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性転換的アビス(笑)

次の日の朝、ルークたちはエンゲーブの北の森へ向かった。
(やっぱり、本気だったんだ……)
ティアは内心呆れつつも彼女のあとをついて行く。
「ねぇ、ところでルーク。きみは戦えるの?」
ふと疑問に思ったティアが口に出すと、ルークはうっと小さく声を漏らす。
「だ、大丈夫だって!こう見えてもヴァン先生の剣術を見て育ったんだからよ!」
(つまり、戦えないのか……)
彼女の手には、エンゲーブで買った剣が握られている。まったく…使えもしないのに…。これは彼女の一種の見栄みたいなものだろう。
危なくなったらできる限りのフォローをしなくちゃな。
小さくため息をついて彼女のあとへ続く。

「おい、あれ!」
森に入ったとたんルークが叫んで中を指差した。
「イオンってやつじゃねぇか!?」
「!?」
ハッとしてルークが指さした方向を見る。
導師が、魔物に囲まれている。
サッと血の気が引いて行くのを感じた。
イオンは息も絶え絶えにその場にうずくまり、右手を、地面に向かって振り下ろした。
すると、大きな譜陣が現れまばゆい光とともに魔物が消えていた。
逃げたのか、それとも倒されたのか。
彼は体を起こすと前へ歩もうとした。しかし、ゆらり、と揺れて倒れてしまった。
「おい!」
ルークが真っ先に駆け寄る。
「大丈夫か!?」
こういう時に真の人間性が出る。
たまに横暴だけど、やはり、彼女は優しいのだ。
彼女に抱き起こされたイオンは、うっすらと目を開けて、力なく微笑んだ。
「大丈夫です…少しダアト式譜術をつかいすぎただけです……」
少し呼吸を整えてから彼はそっと立ち上がる。
「あなたがたはたしか…エンゲーブにいらした…」
「ルークだ」
と、何故か誇らしげに名乗る。
イオンは優しい笑みを浮かべて頷いた。
「ルーク……古代イスパニア語で『聖なる焔の光』…という意味ですね。いい名前です。」
「…!」
彼の優しい笑みのせいなのか、褒められたせいなのか、ルークは顔を赤くした。
「私は、神託の盾騎士団モース大詠師旗下、情報部第一小隊所属ティア・グランツ響長であります。」
ティアがそう名乗るとイオンはそのままの笑みで頷いた。
「あなたがヴァンの弟ですか…。噂には聞いていましたが、お会いするのは初めてですね。」
「弟ぉ!?」
おもわず、のけぞる。
「弟って…じゃあなんでヴァン先生を殺そうとするんだよ!?」
「殺す……?」
イオンが首をかしげると、ティアは愛想笑いをして言う。
「いえ……こちらの話です」
「話をそらすな!」
「あっ!」
イオンが突然声を上げて木陰を指差す。
「チーグルです!」
ガサガサと草が揺れて白と青っぽい丸い物がのぞいただけだったが、
「あいつら!やっぱここにいやがるのか!」
と、ティアのことは完全に頭から閉め出してしまったようで、チーグルらしきものを追って行く。
「ヴァンとのこと…僕は追及しないほうがいいですか?」
もしかして、ルークの気をそらすためにしてくれたのだろうか。第一、彼は自分たちがチーグルを追ってきたことを知らないはずなのに…。
…まぁ、この森に来る理由はそれくらいしかないのだけれど。
「…すみません。ぼくの故郷にかかわることなので……」
「おーい!見失っちまう!」
ルークの声に頷いてイオンは笑顔でティアを促す。
「僕たちも行きましょう。」
「あ…はい」

「ほら、二人が遅いから見失っちまったじゃん!」
ルークが腹立たしげに声を上げるが、イオンはそのままの笑顔でその先を指差した。
「大丈夫です。奥に行けばチーグルの巣があります。」
「へぇ…詳しいんだな……」
「チーグルはローレライ教団の聖獣です」
そして、少し表情を曇らせる。
「だから…彼らがなぜこんなことをしたのか、知りたいんです。」
「ふぅん…なら、目的地は一緒ってことか……」
「あなた方もチーグルを?」
「ああ。……仕方ないな…じゃあ、イオン」
「はい?」
「お前も来い。」
「何を言ってるの!?」
ティアは驚く。
