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性転換的アビス(笑)

天井の高い六角形の筒のような部屋の床に大きく描かれた譜陣は強く輝いている。
彼がそっと片足をのせると光がより一層強く輝き、思わず足を戻した。
――これからぼくは1つの決意をしなければならない
   もう戻れないかもしれない。間違っているかもしれない。 それでも
    やらなくては いけないんだ――
彼は息をのみ、目をかたく閉じた。体が震えている。
怖いんだ。そう、とても。 しかし、これはもうなくさなくてはならない。
――終わらせるんだ。――
目を開けて、譜陣に身を乗り出した。
一つに結んだ腰まで届くほど長いマロンペーストの髪が照らし出され、サファイアブルーの瞳はもう震えていない。
少し血の気が引いた白い肌を包む、教団兵の服をゆらして
始まりの鐘を鳴らすように、彼は言った。
「行きます」


キムラスカ・ランバルディア王国 首都バチカル
レムデカーン・レム・23の日
その日も、ルーク・フォン・ファブレは空を見上げていた。雲は全くないが、いつもと同じようにガラスのような石――譜石が浮かんでいて、それらは太陽の光を浴びて鈍く光っている。
ため息をついて窓を離れる。
外を見ていると、なんだか胸の中がぐしゃぐしゃにされるようなイライラするような気持ちになり、一度でもいい、空を、庭なんかじゃなくてもっと広い大地で見上げてみたい。そう、強く思ってしまう。
この、鳥籠のような屋敷から飛び出したい。
今まで何度願っただろうか。あと3年で叶う。そう自分に言い聞かせてきた。 そう、あと、3年…。
ルークは、燃えさかる焔のような長い髪を整えた。
父や母などからよく身だしなみを整えるように言われてきた。別に外に出ることもないのでどうでもいい気がするが、王族としての自覚を普段から持つようにするためらしい。
そんなモノに生まれたいと望んだわけじゃないのに。
それに、自分は幼いころの記憶がないので、自分が本当にルークなのか怪しいものがある。
彼女は、ペールとでも無駄話をしようかとドアノブに手をかけた。
その瞬間、頭を締め付けられるような激痛が一瞬はしり、思わず蹲り頭を押さえた。すると、痛みはすっと引いていった。
「…気のせいか」
特に気にも留めず、再びドアノブに手をかけ、開けた。
吹き込んでくる風に、腹の部分だけ開いた白いコートの尾が靡いた。
ペールはファブレ家の庭番の老人で、よくルークの話し相手になってくれる。
今日もいつものように花の世話をしていた。
「よう、ペール」
「ルーク様」
彼は深々と頭を下げた。ルークは少し笑って彼に近づいた。
「今日も花の世話をしてるんだ。毎日同じことばっかりしていて飽きないのか?」
「ええ、これでルーク様の御心を癒すことができるならば。」
「そんなもんなのか?…まぁ、たしかに、花っていいよな。」
ルークはしゃがみこんで花を眺めた。
「ルーク様、お召しものが…」
「いいってそんなの。洗えばいいんだしさ。」
彼女は桃色の花に手を伸ばした。テントウムシ…だったと思う。赤い背中に黒い斑点の小さな虫が顔を出した。
それを手にとって、掌に転がした。
「ガイに聞いたことがある。テントウムシは、空に向かって一番高いとこから飛び立つって。」
死んだふりをしていたテントウムシは起き上がってルークの指先を目指して登り始める。
「うちは、この国の一番高いとこにいるってのに、まだテントウムシみたいにとべねぇのかな」
テントウムシが彼女の人差し指から飛び立つのを見送って、小さく漏らした。
「いいなぁ」
「ルーク様…」
ルークは立ち上がってコートの裾を軽く払った。
「ま、いくら言ってても始まんないし、今は父上と伯父上の許しが出るのを待つことにしてるしな」
