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04
 脱ぎ散らかされたライアンの服を集めながらノアは呟く。
「でも…何か楽しいや」
 寂しかった空間に少しずつ音が戻ってきた。たった一人人間が増えただけで賑やかになる空気。
「ルーティ?」
 何時の間にか自分の隣に介助犬が寄り添い甘えている。
「ごめん。直ぐにご飯にしようか」
 ライアンの服を掴み部屋を出ると、ノアは慎重に階段を下り下のフロアに移動した。
 この家にライアンが泊まるようになってからというもの、少しずつ増え始めたライアンの私物。ルーティの食事を済ませた後、ノアは回る洗濯機の音に耳を傾けながら歌を口ずさんでいた。
「There was a crooked man, and he walked a crocked mile.」
 口ずさんだ歌はマザーグース。その歌のチョイスに深い意味は無い。凭れ掛かった腕の下で回る洗濯機。ライアンの居ない時間がのんびりと過ぎて行く。
「……少しだけ…寂しいかな…」
 一つ温もりを手に入れると、それを失ったときに寂しさに囚われる。そんな小さな事も忘れてしまえるほど、今という時間は幸せだとノアは感じていた。
「…それでも…いつかはライアンも居なくなってしまうんだよね?」
 俯いた顔を腕の中に埋め吐き出す溜息。しんと静まりかえった空間にその音が響いた。
 洗濯の終わった衣服を籠に入れるとそれを干しに庭に出る。柔らかな午後の日差しは確かに目に感じはするが、それが映像として入る事は無い。
「大丈夫だよ、ルーティ」
 心配そうに自分に付きそう介助犬。彼女に微笑んでからノアは籠を置いて洗濯物を取り出し一枚ずつ干していく。
「誰かの為に何かが出来る事って、結構嬉しい事なんだな」
 例え目が見えなくとも生きている事が奇跡。世界が自分の目に映ることはない。そのせいで色々と足りない部分も多い。しかし、足りないからと言って自分がこの世界から消えてしまえる訳でも無いのだ。出来ないなら出来ないなりに、足りない部分を補いながら必死に前に進めばいいだけ。
「ライアンの服洗って喜んでる自分は変なのかな?」
 それでもそんな些細な事がとても嬉しい。
「そんな事は無いよな、ルーティ!」
「?」
 吠える事の無いように訓練された相棒は不思議そうに首を傾げた。庭にノアの歌声が響く。洗い立ての洗濯物が、日差しを受けてはためいた。
 それからの時間はあっと言う間だった。規則的に時刻を告げる時計が慣らす音は八回。要するに八時だと言う事だ。
「夜…か…」
 今日は遅くなる。そう言って朝出て行ったライアンの帰りを待っている自分に、ノアは少し驚く。
「気にしないって自分でいったのに、変なの。ライアンが帰ってくることを無意識に待ってるよ、俺」
 考えてみれば、ここ数日は必ず夕食をライアンと共に過ごしていた。それが何時の間にか当たり前になってしまっていたらしい。久しぶりに過ごす一人きりの夕食時間。会話が無いため酷く静か。目が見えないせいで火が扱えず、まともに調理も出来ないため用意した食事も味気ない。
「……早く帰って来ないかな……ライアン…」
フォークでトレイの中にある食べ物を遊ばせながらノアは机に突っ伏す。
「……寂しいや…」
 小さな音を立ててフォークが机の上に倒れた。
「……ライアンが居ないことが寂しいんだ…」
 そっと目を伏せて音を探るが矢張り何も聞こえてこない。広い空間に一人きり。一人というのがこんなにも孤独だったことを思い出すのは本当に久しぶりだ。
「ねぇ…俺、どうしたら良いのかなぁ…?」
 誰に言うでもなく呟いた言葉。唇を震わせて懐かしい人達の名前を呼ぶ。
「俺は一体何をするべき? 父さん」
 机の上に投げ出されていた手の平。それが小さく動き握り閉められる拳。
「俺は何時まで此処にいればいいの? 母さん」
 腕を手繰り寄せ頭を伏せると、ノアは小さく嗚咽を零す。
「もう、独りぼっちは嫌だよ、アイリ」
 確かにこの家には自分以外の動物は居る。だが幾ら相棒でも言葉を交わすことは出来ない。温もりは確かにあるが、手を繋ぎ寄り添って歩く事は難しいのだ。