「イオン様を危険な場所にお連れするなんて……」
ありえない。万が一イオン様に何かあったら……。
「けど、戻れって言っても、きっとこいつはまたここに来るだろ?」
「すみません…」
「だったら、戦えるティアが一緒にいるほうが安全だろ?」
(あ、戦うのぼくなんだ)
軽く突っ込む。そうだよなぁ、この娘は戦えないからな…
「大丈夫だ、うちも…戦うし」
「無理しなくてもいいよ。大丈夫」
2人、守らなくちゃならないのか……
「ありがとうございます。ルークさんは優しいのですね!」
にこ、と微笑みかけられるとつい、顔が熱くなる。イオン相手だといろいろと調子が狂う。
「べ、別に優しくなんか……」
照れている様子を見て、ティアはつい
(あ、かわいいかも)
と思ってしまい、ぶんぶんと首を振る。ああ、何思ってるんだよ、ぼくは。
「それと、うちのことは呼び捨てでいいからな。」
「はい!ルーク!」
嬉しそうに笑って普通の少年のようにルークについて行くイオン。
ダアトで遠くから見ていたイオンは、いつも不思議な雰囲気を放っていた。穏やかだが、近づきがたいような。
だから、彼がこんな風にあどけなく笑うなんて知らなかった。

「そういえば」
ふと、イオンが歩きながら尋ねる。
「何だ?」
「ルークは響律譜(キャパシティコア)を装備しているのですか?」
「きゃぱしてぃこあ?」
ルークが首をかしげるとイオンは少し驚いたような顔をした。
「ルークは知らないのですか?」
「すみません」とティア。「彼女は少し世間に疎いんです」
「…悪かったな」
ふてくされたように言う。けど、事実だろ?
「なら、これをさしあげましょう」
と、イオンは懐からペンダントのようなものを取り出した。
「へぇ…」
「響律譜は装備者の身体能力を上げてくれるものです。それを身に着けていると自然と技を身につけることができるのです。最近の人は一般の人もアクセサリーとして身につけていますが、アクセサリーとして使用されているそれらにはそのような力はありません」
「じゃあ、これを付けていればさっきイオンが使ったのも使えるようになるのか!?」
「あ…いえ…あれはローレライ教団の導師にしか使えないので…」
「なんだ」
がっかりしたように肩を落とす。
「けど、それを付けていれば、実戦経験のないきみでも多少戦えるから」
そして、誰かに似た微笑みを浮かべる。
「そしたら、ぼくに協力して?」
「あ……ああ、うん」
なんだろう、今のは。妙にドキっとしたぞ。


森の中を道なりに進んでいくと、広い空間に出た。
中央には気の遠くなるような年月を刻んできたであろう巨木がそり立っていた。
「あれが、チーグルの巣です。」
「すごい……」
樹皮を緑色の苔が覆っている。
太い枝はこの空間の空を埋めつくすように葉を広げている。
根元から見ていると首が痛くなりそうだ。
「ん、」
何か蹴った。…リンゴがいくつも落ちている。
そのうちの一つを拾い上げる。
「このリンゴ…エンゲーブの焼き印が付いていますね……」
「やっぱこいつらが犯人か」
ルークの言葉に頷くとイオンは顔を上げて、大樹にぽっかりと開いた巨大な穴に入って行った。
「イオン様!」
慌てて、ティアとルークも後に続く。

中は、案外明るい。木にあいたいくつもの穴から光が差し込んでいるためである。
そして、今、自分たちの前を何匹もの魔物――小さいが袋のような耳が付いているため頭が大きく見える。目は大きくきょろっとしている――が行く手を妨げている。
「通してください」
「魔物に言葉が通じるのか?」
ルークがイオンの後ろで使い慣れない剣に手をかけながら言った。
「チーグルは教団の始祖であるユリア・ジュエと契約し、力を貸したと聞いていますが……」
「通じていないみたいだな」
ルークがイオンを押しのけて前へ出ようとしたとき
「みゅぅ…みゅみゅみゅみゅーみゅ……」
と、老成したような若干低い声が聞こえた。そのとたん、魔物たちは静まり、道を開けた。
イオンはティアに頷いてから、魔物たちの間を通る。
「ユリア・ジュエの縁者のものか…?」
「「えっ!?」」
