1日目。
午前の内にトラファルガー・ローと名乗った男性を養うことになった。
リビングのソファーに彼を座らして、コーヒーメーカーで美味しいコーヒーを淹れる。うん、良い豆も貰ったものだけれど、一人で飲むには勿体なかったから丁度良い。
ミルクと砂糖もテーブルに運んで、淹れたてのコーヒーカップを差し出す。ちょっと熱いから気をつけてね、と注意するとふっと微かに笑われた。なんだ、たぶんわたしの方が年上だと思うのに目の前の男は可笑しそうに笑っている。くそう、欧米人は年齢が良く分からない。
それにしても、彼は堂々と云うか適応能力があるというか、もっと慌ててもいいと思うのに落ち着いた態度のままだ。凄い。まぁ、何か様子を伺っているのは判るけど。
突然異世界に来て、驚かない人間はいないだろう。
それに、美和は突然彼が現れて吃驚したし不審者かとも思って警戒もした。
しかし、相手は溺れていて息もしていないし、パニックになるには条件が揃いすぎていた。それから、彼を殴ってしまって気絶させてしまった後、高熱を出している彼を看病した。もう、言葉も何もかもすっとばして彼と過ごしたけれど、不思議と美和には勝手に親近感と言うか情というものが沸いてしまった。まぁ、本当に勝手で一方的にだけれど。
うん、自分でも吃驚するくらいすとんと彼の存在を受け入れていると思う。まぁ、頭の良い人は嫌いではないし、異世界という謎に包まれたものに興味があったのも事実。
感情とか良く名前が付けられない気持ちは、苦手だ。
そう、滅多にない親切心を出したということにしておこう。
10時を回って、コーヒーを片手に少し情報を交換することにする。
ソファーはダブル用と、シングル用がリビングに置いてあって彼はダブルに座っている。美和はシングル用に腰を掛けて、一息吐く。うん、良い香りだ。テレビでもつけようかとも思ったが、これから話をするのだから止めておこう。
何から話せばいいのか、取り敢えず充て障りのない内容から触れることにする。
彼は、飄々とした態度を崩さないが、ぶっちゃけ行き成り異世界に来てしまってこんなに落ち着いていられるものだろうか。いや、受け答えでかなり頭の切れる人だと思ったけれど、ただ虚勢を張っているだけかもしれない。彫りの深い欧米人など年齢をはかるのは難しいけれど、たぶん美和より年下だろう。年長者として、少しでも彼の不安を取り除いて上げれればいいと思う。
それすらも、彼は計算の内かも知れないが。警戒するのが当たり前だから、美和は頭の切れる年下の男に声を掛けた。
『……改めまして宜しく。美和、職業は社会人です。キミに危害を加える気はありませんし、こちらにいる間キミ1人くらい養う財力はあるので安心してください』
出来るだけ真摯に彼の目を見詰める。
どう云えばいいのだろう。
普通、善意だけの好意はほぼ存在しない。会社は利益など諸々の背景を考えるのが常で、裏の意図があるのも事実。会社同士の繋がりを大事にしなきゃならない場合もある。たぶん、彼もその社会の仕組みを知っているからこそ“意図”を尋ねてきたのだ。うん、やっぱり彼は頭の切れるヒトだ。
興味を持った、というのは本当だし、彼を殴ってしまったことに対して負い目もあるのも本当。別に、それ以外の理由を探すほうが難しい。やっぱり、何か理由があったほうが安心するものだと思うが、残念ながらいい理由を付けられそうにない。
それに、態度では何も分からないけれど“興味がある”なんて、失礼だったかもしれない。戻れる確証もないなか、異世界から来た彼の状況を面白がったとも取れる。そんなつもりもないけれど、わたしは彼に気にしないで滞在出来る様対策を口にした。
『たぶん、キミは警戒心も強いし頭も切れるのは話していて分かります。善意には二種類あるとわたしは勝手に思っています。完全な好意による善意と、裏がある善意。騙すには都合の良いものを餌にするのも常套手段……』
へぇ、という様に目の前の男は片眉を上げる。美和は目を逸らさず、続ける。
『口では何とでも言えます。わたしとキミは会ったばかりの赤の他人、しかも…初対面で殴ってしまった人物の言葉を信じるのは難しいと思っています。まぁ、油断させて情報を得ようとかキミのことだから考えていそうだとも思いますが』