「早く帰ってきてよ…ライアンっ」
 差し伸べられた手に縋り付いているのは自分の方。目が見えないせいで不安がより強くノアを襲う。一人きりの空間に悲しい泣き声が響き消えた。

 正直、今日は帰れないかと思って居た。だが無理にでも仕事を切り上げライアンは帰路を急ぐ。
「………くしょうっ!」
 アクセルを踏みスピードを上げる。心だけが早く早くと先を急かす。だがその焦りに自分の操る機械が付いてこない。掴まるのは面倒だし帰る時間が遅れてしまうためデッドラインのギリギリまでしかスピードは出していない。だが、ハンドル裁きはいつも以上に乱暴だった。
「何だって……何なんだよっ!!」
 漸く見えてきたノアの家。今ではすっかりライアン専用になってしまった車庫に車を突っ込むと急いでエンジンを止める。車から降り早足で玄関に向かうと、ポケットから鍵を取り出しもたつきながらロックを外す。二枚の扉を開け中に入るとさっさと鍵を掛けて探る気配。
「ノアは……寝室…か?」
 何処にも寄り道はせず真っ直ぐに向かうノアの寝室。もし眠ってしまっていたらとふと思い、なるべく足音を立てずに気配を殺し近付く。閉ざされた扉の前に立ち一度深呼吸をした後ノブに手を掛け倒しドアを押した。鍵は掛かっていないらしい。直ぐに見つかるベッド。其処にある膨らみが上下に揺れる。
「……寝てる…な…」
 そっと部屋の中に入るとゆっくりとベッドに近付く。傍に待機していたルーティが一瞬反応を示し顔を上げたが、口の前に指を宛て静かにしろと指示を出すと、直ぐに顔を腕に伏せ大人しくなった。ルーティは頭の良い犬だ。入ってきたのがライアンだと気が付き気を利かせてくれたのだろう。
「……ノア…」
 ベッドサイドに腰掛け顔を覗き込む。伏せられた瞼。余りそれが開くことは無いため、目を伏せている表情がデフォルト。だが規則正しい寝息が聞こえてくることで、彼が今夢の世界に意識を落としていることを理解する。
「……ただいま」
 そっと囁き髪を撫でると、小さく身動いだ後、甘えるように頭を擦り寄せてきた。僅かに上がる口角。嬉しそうにノアが笑う。
「………っっ!」
 漸く触ることが出来た熱にライアンは言葉を詰まらせた。ノアに覆い被さり数度呼吸を繰り返した後ゆっくりと身体を起こす。相変わらず寝息は続く。頬に触れようと手を持ち上げた所で、手袋をしたままだった事に気が付き、思わず零れた苦笑。
「随分気が動転してたんだな、俺」
 手袋を外し素手にすると、漸くノアの頬に触れた。指に吸い付く肌の感触。何度も撫でているとノアが小さく声を零す。
「…………」
 薄く開かれた唇を見て居ると、自然と顔が下に下がりそっと唇が重なる。男にしては柔らかいその感触を楽しんだ後顔を上げてライアンは驚いた。
「え……俺…今……」
 自分のした行動が信じられずに戸惑う。
「ノアに…何を…」
「うぅ…んっ…」
 自分の唇に手を当て固まっていると、ノアが小さく唸りゆっくりと瞼を開いた。
「……だ……れ…?」
「……あ…」
 ライアンが零した声にノアは不思議そうに首を傾げた後、直ぐに微笑んで右腕を差し出す。
「らい……あん……?」
 伸ばされた手を掴みそっと囁く「ただいま」の言葉。
「おかえり。早かったんだね」
「ああ。必死に帰ってきた」
 のそりと起き上がり欠伸を零した後、ノアがベッドの上を移動しライアンの傍に腰掛けた。
「眠いんだったら寝てても良いんだぞ」
「ううん。大丈夫」
 小さく首を振りライアンの事を覗き込む。
「必死に帰ってきたって言ってたけど、何で?」
「…それはっ…」
 言いかけてライアンは口を噤んだ。何て説明するのが一番自然だろうかと考える。
「ライアン?」
「お前の顔が見たかったから」
 取り敢えずそんな言葉で会話を濁したら、不機嫌そうに顔を歪められ「嘘吐き」と言われてしまった。
「本当なのに」
「…なら、何でそんなに悲しそうに喋るんだよ? ライアン、声が泣いてる」

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