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07
 話は通じない。話が出来ない。その上行動は突飛で全く常識が理解出来ていない。突然現れたこの男は色々とグレイヴの持っている常識をぶち壊し本当に訳の分からない事ばかりを繰り返す。
「取り敢えず、お前を医者に連れて行くから」
 ソファから起き上がり顔を洗った後、グレイヴはそのままジャケットを羽織って鍵を探す。
「応急処置はしたが、きちんと傷を見て貰わないと不安だからな」
「………? ………!」
 傷のある左腹部を指差しながらそう言う。男は何時ものように不思議そうに首を傾げた後、シャツを捲り上げて突然包帯を外し始めた。
「おい! 何勝手に…」
 乱暴に取り外される包帯。それが床に落ちると今度はガーゼに手を掛ける。血で僅かに赤く染まったガーゼが取り払われると、其処には完治していない傷が姿を現す筈だった。しかし…
「嘘だろ?」
 驚いたことに其処に在るのは傷跡のみ。何処にも傷はなく、完全に完治してしまっている。
「おい! どういう事だ!?」
 男の腕を掴みソファの上に引っ張り上げ着ていたシャツを脱がし傷口を改めてじっくりと見た。確かに銃創の痕はある。しかし綺麗にそれは塞がってしまっている。背中も同様にだ。まるで数ヶ月前に付けられたような見た目になっている傷口に、グレイヴは唸り小さく舌打ちをした。
「どうなっている?」

 名前は知らない、判らない。何故なら問いかけても言葉で返事を返さないからだ。余りにも不可解な行動が多すぎるため外に放り出す訳にも行かず、結局は未だに男の面倒を見続ける自分は、とんだお人好しだと思う。始めの頃こそ「お前」とか「おい」とかでやり過ごしていたが、その内その呼称が不便に感じてきて、勝手な判断とは思いながら男に一つ名前を与えた。
「ルーイ」
「?」
 初めて会ってから一週間。相変わらず男はグレイヴに甘えるように膝の上に乗り身体を擦り寄せてくる。
「お前の名前はルーイだ」
 『ルーイ』。本当はこの名前を誰かにやるつもりはなかった。
「いいか? お前の名前はルーイだ。俺はお前の事をこれからそう呼ぶ。判ったな?」
「…………?」
 多分これはよく判っていない。根気よく自分の名前…とは言え仮ではあるが…を教え込まないといけないらしい。
「取り敢えず、其処から退いてくれないか? ルーイ」
 油断するとよく手を舐められる。お陰で唾液でべたべた。手を洗うため洗面所へ向かいたいとルーイの脇に腕を差し込み、身体を持ち上げて膝の上から退かす。正直かなり重い。
「……やれやれ…」
 これから先どうすれば良いのだろう。頭の中で先の見えない不安を対処する方法を考えながら蛇口を捻る。顔を上げると鏡越しに見えるルーイの顔。
「……気味悪いな」
 小さな鏡に映るのは、驚くほど似ている二つの顔だ。一つは当然グレイヴ。一つは先程名前を与えたばかりのルーイというよく判らない人間。
「……お前が生きていたら、こんな風な姿になっていたのか? ルーイ…」
 洗っていた手を水の中から引き抜きそっと鏡に手を這わせ表情を崩す。『ルーイ』。この名前の本来の持ち主は、生まれてくることの出来なかったグレイヴの双子の弟。
「お前が居たら、こんな風に寂しいって感じる事も無かったのかな?」
 グレイヴは元々双子だった。母親の胎内では確かにもう一人。自分と同じ自分の片割れが存在していたらしい。だが、出産時にルーイだけが生きて生まれて来ることが出来なかった。不運なことに逆子になってしまった彼は、更に悪い偶然が重なり首に臍の緒が巻き付き窒息死してしまったらしい。この世に生きて生まれ落ちることが出来たのはグレイヴだけ。片割れは光を見ることも無く、何も始まらないまま命を消した。
「……会いたいよ…ルーイ…」
 一度も触れる事が叶わなかった最後の家族の名前。それを今更になって呟くことになるとは思いも寄らなかった。この名前は誰にも与えることなくずっと自分の中に仕舞っておくつもりだったのに、今は突然現れた他人のもの。かなり複雑だ。