ルークとティアは思わず声を上げてしまった。が、イオンは大して驚いていない。
「魔物が…喋った……!?」
すると、老チーグルは持っている黄金のリングを示し、また口を開いた。
「これは、ユリアとの契約で与えられたリングの力だ。お前たちはユリアの縁者か?」
「はい、僕はローレライ教団の導師イオンと申します。あなたはチーグル族の長とお見受けしますが?」
「いかにも」
老チーグルが頷くと、ルークは一歩前に出た。
「おい、おまえ。単刀直入に言うが、エンゲーブで食い物を盗んだろ?」
老チーグルは目の上にたれた毛の間から、ちら、とルークを見た。
「なるほど……それで我らを退治に来たか……」
「わからないのですが、チーグルは草食でしたね。何故人間の食べ物を盗む必要があるのです?」
「チーグル族を存続させるためだ」
「わからないな」とティア。「この森には緑がたくさんあるから食べ物に困っているようには見えないけど…。それに、草食であるあなたたちがどうして肉を盗む必要が?」
「我らが食べるのではない」
そして、老チーグルは深いため息をついた。
「半月ほど前だ。我らの仲間が北の地で火事を起こしてしまった。その結果、北の一帯を縄張りとしていた『ライガ』がこの森に移住してきたのだ。…我らを餌とするためにな」
「では、村の食料を奪ったのは、仲間がライガに食べられないためなんですね?」
「そうだ。定期的に食べ物を届けぬと、奴らは我らの仲間を攫って食らう」
「ひどいな」
ティアがこぼしたが、ルークにはどう考えてもチーグルが悪いとしか思えない。
(弱い者が強い者に食われるのは当たり前だろ?)
と思ったが、口には出さなかった。
「イオン様。彼らが犯人だと証明されました。…ですが、この後どうされますか?」
ティアが彼を見ながら訊くと、イオンは腕組みをしながら答える。
「このまま、彼らに盗みをさせるわけにはいきません。しかし、そうすると、今度はライガがチーグルを…そして、餌を求めてエンゲーブへ大挙するでしょう。エンゲーブはマルクト帝国だけではなく、世界中に食糧を出荷しています。そのエンゲーブがなくなれば、食糧の値段は高騰し、争いの火種となるでしょう。」
「なら、どうするって言うんだよ?」
イオンはしばらく考えたあと、頷いた。
「ライガと、交渉しましょう」
当たり前のようにイオンは言ったが、ティアは
「え…魔物と……ですか?」
と目を丸くしている。当然のリアクションである。
「ライガってのも喋れるのか?」
当り前の問題である。
「僕たちでは無理ですが、通訳を連れていけば……」
イオンが言うと、老チーグルは頷いた。
「…では、通訳のものにわしのソーサラーリングを貸し与えよう――みゅう、みゅみゅみゅみゅ〜みゅみゅう」
彼が群れの中へ向かって呼びかけると、一匹の青緑っぽい体毛に大きな紫色の瞳の小さなチーグルが何故か恥じらい気味に前へ出てきた。
「なんだ、こいつ……」
「この仔共が北の地で火事を起こした我が同胞だ。これを連れて行ってほしい。」
そう言うと、老チーグルは手に持っていた金色のリング――ソーサラーリングを渡した。それは、うきわのように腰でもって三人を順々に見上げた。
「ボクはミュウですの!よろしくおねがいしますの!」
「かわいいっ」
ティアが少年らしからぬ声でそう呟いたので、ルークはぎょっとして振り向いた。
「今、何て!?」
「うっ……」
彼は、サっと目をそらし、何でもない、と呟いている。
ミュウと名乗ったチーグルは大きな紫色の目で二人を不思議そうに見ている。
「みゅぅ……どうしたですの?」
その、甘ったるいような声。なんだか、腹のあたりがむかむかする。
「なんか、ムカつくな……こいつ……」
若干怒気を含んでいるようなルークの低い声を聞いて、ミュウはわざとらしく(見えた)震えて「ごめんなさいですの!ごめんなさいですの!」と言っている。
「うぁーーっもう!なんかムカつく!少し黙っとけ!」
「みゅぅ―――――っ!」
おびえたように叫び、ミュウはティアの後ろに隠れる。
「やめなよルーク」
「……」
ティアと目が合った。なんか、睨んでないか?
