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2。






鼻歌を唄いながら湯船を溜める。

自動で溜めても良いが、今回は泡風呂にするため蛇口を捻る。爽やかなバスボムを放り込む。薄い水色の泡がぶくぶくと回転しながら泡立つ。ミントの香りに優しいマリンの香り。お気に入りの匂いを嗅ぎながら、浴室を出た。
洗面所で最初にメイクを落としてから、頃合を見て衣服を脱ぐ。あ、どうせなら洗濯物もしてしまおう。パジャマも着ていた服も洗濯機に放り込む。気楽な1人暮らしだから着替えは後で取りに行けば良い。


洗濯機を回して、浴室に入る。高層マンションの夜景が見える窓が付いていて、外がキラキラしていた。気分も最高であるし、余計に輝いて見えた。鼻歌を唄って髪も身体も洗った。珍しくトリートメントなんかもして、纏めた髪を頭の天辺で留める。湯船は泡で一杯で、香りも最高だ。直ぐに身体を沈めて足を伸ばす。足を伸ばすと少し窮屈くらいの大きさで、お気に入りのバスタブだ。咎める人などいないし、バスタブの縁に足を乗っけて、寛ぐ。



「極楽―」



上機嫌で、手で掬った泡をふーっと吹き飛ばしてみる。泡がもこもこと空気に飛んで、シャボン玉のようになったが直ぐに消えてしまう。


そう、一瞬だった。


直ぐ割れてしまうシャボン玉を追った目線の先に歪んだ天井。
わたしは足をバスタブの縁に掛けて、頭も前に同じだった。つまり、ほとんど天井を向いていたのだ。
シャボン玉が消える一瞬、わたしは有り得ないものを目の端というかバッチリ捕らえたのだ。
空間の歪みに、目の疲れかとも思ったがそうでもないようだ。


眼が離せず、じっと見ていると何か人間の手のようなものが見えた。


自分の反射神経を褒め称えたい。直ぐに、足だけは縁から外した途端、何もない天井の空間から人が出てきたのだ。そう、人だ。ヒト、人間?
重力に逆らうことなくヒトのような人物がバスタブに落ちてきた。



「……っわ!!」



そんな高さだった訳ではないけれど、バスタブに張られた湯は凄い波飛沫を立てて溢れ出たのは言うまでもない。バッシャーン、と落ちてきた人物はまさに顔面から湯船に突っ込んでいる。
そう、どうにも狭い湯船なので自然と美和の腹の前辺りだろうか。
驚きすぎて、反応できない美和は取りあえず湯船に顔を突っ込んだまま顔を上げない不審者の後頭部を見詰めた。


うん、人だ。


わたしは働かない頭で、体勢を整えるように取りあえず、不審者の身体の下にあった自分の身体を小さく関節を曲げてバスタブの縁によって見た。
泡風呂を頭から被って、地味に目に垂れて痛い。けれども目を離すわけにもいかない。
信じられないけど、突然現れたのをこの目で見ているのだ。
不審者が危険人物であるかもしれないし如何せん得体がしれない。しかも現在美和は無防備にもほどがある裸体なのだから、警戒するのは当たり前だ。俯せで動かない不審者の後頭部を見詰める。


しかし、身動きするにも水面に顔を突っ込んだ男は顔を上げないが大丈夫なのだろうか。ふたり分の体重で嵩が増した湯船に浮かぶ不審者。
うん、これは大丈夫じゃないのかもしれない。
警戒しながらも、流石に不審者は人間だと思われるため、振り絞って声を掛けることにした。



「……あのー、もしもし?」



つんつん、と後頭部を指で突いてみる。反応なし。
あれ、混乱しすぎて時間がどれ程経ったか分からないが、これは拙くないだろうか。

サーっと血の気が引いて慌てて不審者のうつ伏せの身体を起こす。
自分が裸とかもういっそ関係ない。突然現れて、しかもお気に入りのバスタブで死なれちゃ困る。しかも突然天井の辺りに渦が出来て現れた不審者なんて警察にどう説明すればいいんだ。下手したら自分が不審者だ。明らかに有り得ない状況で、その突然現れた人物が危険人物かもしれないけれどそんなのは頭に無かった。



