるんじゃないかなんて。一人そんなことを考えながら目指すは二人で暮らすノアの家。
「また、一緒に買い物に行きたいな。連れて行ってくれる? ライアン」
「ああ、勿論だとも」

「着い……た!」
 鍵を外しドアを開けたところで、ライアンは一度身体をずらしてノアに道を譲る。
「さぁ、どうぞ」
「?」
「先に入れよ」
 それを断る理由もないためノアは素直に従い家の中へと足を踏み入れた。
「一度荷物を置いてくるから」
 遅れて入ってきたライアンが鍵を掛けながらそう言った後、ノアに軽く口付けてキッチンへと向かう。
「…………」
 置いて行かれるのは嫌だ。介助犬に指示を出し、ノアもライアンの後を追ってキッチンへと向かった。
「ライアン?」
「ん?」
 テーブルのあるであろう位置から小さな音が聞こえてくる。どうやら袋の中に手を突っ込み買ってきた品物を取り出しているところらしい。
「疲れてるだろ? 先にリビングに行ってると良い。俺もこれを片付けたら直ぐに行くから」
 それを最後に途切れる会話。自分から注意が逸れたことが寂しくノアは俯き溜息を吐く。握っていたハーネスから離れる手。杖をつきながら歩き出したノアがそっとライアンの傍に立った。
「え?」
 ふわりと動く空気に驚くと同時。腕を上げたノアに横から抱きつかれ、ジャムの瓶を持ったままライアンは固まる。
「どうしたんだよ? ノア」
「こうしたかったからそうしただけ」
 離れたくないというように力の籠もる腕。頭を擦り寄せて甘えてくるノアが安心したように零す吐息。
「ライアン充電してる。やっと抱きつけた」
 傍に居るだけじゃ物足りない。だからといって、手を繋いだだけでは満たされない。もっと近くに有りたいと無意識に探す相手の存在。今は閉ざされた空間の中だ、誰にも遠慮することなく好きな人に甘えることが出来る時間。
「ライアン」
 腕の力を緩めノアは一度顔を上げる。
「大好きだよ」
 右手を挙げてライアンの顔が何処にあるかを指先で確認すると、今度はノアの方からライアンへと軽く頬に口付けた。
「ん。満足出来た」
 ノアは気紛れ。満たされるとあっさりと離される両腕。杖を握り直して背を向けると、リビングへ行っていると残しその場を後にしようとする。
「ノアっ!」
 今度は無意識にライアンが動いた。素早く伸ばした手が逃げていこうとするノアの腕を掴み引き留めると、背後に立ちそっと抱きしめる。
「一方的に充電はフェアじゃねぇだろ? 俺も…ノアを充電したい…」
 ノアが我慢していた以上にライアンだってノアに必要以上に触れる事を我慢していたのだ。突然のカウンターに自制心が保てるはずもない。
「くすくす」
「何だよ」
 抱きしめた腕の中でノアが肩を震わせて笑い声を零す。
「甘えん坊」
 声に含まれたからかい。それに口を尖らせて拗ねて見せたライアンが、ノアの肩に頭を付け抱擁を強くする。
「お前だって一緒だろう? お前に言われたくないよ」
「そうだね。もしかしたら俺の方がライアン以上に甘えたがりなのかも知れないしね」
 少し後ろに傾いてノアは背後に居るライアンへと自分の身体を預けた。臍よりも僅かに上の位置にあるライアンの腕に力が籠もる。背中から感じる体温は自分より少し高め。耳元で聞こえてくる呼吸音。目で相手の姿を見ることは叶わなくとも、こうやって触れる事で感じられる存在の暖かさは何時だって心地良い。
「好きだよ、ノア」
「うん、知ってる」
 自分以外の家族が消えた時以来、自分は世の中から必要とされていないと思っていた。でも、今は自分の事をこうやって抱きしめてくれるたった一人の人間が、自分がこうして甘える事を喜んでくれる。
「ずっと一緒に居ような」
 自分の事は一切明かさない不思議な人。しかし、その人がこうやって自分を求めて小さなお強請りをしてくるのがとても好き。
「ライアンがそうしたいって言うんなライアンいよ」
「それじゃあ答えになってない」
 曖昧な返答に返される不機嫌な声のトーン。どうやら少し機嫌を損ねてしまったようだ。
「ノア自身は俺と一緒に居たくないのか? 俺が居ると嫌?」
 子供みたいな自己主張。それに対してどう答えてやれば相手が喜ぶのかは判っている。
「そんなこと聞かなくても判るだろ?」