「左様ですか。」
ルークは、部屋に足を向けた。
「ルーク様。」
「何?」
ペールが微笑んで言った。
「貴女様ならばいつか必ず誰よりも高いところへ飛ぶことができる。私はそう信じております。」
「ありがと」
微笑み返して、鳥籠のような部屋に戻って行った。

部屋に入ったらすぐ、彼女はベッドに倒れこんだ。
「誰よりも高いところへ飛ぶことができる…か」
ペールの言葉を思い出して、すこし気持が安らいだ。本当にそうなれればいいな。
さて、やることも別にたいしてないし、たまには本でも読むかなと積み上げてある本に手を伸ばした。これらの本はみんな父からの命令でメイドたちが置いて行った本だ。
基礎的な音素(フォニム)学の本とか譜業とか、音機関とかローレライ教についての本とか。
適当に選んだ本を他の本を崩さないようにそっと取り出し、ペラペラとページをめくった。
やたらとたくさんフォニック文字とか数学用記号みたいなものがただひたすら綴られているこの本はたしかマルクト帝国の将校が著した音素学の本らしい。あまりにも詳しすぎて理解不能だ。
そもそも何故敵国であるマルクト人の著書がここにあるのかが分からない。まぁ、その本に書いてあることが重要だから、著者の出身地は関係ないんだろうと思うが。
とにかく、難しすぎる。もっと面白い本はないのだろうか。
「音機関マニュアル?ガイが置いていったのかな」
ベッドの脇に落ちていた薄めの本を拾った。ガイはメイドたちの間で音機関マニア…もはやオタクとか偏執狂という噂があったりなかったり。
ぶっちゃけどうでもいいので読まなくていいやと思いその本を放り投げた瞬間、再び頭に激痛が走った。
さっきよりもずっと痛い。頭が、割れそうだ。思わずベッドから転がり落ちてしまった。
「い……てぇ…っ」
いつもの声が頭の中に響いた。
――…ク…我が声に答えよ…――
「おま…えは……いつもの…っ」
「ルーク!」
驚いたような若い男の声が聞こえた瞬間、いつもの声はすぅっと引いて行った。まるで、邪魔されたのを嫌がるように。
「ガ…イ……?」
彼女が窓のほうへ目をやるとそこには金髪の青年が縁に立っていた。彼は心配そうにルークに駆け寄る。
「いつもの頭痛か?」
「多分…」
ガイはほっと溜息をついた。
ガイはファブレ家に仕える使用人で居合の達人(らしい)である。小さいころからずっと一緒にいて、何も知らないルークにいろいろと教えてくれた兄のような存在だ。頼りになるし、優しいし。
「最近多いよな…大丈夫か?」
「うん、いつもなんともねーし…」
頭を少し抑えてからルークはガイを見上げた。
「たしか、マルクト帝国に誘拐されてから…だったよな。」
「よく覚えてないけどな。多分それくらいから…これのせいでうち、変な奴みたいだ。」
「……」
と、部屋にノックの音が転がって二人はぎょっとして顔をあげた。
ドアのむこうからは聞き慣れたメイドの声。
「ルーク様」
「おっとまずい…俺、ここにいるのは内緒なんだ。じゃあ失礼するよ。」
ガイは入ってきたのと同じ窓の縁に足をかけるとウインクして駆けて行った。彼はとても素早い。
「ルーク様?」
なかなか返事が来ないのを不審に思ったようなメイドの声に、あわてて返事をした。
「ああ、入れ」
「失礼します」
メイドは安心したようにドアを開けて一礼した。
「ルーク様、旦那様が応接室でお待ちになっています。」
「父上が?」
父からの呼び出しはだいたいが日々の生活態度へのお小言である。おそらく今回もそうだろう。あまり、行きたくない。
「あと…その…ヴァン謡将もいらっしゃっています。」
「ヴァン先生も!?」
ルークはパッと顔を輝かせた
ヴァン・グランツは神託の盾(オラクル)騎士団の主席総長を務めており、ルークの叔父であるインゴベルト六世と親交がある。なので時々ファブレ家直属の騎士団、白光騎士団の剣の指南にやって来る。