美和が口に出した言葉に、本当にこの目の前の男は面白そうにくつくつ笑い出した。
ヒトを舐めているのだって分かっているんだぞ、ったく年下の癖に可愛げのない男だ。仕事のできるできないも年齢など関係ないのも知っている。だからこそ、この男が食えない男で、たぶん美和なんかよりずっと頭もよく腹に一物も二物も抱えているのだって判っている。取り敢えず信じる振りというかわざと相手を油断させて尻尾を掴もうとしていたのだろう、この男は。
心理として、人は信じる振りをするのが一番相手の意図を探り易い。男は異世界なんてとんでもない所に来てしまったのだから、そうするのは当たり前だとも思っている。
『――それで構いません。信じてもらわなくても結構ですし、こちらを信用していただかなくても勿論構いません。キミは情報が欲しいと思いますし、出現した部屋が戻るときに必要な場所でもあるかもしれません』
『…で?アンタにはメリットはないと思うが』
『勿論承知です。だから、こうしませんか?わたしはキミの知りたいことを答えるし調べます。その代わり、キミの世界のことも教えてください。物々交換みたいなもんです』
どうでしょう、と出来る限り相手に不敵に笑ってみせる。
正直、内容は変わっていないし等価ではないやりとりだけれど、一緒に暮らすのであればある程度腹を割って話したほうが良い。総て話さなくてもいいけれど、せめてキミに危害を与える気は無いという事だけは知って欲しい。
だって、あんまりじゃないか。
知らない世界に放り出されて、命の危険があるのは辛いことだ。元の世界に友達など信頼しているひともいるだろうが、まったく誰も知らない世界と言う中では心が休めない。
『……変わった女だ』
『褒め言葉として受け取っておきます。キミも猫被るのウマいわね』
一転して、瞳に力の籠もった男にふふ、と挑発的に笑ってやった。
そう、大人しい雰囲気に時折覗かせる強い意志の籠もった瞳を何度か見た。総てが嘘ではないだろうけれど、大人しいだけの男にも見えない。たぶん、一筋縄でいかないような苛烈な内面を持っている。
20代前半かな、それにしてもしっかりしていると思う。仕事で仮面の女という称号を貰うほど色んなやり取りを経験したけれど、この男はたぶん今まで出会った出来る男の中でも飛び抜けてポテンシャルが高い気がする。たぶん、美和なんか足元にも及ばないくらい。男が今まで隠していた威圧感が放たれて少し眩暈がするけれど、美和は平然を装う。
一時見詰め合って、ふっと空気が軽くなった。
『――いいだろう。改めて世話になる。アンタに危害を加えないと約束しよう』
威圧感を引っ込めてくれた男は、ニヤッと笑う。やっぱり、食えない男だ。
大人しい男じゃないのは判っていたけど、ちょっと早まったかも知れない。危険な香りが凄くするんですが、そういえば刺青もしているんでしたっけこの男。ぶっちゃけ命の危機を回避できたのは美和のほうだろう。只者ではないと思うけど本当になんなんだろう。
はぁ、と溜め息を吐いて男にちょっと疑問に思ったことを聞いてみた。
『キミの名前はローで合ってる?』
『ああ、』
ちょっと、ファミリーネームが前に来るなんて日本と同じだなんて不思議。しかし、どうやら元の世界でも色々あるらしい。前に来るものもいれば後ろに来るものもいるそうだ。
ミドルネームも入るものもいたりと、多種多様だとの事。名前だけでちょっと食いつき過ぎたかもしれない。しかし、質問に対してちゃんと答えてくれるのでちゃんと日本でも前が苗字で後ろが名前だと答えた。
彼の元の世界はほぼ世界各国共通語で、こちらで云う“ENGLISH”だそうだ。言語という概念では世界を旅しても特に問題がないらしい。そして、通貨も世界共通だというのだ。なんて便利な世界なのだろう。こっちの世界はどうなんだ、と聞かれて美和は答えた。
『通貨は国によって違うの。この国は“円”を使っている。えっと、実物見せるね』
『……コインと紙幣か。一万円と千円、で合っているか』
『あ、やっぱり数字の単位は同じなんだね。そうだよ、こっちが五百円でこっちは百円、穴が開いているこっちは五十円、こっちは五円ね』
お財布から紙幣と硬貨をテーブルに広げる。数字の単位は同じで、男の国のベリーという通貨と単位もほぼ同じらしい。これならお金に関して困らないだろう。