 でも悔しいから直接言葉にして言うことはしない。
「聞かないと判らねぇよ。だって俺、馬鹿だもん」
 どうしてもノアの口から言わせたいらしい。ライアンはもう一度甘えるようにしてノアに同じ質問を投げる。
「ノアは俺と一緒に居たい? 居たくない?」
「俺はね…」
 そんなの答えはたった一つ。
「ライアンが死ぬまでずっと一緒に居たい」
「……そ……っか…」
 他の人なんて必要無かった。何故ならノアの世界はとても狭くて小さいから。余り人との交流もないため小さなコミュニティの中にすら属さない。はみ出し物で顔のない人間。でも、そんなノアもライアンの前だけは『ノア』という一人の人間として対等に向き合うことが出来る。
「ライアンの全てが好き」
 唐突に言う告白。何時何を言うかなんて思いついた時次第。
「ライアンの髪も顔も、肩も胸も腕も手も腹も足も。声も仕草も何もかも。セックスしたときに中に挿入れて貰えるライアンのペニスだって好きだし、キスも愛撫も全部が全部。こうして甘えてきたり、突然格好良くなったり。少しだけ怒ったように話す口調も、楽しそうに笑う事も。本を読んでくれるときの柔らかな空気も、ライアンが纏う空気や雰囲気も。俺はね、ライアンの全部が好きなんだ」
 伏せた顔。しかし其処に哀しみの色はない。何故なら肩が小さく揺れ、口元から微かな笑い声が響いているのだから。
「ライアンという存在が好きだ。俺が大好きなライアン。だからずっと一緒に居たい。ライアンが世界中で一番好きだよ」
「………っっ」
 今まで何度も問いかけた問いにいきなり返された素直な返答。世界中で一番という言葉に胸が詰まり目頭が熱くなる。
「ごめんな…ノア」
「何で?」
 ごめんなさいという言葉は余り好きじゃない。其処に不安を感じてしまうから。だからノアは哀しそうな表情を浮かべて振り返ろうと小さく藻掻く。
「でも、俺……もうお前を手放したくないんだ」
 貰ってしまった本当の気持ち。それを受け取ってしまった今、もう完全に腕の中の存在を諦めることは不可能になってしまった。自分が彼を捕らえる度に、いつかは来るであろう結末に感じる不安と恐怖が大きくなる。小さな天秤に掛けられた二つの錘。それは今は均等にバランスを保ってはいるが、いつかはどちらかに傾いてしまうのだろう。そこでライアンは予測する。これは確実に悪い方向に倒れるんだと。
「判ってはいる。それでも、俺はお前と一緒に居たい。お前の傍に居られることが俺にとっては幸せなんだ。頼む……少しだけで良いから、お前の時間を俺にください」
「少しだけなんて言うな!!」
 突然響いた怒鳴り声。驚たライアンがノアの背中に埋めていた頭を上げ目を見開く。
「そんな風に言うライアンなんて大嫌いだ!」
 先程までの甘い空気は一転。必死に首を振り何かを否定するような動きをするノアの声に含まれ始めた嗚咽。
「アンタにとって、俺の傍に居る時間が幸せなんだろ!? 俺だってアンタと同じ様にアンタの傍に居る時間が幸せなんだ! 何で離れていこうとするんだよ!! 好きだって言うんなら、ちゃんと傍に居てよ……ライアンっ…」
 振り返ることは叶わないから、自分の腹に回された腕を掴み握り込む。そんなことを言って欲しくて自分の気持ちを伝えた訳じゃない。そんな風にノアは涙を流す。
「ライアンの傍に居たいって俺はちゃんと言った……傍に居させてよ…お願いだから…」
 結局はまたノアを泣かせる結果になってしまった自分の軽率な発言に、ライアンは悔しそうに顔を歪める。何時だって不器用なのだ。そうなって欲しいと誰も望みはしないのに、最悪な事ばかりが頭を過ぎり、相手を傷つけることしかできない自分が嫌になる。
「ごめん」
 ごめんなさいは嫌い。ノアはそう言って首を振った。
「なら、どう言えばノアは安心してくれる?」
 出来る事なら泣き止んで欲しい。ノアに欲しい物は何だと問いかければ、はっきりとした言葉でたった一言。
「もうこんな事はしないって約束して」
 その言葉の後に強請られたキスは、まるでその約束を神聖なものに変える行為の様な気がして少しだけ胸が痛んだ。

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