彼はいつも大剣を身につけている。その剣を一度持たせてもらったことがあるが、あまりにも重くてとても持ち上げられるようなものではなかった。まして振り回すことなんて絶対に無理だ。
けれど、彼はその剣をまるで木の枝のように軽々扱ってしまう。
そして、剣を使っている彼の流れるような動きがとても美しかったことをよく覚えている。
ルークは彼に勉強以外のことを教えてもらったりしている。そう、なんでも初めて習うことのように。けして父や母のように知っていて当然なことをわざわざ教えてやっているような雰囲気はまったくさせなかった。
すべての面においてルークのあこがれの人。心の底から尊敬している。
女だから、王族だから、危険だからと剣を持たせてもらえなかったが、いつか許しをもらえたら彼のようになりたいと思っている。
彼女は首を縦に振った。
「わかった、今すぐ行くよ!」
メイドの横をルークは駆け抜けていった。

応接室に入ると、大きな長テーブルの上座にルークの父のファブレ公が、そしてわきには母のシュザンヌ、そしてヴァンが座っていた。
「ただいま参りました、父上…」
若干父の顔色を窺うように言いちら、とヴァンを見る。
「ルーク、座りなさい。」
ファブレ公がそんなルークを少し睨むような眼で見ながら静かに言った。ルークは小さく頷いてヴァンの隣の席に座った。
「先生!今日はうちに何を教えてくれるんですか!?」
こみあげてくる気持ちを必死で押さえながら、ヴァンに上目づかいで聞いた。
ヴァンはサファイアブルーの瞳を優しく細めてルークの髪をそっと撫でた。
彼はいつものようにマロンペーストの髪をきつく縛り、肩のあたりに長いとげのようなものがついた灰色基準の神託の盾騎士団の法衣を着ていた。彼は27歳らしいのだが、顎にひげを蓄えているためか貫禄がありずっと上に見える。
「ルーク」
父のやや冷めた声でルークは振り向いた。
「はい?」
「ヴァン謡将は明日よりダアトへ帰国されるそうだ。」
「えっ!?」
ルークは思わず身を乗り出した。
「何でですか!?それじゃうちに…」
「勉強を教える係はガイがいるだろう。それにもともと、ヴァン謡将はお前の家庭教師などではない。」
「…けど…」
ルークは口をつぐんだ。これ以上何かを言い続ければ両親だけではなくヴァンにも煩わしく思われてしまうだろうから。
「わかり…ました…。」
彼女は静かに椅子に座りなおした。
「安心しろ、私はすぐに戻るからな。」
ヴァンがやさしく言うと、ルークは顔をあげた。
「じゃぁ、ひとつきいていいですか?どうして帰んなきゃいけないのか教えてください」
「…導師イオンは知っているな?」
導師イオン…たしか…ずいぶん前に先生から聞いたことがあるようなないような……えっと、そうだ思い出した、ローレライ教団の最高指導者だったっけ。
そいつのおかげでキムラスカとマルクトが休戦が成立してるんだよな。
「…はい」
「その導師イオンが行方不明なのだ。私は導師の捜索の命を受け、ダアトに帰国せねばならない。」
「なんでその…イオンってのが行方不明になったのかわかりますか?」
「判らぬ。それを確かめに行くのだ。」
ルークはそっと席を立った。
「どこへ行くの?」
母に呼ばれても、ルークは振り返らず応接室を出た。

(ヴァン先生、ダアトに帰っちまうんだ…)
はぁ、とため息をつく。
(せっかく来てくれたとおもったのに、それを言うためなんてな…)
屋敷の中をぶらぶらしながらルークはため息ばかりついていた。
(どれくらい長くきてくれないんだろうなぁ…もしかして、そのイオンってやつが見つかれば帰ってきてくれるのかなぁ…)
窓からちら、と庭を見た。すると、そこにはガイとヴァンがいて、二人で何かを話しているようだった。