「チーグルはローレライ教団の聖獣だよ。そんな風に言うなんて、信じられないな。カワイイし」
「カワイイ!?どこが?つか、おまえ男なのに……」
「まぁまぁ、二人とも……」
収拾がつかなそうだったのでイオンが割り込む。
「今は喧嘩をしている時ではありませんよ。急いでライガとの交渉へ向かいましょう」
「そうですの!はやくいくですの!」
「おまえはだまってろ!」
「みゅぅう…」

巣穴から出てすぐ、さっきまでのおびえていた様子もまったく伺わせないミュウが
「みなさん、みてくださいですの!」
と言い、何の前触れもなく、その口から炎を噴き出した。
「うわっなんだこいつ!火ふいたぞ!?」
ルークは飛び上がったが、イオンは思い出したように言った。
「そういえば、チーグルは炎を吐く種族でしたね」
「はいですの!ミュウはまだこどもだから、ホントはひなんてふけないですの。でも、このソーサラーリングのおかげでひがふけるようになるですの」
「ふぅん…」感心したようにルークはミュウのリングを見る。「ソーサラーリングって翻訳みたいなのができるだけじゃないんだな。」
「もともとは、譜術の威力を高めるためのものなんです。響律譜の一種ですよ。」
「響律譜って…さっき貰ったこれとおなじなんだな。」
「みゅ、ルークさんもほのおをはけるですの?」
「なわけないだろ。」
ルークは呆れたように溜息をつく。
こいつ、マジうざい。
けど、あんま言うとティアが怒るからな……。
……それにしても、ティアって意外な……いや、個人の趣味だしな。
「ティア、ミュウってそんなにカワイイのか?」
「まあ……。ルークは?女の子だからやっぱりカワイイのとか好きだろ?」
「悪い、昔からそういうのぜんっぜん興味なかった。」
カワイイどころか、こいつ、ほんとムカつくな。
「ブタザル?」
「みゅっ?」
つい、口に出ていた。
「ルーク、何、ブタザルって?」
「なんでもない……」

森の奥へ進んでいくと、大きな洞穴があいていた。
ミュウを先頭に洞穴の中に続いている木の根を下って行った。
そして、開けた場所に出ると、ミュウが不意に立ち止まった。
その奥には巨大な獣がうずくまっていた。一見ネコ科の動物ではあるが、体長は3m近くもある。
「あれが女王か…」
「女王?」
「ライガは巨大なメスを中心に群れで暮らしているんだ。」
イオンはミュウに視線を落として言う。
「ミュウ、ライガクイーンと話をしてください」
「はいですの!」
ミュウはちょこちょことライガクイーンの前に歩み出る。
「みゅう、みゅみゅみゅみゅー」
ライガクイーンは低く唸りながらゆっくりと立ち上がる。
「みゅーみゅみゅうみゅ!」
すると、ライガークイーンは地がなるほどの咆哮をし、ミュウを吹き飛ばした。
「みゅうーっ!」
「あいつはなんて言ってた!?」
ルークが駆け寄ってミュウに聞くと、ミュウはゆっくりと体を起こした。
「た、たまごがかえるところ…だから、…くるな…っていってるですの…。ボクがまちがってライガさんのおうちをかじにしてしまったから…じょおうさま、すごくおこってるですの…」
「卵?ライガって卵生なのか!?」
「ミュウもたまごからうまれたですの。まものはたまごからうまれることがおおいですの」
「まずいな…」
ティアは低く言った。
「卵を守るライガは凶暴性を増しているはずだ」
「じゃあ、出直すってのか?」
イオンは首を横に振る。
「ですが、卵が孵れば生まれた仔共は餌を求めて町へ大挙するでしょう。」
「え…」
「ライガの子供は」
ティアがあとを引きとる。
「人を好むんだ。だから町の近くに住むライガは繁殖期の前に狩り尽くすんだ。」
「それって、人を喰うってことか……?」
ルークに、ティアが頷く。
イオンはミュウに言う。
「ミュウ、彼らにこの森から立ち去るように言ってくれませんか?」
「は、はいですの!」
ミュウはライガクイーンに向きなおる。