よく見れば、このヒト服着てる。いや服を着るのは当たり前なんだけれど、黄色と黒地のパーカーはしこたま水分を吸って重たい。微かに、泡風呂の匂いに混じって海の匂いがするがそれどころではない。火事場の馬鹿力というやつで、上半身を起こす。



第1に思ったのは「うわ、すっごい隈」だった。じゃなくて意外にも綺麗な顔が目の前にある。体格からも男性のようだが、如何せん目を開けない。いや、この場合目を開けられちゃわたしは困るのだが、いやいやそれよりも人命第一だ。
男性の長い足を湯船で楽なように伸ばして見るが例の如く膝を立てているがそんなのどうでも良い。どうすれば良いか分からず気が動転している美和は取りあえず、頬を軽く叩く。




「ちょ、ねぇ!起きて!!」



やっぱりと言うか反応が無く、焦ったわたしはとりあえず溺れた人の対処方法を思い出す。そうだ、まずは呼吸からだ。小奇麗な顔に、顔を近付けて呼吸をしているか確かめるが、何も聞こえない。



「ギャー!ちょっとぉおお!!」



焦ってわたしはぐったりした男性の身体を揺さぶりそうになった。いかん、そんなことをしてはマジで死んでしまう。なんで早く湯船から助けなかったんだと美和は焦りながらも、湯船から飛び出して男性の後ろ側から両脇に腕を通して重い体を湯船から引き上げる。
凄く重い!わたしは胸が男性の背に当たろうが自分がすっぽんぽんだとかなんだろうが、気にする余裕は皆無だった。火事場の馬鹿力でタイルに寝かせる。どうすればいいんだっけ、オロオロしながら兎に角、人工呼吸だと思いつく。


不審者の横に膝を着けて上半身を屈める。確か、気道確保をしなくてはと顎をくいっと上げる。顔を近付けて、もう一度呼吸を確認する。そして頚動脈で脈を触知する。うん、脈は大丈夫だ。額にも手を当てて、顎を再度しっかり気道が確保されてるか素早く確認してから、深呼吸してぐったりしている男の薄い唇にじぶんのそれを押し当てる。ふう、っと息を2回吹き込む。


横目で、男の胸部を見る。ちゃんと膨らんでいるから遣り方は合ってる筈。途端、ぐったりした身体が強張るのを感じて唇を外す。げほっと、数度咽て水を吐き出すため身体を横にして、苦しそうに咽る男の背を擦るしか出来ない。苦しいだろう、咽ていた身体が少し落ち着いた頃、男はゴロンと仰向けに倒れた。顔を覆うように交差された腕によって顔は見れないが、男は初めて言葉を口にした。


「It is rather with the devil's own luck…(我ながら悪運の強い…)」
「……」


おおう、まさかの英語ですか。
いやいや、まずこの状況をどうすればいいのか。美和は途方に暮れた。
いや、こんな所で意識を飛ばしている場合じゃない。っていうか、息を吹き返した男に安堵したものの今度は自分の格好に蒼褪める。素っ裸だ。最悪だ。
兎に角、生命の危機は脱したようだが、今度は美和がある意味人生の危機だった。不審者の前で素っ裸なんて最悪だった。咄嗟に胸に腕を回す。後退りしたいが、動いたら見られる。羞恥心がふつふつと湧き上がってくる。


そのまま男には腕で顔を覆っていて欲しい。
しかし願い叶わず、男と目が合った。美和は咄嗟に桶を掴んでいた。
あろうことか、目を覚ましたばかりの男に桶を振り下ろしていた。
















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あきゅろす。
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