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08
 顎に指を差し込み顔を持ち上げると、何時ものように唇を重ねる。
「んっ……ん」
 絶対に拒むことをしないノアが、ライアンのシャツを軽く握り、自分から舌を絡めてキスを貪ってきた。これは珍しいとライアンは瞼を開きまじまじとノアの顔を見つめる。
「………はぁ……」
 ゆっくりと引き抜かれる舌。ノアの顔が動きライアンとの距離が少しだけ開く。
「……ん。ライアンとキスするの好きだな、やっぱり」
 濡れた唇を指でなぞりながら呟いた言葉。
「もう一回」
 再びノアから唇を重ねられ今度はライアンも素直に目を伏せた。

 住む世界の異なる二人の人間。その運命は小さな偶然により交差する。そこで出来た一つの点。二本に伸びたラインが複雑に絡み合う。まるでほつれた糸のように一つの塊となった互いの時間。
 片方は表にいる人間に安らぎを求め手を伸ばす。片方は裏にいる人間に生きる意味を求めて歩み寄る。埋まらない溝は確かに目の前にあるが、それに目を背け肩を寄せ合う様は、他人の目から見れば非常に滑稽に映ることだろう。それでも、当人達はそんなことを気にすることはない。
 簡易的に作った繭の中の世界で手に入れたのは陽炎のような儚い幸せという時間なのかもしれない。