「みゅう…みゅうみゅみゅみゅみゅーみゅ!」
「グルル……」
「みゅっ!みゅうみゅみゅー!みゅう!」
ライガクイーンは、また咆哮した。洞穴がゆれ、はがれおちた巨大な木片がミュウの頭上に落ちてきた。
「みゅぅー!」
ルークが咄嗟に使い慣れない剣でそれを払った。
「あ、ありがとうですの!」
「勘違いするなよ、イオンを守っただけだ。」
けれど、そんなやり取りをしている暇はない。ライガクイーンがこちらに歩きだした。
「ボ、ボクたちをころして、うまれるこどものエサにするっていってますの……」
「そんなの、冗談じゃねぇ!」
ティアは剣を抜いてイオンの前に立つ。
「導師イオン、お下がりください!…ルークも!」
「いや、うちも戦う!」
と、ルークも前へ出る。
「ルーク……うん、無理だと思ったら、すぐに下がって……」
「ああ!」
ティアはライガクイーンの後ろに回り込み、上下に剣を振り下ろした。緑色の閃光がはしる。
「はぁっ双牙斬!」
しかし、その剣はライガクイーンの毛皮を滑っただけだった。
ライガクイーンはティアをはじきとばす。
「ティアっ!」
そして、すぐに狙いを変えてルークに突っ込んでくる。
ルークは反射的に剣を構えて、ライガクイーンの、巨大な爪を防いでいた。が、力押しされている。自分の非力な力じゃ、あっという間に人の顔ほどもある前足で潰されてしまう。
(やばいやばいやばい!)
しかし、一瞬ライガクイーンの動きが鈍くなる。多分、これは屋敷で聴いたあの歌だ。
ルークはその先に抜け出しライガクイーンに切りかかる。が、ティア同様毛皮の上を滑るのみ。
(全然、効かない!)
「ルーク!」
ティアが背後からライガクイーンに切りかかった、だが、巨大な尾に弾き飛ばされ木にたたきつけられてしまった。
体を起こそうにも、なかなか動かない。
(このままじゃ、ルークが……!)
「ル…ク……」
ティアの苦しげな声が耳に入る。やはりうちは足手まといか――――――!
こんなとこで、殺されるのか……
ルークが目を閉じた時だった。
「荒れ狂う流れよ……」
(!…誰だ!?)
「スプラッシュ!」
大量の水が突然ライガクイーンの真上に現れ、ルークたちごと飲み込んでいった。
しかし、ルークもティアも全く濡れてはいない。だが、ルークの目の前にライガクイーンの巨体が横たわっていた。
皆が一斉に振り向くと、そこには2人の人が立っていた。
片方は昨日の導師守護役の少女だ。彼女はイオンの姿を見るなり笑顔で駆け寄ってきた。
「イオン様ぁ〜!」
少女は、イオンの手を握る。イオンは彼女に弱弱しく微笑んで言う。
「アニス……心配かけてすみませんでした…」
「そうですよぅ、心配したんだからぁ…」
と、わざとらしく不機嫌な表情を作って腕組みをする。
「今朝ふらふら〜っといなくなったと思ったら、こんなトコにいて、しかも魔物に襲われてる!もう、心臓ドッキドキでしたよ!大佐に見つけてもらわなかったらと思うと…」
ね?と、アニスは後ろを振り返る。ルークたちはアニスにばかり気を取られていたのであまり見ていなかった。
「ジェイド…」
イオンが小さく呟く。
「……」
背の高い…女性は肩まで届くハニーブラウンの髪を軽く払った。
首のつまった黒のインナーに青主体のボタンの多い、マルクト軍の軍服。腕の付け根まであるグローブ。腿のあたりまであるヒールの高いロングブーツ。襟からつながった二股のマント。
どこからどう見ても軍のお偉いさんだ。
しかし、何よりもルークたちの視線を奪ったのは、彼女の顔である。
かなり端整な顔立ちだが、フレームのない眼鏡の奥の切れ長なピジョンブラッドの瞳には感情がなく、口は無愛想に結ばれている。
しかし、それが不思議な美しさを引き立てていた。……パッと見、歳はよく分からない。二十代だろうか。
「イオン様」
とジェイドと呼ばれた女将校は感情のない冷たい声で言った。
