Novel GS2(長編) 3-2 喫茶店・珊瑚礁 「お嬢さん、今日はもう上がっていいですよ」 マスターの優しい声を聞いてあたしはほっと一息ついてサロンエプロンをはずした。 「はい。じゃあ、お先に失礼します」 裏のロッカー室で着替えてホールに戻ると、マスターから素敵な提案が出された。 「お嬢さん、良かったらケーキを食べていかないかい?」 「いいんですか?」 「勿論だよ」 「じゃあ、お言葉に甘えちゃいます」 マスターに促されるままにカウンターに腰かけていると佐伯くんがケーキとコーヒーを出してくれた。 「あれ?これは・・・」 あたしはミルクコーヒー色の液体で満たされたコーヒーカップの中を覗き込んで言った。 「カフェオレだ」 「え、どうして?」 佐伯くんがニヤリと笑った。 「おまえがブラックを飲めなさそうに見えたからだ」 暗に、「お子様」というような含みを持たせた言い方だった。 「むぅ、どんな偏見よ?ブラック飲めるかもしれないじゃない?」 「飲めるのか?」 「いーえ、佐伯さんの仰る通りです。カフェオレ、有難くいただきます」 あたしはカップを持ってカウンター越しの佐伯くんにわざとらしく頭を下げて見せた。 いつかはカッコ良くブラック飲んでやるんだから! くやしい位美味しいカフェオレを一口飲んでから、フォークを握った。 出されたケーキは大きな苺の乗ったシンプルなショートケーキ。 フォークを立てると、その柔らかさにフォークがあっというまに沈んだ。口に入れるときめ細かでしっとりと柔らかなスポンジに甘さ控えめのさっぱりとしたクリームが口の中で蕩けた。 「美味しい!」 幸せな味に頬が緩む。 「ね、これ、どこのお店の?」 カウンター越しにあたしの向いに居る佐伯くんに訪ねると、 「それは瑛が作ったんですよ」 少し離れた所に座っているマスターが答えてくれた。 「え?ホントに?凄く美味しいよ!」 すぐに無くなってしまうのが惜しくて少しずつ削るように口に運んでいるあたしを見て佐伯くんが口を開いた。 「おまえさ、試作とかする時にたくさん食わせてやるから、その貧乏臭い食べ方よせ」 「ホントに?やったー!!・・・ちょっと、貧乏臭いって失礼ねっ」 軽くガッツポーズをしながら口をとがらせる私の顔を佐伯くんがじっと見つめる。なんとなくそのままあたしも佐伯くんを視線受ける。そして、佐伯くんは自分の口の右側を指刺しながらあたしに言った。 「それ、帰ってから食べる分か?ついてるぞ、クリーム」 「え?ホント?」 「こんなことでウソつくかよ。ああ、そっち逆だよ、ほらこれで拭け」 呆れたようにテーブルの上にある紙ナプキンを一枚取ってあたしに差し出してくれたけど、その前にあたしは指でクリームをふき取りなめた。 「やっぱり美味しい!拭くなんて勿体ないよ」 すると瑛くんの顔がほんの少しだけ赤みを帯びた気がした。 「ケーキ食うのはいいけど、うちの店の従業員には体重制限があるんだぞ?」 ニヤリと、ちょっと悪い笑いを浮かべて佐伯くんが言った。 「え?体重制限?」 幸せ気分に水を差す言葉に冷や汗が出る。 「そうだ。今日おまえに渡した制服が入らなくなったら、おまえは珊瑚礁に居られなくなるんだ」 青くなるあたしを見て満足そうな笑い浮かべた佐伯くんは時計を見てから立ち上がった。 「よし、食ったなら送ってく。おまえも一応女だしな。ちょっと待ってろよ?」 佐伯くんはそう言って裏に行ってしまった。 「え?そんな、あたしなら大丈夫だよ!」 裏に行ってしまった佐伯くんに聞こえるように大きな声で言っても返事がない。 カウンターで立ち上がって困ってるあたしにマスターが声をかけてきた。 「お嬢さん、それ位させて下さい。夜に可愛いお嬢さんを一人歩きさせるのは危ないからね」 マスターにこう言われると、何も言えなくなった。 ここは素直に受けた方がいいんだろうな。 あたしはマスターの言葉を受ける事にした。 「・・・・すいません。お言葉に甘えさせていただきます」 「いやいや、それに、瑛も楽しそうなので」 マスターが楽しそうに言った。 「佐伯くんが楽しそう?」 「ええ、実に」 マスターは含みのある笑顔を浮かべてうなずいている。 佐伯くんが楽しそう?うーん、あたしには常に無愛想で偉そうに見えるんだけどな・・・と、あたしの中での今日の佐伯くんを振り返っていると、裏からジーンズとパーカーに着替えてきた佐伯くんが出てきた。 「じいさん、こいつに変な事言うなよな。ほら、ぼんやりしてたら置いていくぞ」 颯爽とあたしの前を通って正面のドアから外に消えて行った。 「お先に失礼します!」 瑛くんがさっさと店から出て行ってしまったので私はマスターに挨拶をしてから慌てて後を追った。 「待ってよ」 「遅い」 佐伯くんに追いつくなり軽くチョップを受ける。 あたしは頭を抑えながら佐伯くんを軽く睨んだ。 「暴力反対」 「おまえがとろいからだよ」 そう言って目に笑いをにじませた佐伯くんを見て、なんだか心が温かくなった。 月明かりの中、珊瑚礁からあたしの家へ歩く道。 波打つ音が聞こえる中、佐伯くんはぽつぽつと話してくれた。 親元から離れて珊瑚礁で暮らしている事。 珊瑚礁と勉強を両立させなければいけない事。 学校で問題を起こさない為にみんなに平等に接している事。 そうやって話しを聞いているうちに、気付たら家の前に着いていた。 「送ってくれてありがとう」 「どういたしまして」 そういって帰ろうとあたしに背を向けた佐伯くんに声をかけた。 「あの、色々話してくれてありがとう!」 珊瑚礁からの帰り道に佐伯くんから聞いた話はきっと、彼にとってとても重要な事で、それを話してくれたって事はあたしを認めてくれたって事だと思った。そう思うと嬉しくて、その気持ちを伝えたかった。 佐伯くんは振り向いた姿勢のままで少し驚いたような顔をして、それから口を開こうとした時、あたしの携帯電話が鳴った。 あたし達の間に一瞬の間があってから、 「出たら?」 佐伯くんから言われるままに携帯電話を手に取ってディスプレイを見るとコウからで、そのまま通話ボタンを押して携帯電話を耳に当てた。 「はい。・・・うん、今ちょうど家の前に着いたところ」 『はぁ?マジで?遅すぎねぇか?』 コウの少し驚いた声が聞こえる。 目を上げると佐伯くんがあたしを見ていて、あたしと目が合うと口をパクパクと動かした。 ―――ハリヤニモ・・・――― と、口が動いてから、佐伯くんは右手の人差し指を自分の口の前に立てて口を閉じた。 ―――ナイショ――― あたしが頷くと、佐伯くんは右手をヒラリと振ってから来た道を戻って行った。 「今日はちょっと色々あって遅くなったの。あ、明日お昼に教えるね?・・・・・じゃあ、明日ね。おやすみ」 あたしは通話を切った携帯電話を握りしめたまま、佐伯くんが消えて行った道路を少しの間眺めてから家に入った。 [*前へ][次へ#] [戻る] |