シゲシゲ眺めている男に好きに弄らせる。そのまま、あとは言語のことに触れる。
『キミが喋っている言葉はこっちでは英語っていうんだけど、この国での母国語は日本語なの。英語喋れない人のほうが多いから、外でたら離れないでね』
『アンタは喋れるんだな』
『勉強したからね。けど、得意ではないから理解出来ない事言ってたらちゃんと聞き返してね』
こくり、と頷く男は日本語で喋ってみろと欲求してきた。ええ、別にいいですけど何喋ればいいんでしょう。突如喋れといわれても、と思いながらも美和は取り敢えず喋ってみる。
「これが日本語です。キミは年下だと思うんだけど、態度デカイよね。『……こんな感じですけど、聞き取り辛いでしょ』」
『……トシシタ、タイドデカイ…、なんて意味だ』
『(っげ!!)――ふふ、キミは耳も性能良いんだね。さて、結構喋ったらもうお昼時だ。キミの服も乾いたと思うしちょっと取り込んでくるよ!』
顔に出さず、爽やかに笑顔を浮かべてソファーから立ち上がる。
そそくさとリビングの扉からベランダに出る。百計逃げるに如かず、逃げたもん勝である。よかった、男が日本語喋れなくて。
当初の目的のパーカーとジーンズは良い天気のおかげで乾いていた。ハンガーごと部屋に取り込んで冷めたコーヒーを飲んでいた男に手渡しする。
『はい、乾いていたから着替えたら?』
『ああ』
その場で脱ごうとした男を、無言で立たせると洗面所に行くように背を押しやった。冗談が通じない奴だ、と言われたがそんなもの求められても困る。冗談言う暇あったらさっさと着替えろ、まったく。洗面所に追いやって、取り込んだ洗濯物を畳む。服はウォーク印クローゼットにハンガーのまま掛けて、大量に洗ったバスタオルを畳んで積み上げたとき、着替え終わった男がリビングに現れた。うん、その格好似合ってるな。
短めの髪に眼つきは悪いけど、日本人にはない足の長さだしただのパーカーとジーンズが神々しく見える。モデルがいいと服も活き活きするもんだ。
『キミ、似合ってるね』
『当たり前だ』
自分の魅せ方を知っていると言うか、なんというか。
最近東京も暑くなっていて、七部袖なら季節的にも大丈夫だろうけど……その袖から見える刺青は隠せていませんよキミ。いや、見せてるのかコレは。うーん、今はお洒落で刺青入れている人も増えたし、別に大丈夫かしら。俗にいうイケメン?という奴なんではないだろうか。眼つき悪いけど。
身長もそういえば高い。優に頭一つ以上高いから、彼が立つと見上げるのがデフォだ。美和は平均身長よりは少し大きいし会社でも180cm位の男性も居たけどそれより更にでかいとなると185cm以上になると思うが回りには残念ながら比較できる対象がいない。
座っている時はあんま見上げてる気がしなかったのは、座高の違いか。そうか、わたしが足が短いからか!モデル体型の人に文句言っても仕方ないが、足が長い人ってすごい。
ちょっと、考えて目の前の男の顔色を観察する。体調は悪くなさそうに見えるが、今朝方まで高熱だったのだ、この男は。…うん、特に変わった様子はないけれど。
『キミ、熱はもう平気?』
『なんともない』
平然としているし、本当に平気そうだが一応体温計を差し出した。
38.0℃もあったのだ。朝には37.3℃まで下がっていたとはいえ、無理をしてぶり返してもいけない。しかし、男は自分の体調ぐらい判るといって体温計を受け取ってくれなかった。折角人が心配しているのに。
『ねぇ、せめて平熱かどうか測ってよ。一応薬もあるけど…』
『……』
はぁ、と溜め息を吐いた男はようやっと体温計を受け取ってくれた。その時に、おれの体温は今36.5℃だと云われたが測ってもないのになんのことだ。なんだかんだでぶっ通し話をしていたとはいえ、体温を測っといたほうがいいだろう。
電子音が鳴って、取り出したら36.5℃だった。何故。疑問を抱きながらも、平熱になっていることに安堵する。
『キミの体調が良ければ、買い物に行こうと思ったんだけど…どうする?ここに残ってもいいし、一緒に出かける?』
『――行く』
Let's SHOPPING !!
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