「何故此の森に来られたのか、又、民間人まで巻き込まれたかを説明していただきましょう。」
イオンの表情が硬くなる。
「それは……」
「見たところ、少年の方は神託の盾騎士団員の様ですが、少女の方は全くの民間人ですね。彼女を巻き込む必要は何処に?腕が立つようには見えませんし。」
イオンがうつむいてしまったのでルークはむっとした。自分も馬鹿にされた気もするし、そんなに責めるような口調で言わなくてもいいだろ。
「おい、もういいだろ。うちは勝手にここに来ただけだし、イオンと一緒にいるのも、うちが自分から言い出したことだからな。それに、イオンだって反省してるからもう許してやってもいいだろ、おばさん」
「……貴女は?」
おばさん、という単語を見事にスル―して、ジェイドはルークに目を向けた。
「うちは、ルーク。そこにいるティアの連れだよ。」
それを聞くと、彼女はもうルークから興味を失ったように、アニスに振り返った。
「アニス」
「なんですかぁ大佐?」
アニスはにこっと笑ってジェイドに駆け寄る。
ジェイドはしゃがむと彼女の耳に何かを囁いた。彼女は、ふんふんと頷いてまたにこっと笑った。
「えっと、わかりましたぁ。そのかわり、イオン様をちゃんと見張っててくださいね」
「勿論」
アニスは踵を返すと森の出口のほうへ走って行った。
それを見届けたあと、自分で傷を治したのか、ティアが歩いてきた。彼はジェイドに軽く頭を下げた。
「助けていただき、ありがとうございました。ぼくはティア・グランツ。あなたの言うとおり、神託の盾騎士団に属しています。……それで、あなたは?」
「名乗り忘れていましたね。」
軽く眼鏡を直して、軽く姿勢をただした。
「私はマルクト帝国軍第三師団所属のジェイド・カーティス大佐です。」
それから、イオンに視線を落とす。
「イオン様、時間があまりありません。」
「親書が届いたのですね!」
イオンは顔を輝かせ、ジェイドは頷いた。
「はい。ですから、早急に此の森を出ましょう。」
「ま、まってくださいですの!ちょうろうにほうこくするですの!」
ミュウが足元で跳ねたので、ジェイドはそれをつまみあげた。
「チーグルが人語を?」
「みゅ、みゅぅみゅぅ……」
彼女の紅い瞳に射すくめられ、ミュウは小さく鳴いて動かなくなった。
「ミュウの持っているソーサラーリングの力です。ジェイド、僕もチーグルの長老に報告したいと思いますが…」
小さくため息をついて、ミュウを放り投げながら答える。
「分かりました。ですが、余り時間が無いという事を忘れないで下さい。」
「はい…」
投げられたミュウを拾い上げ、ティアはジェイドを軽く睨む。
ルークは少し気になったのでライガの卵を覗いてみる。それらは全て割れてしまっていた。おそらく、あの女が使った譜術の余波のせいだろう。
「なんか後味悪いな…」
「優しいんだね」
ティアの、冷たい声。
「それとも、甘いのかな」
「うるさいな。そんなんじゃない。」
「そっか。まあいいや。とにかく、行こう?」
「うん…」
もう一度振り返る。なんだか、胸が痛む。だが、これで守れたものもたくさんあるんだ。そう、言い聞かせる。そう、言い聞かせないと…。

「みゅう、みゅみゅみゅみゅーみゅ」
「みゅう…みゅうみゅみゅ……みゅう」
チーグルの巣にもどったミュウは長老に報告をしている。…正直、つまらない。
イオンとティアは面白そうに見ている。だが、ジェイドは興味なさそうに壁に凭れかかって腕を組んでいる。
(早く終わんないかな)
あくびをかみ殺しつつ、少しうろうろしてみる。ふと、ジェイドと目が合った。彼女はやっぱり無表情だ。
「何か?」
冷たい声だ。
「えっと、ジェイドと一緒にいたアニスっていう子はどんな子なのかなって……」
「ああ、彼女はアニス・タトリン。神託の盾騎士団の唱師で、イオン様の導師守護役です。」
「あ、ありがとう…」
(別に訊きたいって思ってた訳じゃないけど……)