「…ルーイ…」
 もう一度そう呟くと、突然背中に小さな温もりを感じた。
「え?」
「…………」
 ゆっくりと振り返る。其処にあるのは自分と同じ亜麻色の髪。胴に回された腕がぎゅっと締まり、背中に擦り寄る熱に抱きつかれたのだと言うことに気付く。
「お前…」
「…………」
 腕の拘束を緩められたことに気付き、グレイヴは蛇口を閉めるとルーイと名付けた男と向き合った。
「慰めてくれるのか?」
「?」
 そう言えば、こうやって他人の温もりに触れたのは何時が最後だったっけ? 何となくそんな事を考えグレイヴはふっと表情を和らげる。
「変な奴」
「?」
 でも、何故かその温かさは嫌じゃない。
「!」
 男が驚いた様に目を見開く、胴に回されていた手がゆっくりと持ち上がると、グレイヴの頬に優しく触れ撫でた。
「え?」
「………」
 そっと引き寄せられる頭。次の瞬間、頬に生暖かい滑った感触が触れる。
「どうい……あ……」
 何時の間にか泣いていたらしい。舐め取られたのが涙だと気付いた時、グレイヴは目の前の男に縋って大きな声を上げ泣いた。
 どんなに気丈に振る舞っていたとしても、人の心は非常に脆い。普段から強い人間を演じれば演じるほど、小さな罅が入った瞬間呆気なく崩壊してしまう。溢れ出した涙と嗚咽は、今まで溜め込んでいたグレイヴの弱さ。本当はずっと誰かに聞いて欲しくて、でも誰にも言えなくて。そんな抑圧された感情が、たった一人の存在を前に一気に爆発してしまった。こんな風に泣いたのは何時以来だっただろうか。
 二人して隣り合いながら腰掛けるソファの上。
「悪かったな、突然泣いたり何かしてよ」
 ここ数日でルーイがコーヒーを嫌がることを理解していたグレイヴは、カップの中に温めたホットミルクを注いで彼に渡してあった。自分の手にはブラックのコーヒー。
「俺さ…学生の頃、家族を事故でなくしてるんだ」
 同情して欲しい訳じゃない。それでも誰かに聞いて欲しい。今までこうやって自分の身の上話を誰かにすることはなかったのに、今はその言葉がとても自然に溢れ出す。
「家族が居なくなるまでさ…それが当たり前じゃないことなんだって言うことに気が付かなかった。それどころか、何時もと同じ日常は退屈だとすら思ってたんだよな」
 ゆっくりとカップを持ち上げ口を付ける。コーヒーの苦みがじんわりと口の中に広がっていく。
「鬱陶しいと思うことも多々あったよ。早く自立して一人暮らしをしたいなんて思うことは何時もだった。それでもさ…それが無くなった途端寂しいって感じたんだ」
 再び込み上げてくる感情。カップを握った手が小さく震え出す。
「ある日な…突然独りぼっちになっちまった。あの時みんなに何て言ったんだっけ? みんなが生きている時に最後に言った言葉は? 彼等はどんな顔をして俺を見ていたんだっけ? なーんにも思い出せないんだ…面白いくらいに…」
 昔の記憶なら幾つか綺麗に思い出せるのに、一番最後に交わした言葉と表情だけが真っ白になって記憶から抜け落ちてしまっている。それどころか最も鮮明に思い出せる記憶は死体安置所のロッカーの中で横たわる、死体袋に詰められた無表情の三人の顔。それと、真っ黒な三つの棺と新しくできた三つの墓の映像だ。
「染みっぽい話をしてすまねぇな」
 腕の震えを止めるようにカップを持つのと反対の手で手首を掴むとグレイヴはゆっくりと深呼吸を繰り返した。
「こんな話、誰にもしたことねぇのに、変なの」
「…………」
 ぶれる視界。
「え?」
 手から落ちたカップが床の上に転がる。
「お…おい…」
「…………」
 ソファの上に押し倒されたのはグレイヴ。その上に乗りかかるのはルーイだ。
「る…るーい…?」
「…………!」

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