「もう、カートに入れた?」
 場所はスーパーマーケット。ルーティに付けたハーネスを握りながらノアは問いかける。
「ん、もうちょっと待って」
 時刻的にまだ昼を少し過ぎたところ。休日のせいか人がかなり多いその場に二人の男と一匹の犬が買い物を続ける異様な光景があった。
「こっちかな?」
 手に持った二本のミルクパックを比べていたライアンが漸くどちらを取るかを決めたように声を上げる。
「そんなに悩むんなら、どっちも買えばいいのに」
「駄目駄目。使えないで腐らせるのは勿体ないだろう?」
 次の買い物をとカートを押し先を歩くライアンの後を、介助犬に指示を出しながらノアが追う。端から見ればどことなく雰囲気の似ている二人。きっと他人の目からは兄弟だと思われていることだろう。この二人が恋人同士であることは誰も知らない。
「今日は何を作るの?」
「んー? ああ、シチューにでもすっかなと思ってさ」
 滅多にまともな料理が出来なくとも、幾つか作れるレパートリーは確かに存在する。その中の一つがシチューという料理。
「シチューか。うん、あれ好き」
「おっ? 本気で?」
 今日のメニューに頷き肯定的に答えたノアに、ライアンの声が弾む。
「それじゃあ、張り切って作る事にしよう」
 隣で聞こえ始めた弾むようなメロディ。矢張り音がどこか外れている事にノアはクスクスと笑い出す。
「何? またずれてる?」
「うん。結構大きく」
 ライアンの音痴。そう言ってノアが笑うから、ライアンは拗ねたように口を尖らせた後、ノアの肩を抱き寄せ頭にぐりぐりと拳を当て僅かばかりの反撃を試みた。
「痛いっ! 何すんだよ!!」
「ノアが音痴っていうから傷ついた。どうせ俺は歌が下手ですよーっだ!」
 まるで子供のような反応に思わず唖然と固まる。
「……怒った?」
「別に」
 別にと答える割には半トーン低い声のキー。
「嘘。拗ねてるでしょ?」
 そう言ってやると、少しだけライアンの纏う空気が動いた。
「…ライアン?」
「…ったく…お前には負けるよ」
 気が付かないうちに少しだけ本気になっていた事に気が付き、ライアンは乱暴に頭を掻く。明らかに変わってしまった雰囲気。僅かな心の変化も敏感に感じ取れるせいか、ノアは小さな不安に囚われる。
「どうしたのさ?」
「……お前と一緒に居ると、何かどんどん自分が餓鬼になっていくみたいだ」
 とても小さな声で響いた乾いた笑い声。
「…それは…嫌な事なのか?」
 自分が共にいるとライアンに悪い影響を与えているのだろうか。目に見えない不安の形が先程よりも大きくなり揺らぐ。
「んー…寧ろ逆だな」
「逆?」
 気配が動き突然髪に暖かな温度が触れた。それがライアンの手だと理解した瞬間、柔らかく頭を撫でられる。
「無理に気を張る必要がないから、何処までも自然体で居られる。何か…自分で居られるから気を遣わなくて良くて心地良いよ」
「そう」
 不安の後の安心感。ライアンに拒まれる訳ではなかった様でノアはそっと胸を撫で下ろした。
「それじゃあ、シチューの材料を買ってさっさと帰ろうぜ。今日は家でのんびりしようや」
「そうだね」
 ライアンの押すカートの車輪の音を耳で捉えながら、ノアはハーネスを握り直し介助犬に指示を出す。ノアを補佐する相棒は何時だって頼もしい。彼のリズムに合わせて的確な指示を出し彼が動きやすいように素早く動く。
 必要な材料は家にストックのない消耗品。野菜に肉に切れた小麦粉。
「ローリエはまだ余っていたよな?」
「多分?」
「スパイスは…」
「この前ライアンが買ってきた物が半分以上残ってるよ、瓶の重さが余り変わってなかった」
「タイムはどうだっけ?」
「多分無かったから買って置いた方が良いよ」
「そっか。なら、タイムは補充。後は…パンを買ったら終わりかな?」
 カートの中にある物を軽くチェックした後、再び移動を開始する。
「……あっ! そうだ」
 歩いている途中でノアが突然足を止めた。
「ん? どうしたんだ? ノア」
「もう一つ、買っても良い?」
 別に財布を完全に管理しているのはライアンではない。だから改めて何かを購入しても良いかとライアンに確認することは必要は無いはずなのに、何故かノアは物を買っても良いかとライアンに問う。
「問題はねぇけど…」
 一体何を買うのだろう。不思議に思い首を傾げると、ノアは暫く顎に手を当てて考え、ゆっくりと足を動かし始めた。
「………?」
 カートを押しながらノアの後を追う。小さく何かを呟いているのが気になりそっと耳をそば立てれば、自分の歩調に合わせて数を数えているのだと言うことに気が付いた。それがもう暫く続いた後、突然介助犬の足が止まりノアも立ち止まる。
「えっと…」
 そっと手を伸ばしてノアは棚を触る。自分の目線の高さが基準なのだろうか。上から順に軽く棚の縁に触れ数を数えた後、二段目の棚に手を戻し商品の袋に触れた。
「ライアン。この商品は何?」
「ん? ああ、これは…」
 受け取った袋は手頃なサイズのマフィンが幾つか入ったパッケージ。
「マフィンのパッケージだな」
「ふぅん…」
 そこで一度ノアは何かを考える。
「味は?」
「えっと…」
 今度は味を聞かれパッケージをひっくり返し成分表をチェックし答えた。
「プレーンだ」
「他に種類はある?」
「そうだな…」
 パッケージから視線を離すと棚を眺めて種類を言う。
「チョコチップとチーズ、それからレーズン…かな?」
「なら、チョコチップとチーズがいいかな?」
「ん? 了解」
 持っていたプレーンマフィンのパッケージを棚に戻すと代わりにチョコチップとチーズのパッケージを掴みカートの中へと放り込む。
「他にはあるか?」
「そうだね…」
 ライアンの質問にそれならとノアは再び歩き出す。今度辿り着いたのは乳製品の並んだ冷蔵庫の前に立ち手を伸ばした。
「ミルク、もう一本ストックでも買うのか?」
「違う、ヨーグルトが欲しいんだよ」
 確かに。言われて見ればノアの手にはヨーグルトのパッケージが有るのが目にとまった。
「じゃあ、賞味期限を確認するから」
「ん。お願い」
 手渡されたパッケージに印字されている日付を確認し、それと同じ商品を幾つか取って見比べる。一番期間が長いものを選ぶとそれをカートの中に入れ次の指示を仰いだ。
「その他には?」
「もう大丈夫。パンを買って帰ろうか? ライアン」
「了解」

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