ルークが視線をミュウ達に戻すと、長老にソーサラーリングを返したところだった。
老チーグルはソーサラーリングをしっかり支えると、それぞれを見上げて軽く頭を下げた。
「話はミュウから聞いた。ずいぶんと危険な目に遭われたようだな。二千年も経った今、こうして約束を果たしてくれたことに感謝する。」
「いえ、チーグル族を守ることは、ユリアの遺言です。守るのはユリアに関わるものとして当然のことをしたまでです。」
イオンが微笑む。老チーグルはミュウを示しながら続ける。
「しかし、そもそもの原因はこのミュウにある。これにはそれなりの責任を取ってもらわなければならん。よって」
長老は、ミュウを見ずに、イオンを見上げながら言った。
「ミュウを我が一族から追放する。」
「みゅっ…みゅぅぅ……」
「それはあんまりです。」
イオンがうなだれたミュウをかばうように言う。
「無論、一生というわけではない。これから季節が一回りするまで、ミュウはルーク殿に仕える。」
「はぁっ!?」
ルークは、いきなり指名されたので声が裏返ってしまった。
「なんでうち!?」
「聞けば、ミュウはルーク殿に命を救われたとか。チーグルは恩を忘れぬ。それに、ミュウがルーク殿について行くといって聞かないのだ。」
「みゅう!」
(いいな……)
ティアはうらやましそうにルークとミュウを交互に見た。
イオンはにこにこ笑っている。
ジェイドは…興味なさそうだ。
「けど……」
「チーグルは我が教団の聖獣ですから、ご自宅でもかわいがられると思いますよ?」
イオンがそう勧めるので、ルークは渋々頷いた。
「仕方ねぇな…ガイたちへの土産にでもするよ。」
老チーグルからソーサラーリングを受け取ったミュウは飛び上がった。
「よろしくおねがいしますの、ごしゅじんさま!」
「ごしゅじん…さま…」
ティアはその言葉を何度も口の中で噛みしめている。
ジェイドは踵を返して出口へ歩き出した。
「用も終わりました。さあ、早く出ましょう。」
「あ、はい!」
イオンは長老に一礼すると、慌ててジェイドを追った。

ジェイドを先頭に、森の出口へ向かっている。
「あの人、ただの譜術士じゃないね…」
「なんだよ、いまさら……」
少し間を開けて後ろを歩いているティアが小さく言う。
「だって、あのライガの女王を倒した譜術『スプラッシュ』は中級譜術なんだけど、威力が桁違いだったから。」
「あれで、中級…」
先頭を歩く女はいったい何者なんだろう。軍人ってことはわかるけど…。
「た〜いさぁ!」
顔を上げると、森の出口からアニスが駆けてきた。
「アニス、タルタロスは?」
「もっちろんバッチリですよ!大佐が大急ぎでって言うから特急でがんばっちゃいました!」
アニスが振り向くと、何人ものマルクト兵が剣を抜いた状態でルークとティアを取り囲んだ。
「これはどういうことだよ!」
「其処の二人を捕えなさい。正体不明の第七音素を放出していたのは彼らです。」
「ジェイド!2人に乱暴なことは……!」
イオンの声が耳に入ったが、ルークはそれが遠くで聞こえているような気がした。
(なんでうちがこんな目に…!)
ルークはほとんど使えない剣の柄に手をかようとした。けど、無理だ。
自分を誘拐した敵国の人間なのに……
ティアが、そんなルークの手を押えた。
「やめたほうがいい。」
「私は貴方達を殺傷する気は有りません。但し、抵抗するならば、命の保証はしかねます。」
向けられた感情のない冷たい紅い瞳に、思わず背筋が凍る。
「…わかった…」
ルークは柄から手を離し、ジェイドの瞳から目をそらした。
「連行せよ。」
彼女が命じると、兵たちはルークたちを連行していった。

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あきゅろす。
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