(なに話してんだろ)
少し気になったので、近くの扉に手をかけた。

「なるほどねぇ、神託の盾の騎士様も大変だな。」
ガイがヴァンから帰国の理由を聞いて頷いた。
「仕方がない。…そういうわけだ、しばらく貴公に任せるしかない。国王や公爵、それからルークの…」
「ルーク様!」
と、ペールが叫ぶのに似たような大きな声で知らせた。そこの声で二人は話すのをやめ、ルークのほうを見た。
「なにしてるんだ、ガイ?」
疑うような口調ではなくて、ただ面白そうに聞いてきたのでガイはいつものように微笑んだ。
「いや、ヴァン謡将は剣の達人ですからね。すこしばかりご教授願おうかと思って。」
「ホントかよ?そうには見えなかったけど。」
ははは、とガイは誤魔化すように笑った。
すると突然ルークが思いついたような顔をした。
「そうだ!」
「どうした?」
少し楽しそうな顔をして言った。
「だったらさ、ガイと先生で模擬戦闘やれよ。そしたらさ、聞くよりもずっと身につくって!」
ガイとヴァンは首をかしげた。ルークはただ二人が戦っているのを見たいだけである。
「だとさ、どうしますか、ヴァン謡将?」
「ふむ。」
ヴァンは薄い笑みを唇にたたえ言った。
「たまにはよかろう。」
「やった!」
ルークは笑顔になって後ろへ下がった。ヴァン先生の戦闘が見られる!
ヴァンとガイは練習用の木刀を手に取り、構えた。
ガイは小声であまり得意じゃないんだけどな、と呟く。
「練習とはいえ、手加減はしなくていいぜ。」
「貴公も全力でくるといい。」
二人が同時に動いた。木刀と木刀がぶつかり合う音が鈍く響く。
さすがは主席総長、一発が重い。だが―――と、ガイは峯に当たる部分で見事に受け流し、ヴァンの頭上に舞った。ガイの得意な軽技だ。
ガイはヴァンの頭上から切りかかる、が、ヴァンはそれを流し彼が着地した瞬間木刀を思い切りはじいた。
カラン
と音をたて、木刀はルークの足もとに転がった。
「勝負、ありだな。」
ガイの喉に木刀を突き付けてヴァンは言った。
「ありがとうございました。」
悔しさを滲ませない、むしろ清々しい顔をしていた。
「やっぱ強いなぁ」
と、笑った。
ルークが二人に駆け寄ろうとしたとき、急に体が重くなった。それだけではなくて抗いがたい激しい眠気に襲われた。なんだ、これは…
必死で顔をあげるとヴァンもガイもうずくまっている。
「なん…だ…?」
これは、何の音だ?…ちがう、これは…声?
「からだが…うごか…な…い」
瞼が急に重くなって視界が暗くなっていく。
「この声は―――!」
ヴァンがはっとしたように言う。
「これは譜歌じゃ!お屋敷に第七音譜術士(セブンスフォニマー)が入り込んだか!?」
ペールが叫び、ガイが腹立たしげに舌をうつ。
「くそ……警備兵たちはなにをしているんだ……!?」
この屋敷に入り込んだ理由はルークか公爵だろう。しかし、そうではなかった。
「ようやく見つけた……裏切り者、ヴァンデスデルカ!!」
屋根の上から声変わり後間もないような少年の声が響き、顔だけを動かしてみるとヴァンのものと似た神託の盾騎士団の法衣を身にまとった少年が立っていた。彼の右手には剣。
「覚悟っ!」
少年は屋根からヴァンをめがけて切りかかった。
ヴァンは重い体を動かして木刀でそれを受け止めた。
「くっ……やはりお前か、ティア………!」
彼はやっとのことで少年の剣をなぎ払ったが、襲い来る眠気からか力なく跪いてしまった。少年の剣が振り下ろされる、その瞬間ルークは足元に転がっていた木刀を拾い上げ少年に必死に向かっていった。
「せん…せいに…なにしてんだ…っあ!!」
少年は振り上げかけた剣でその木刀を受け止めた。ヴァンに背を向けた状態で。本来なら絶対にしてはいけない、敵に背を向けるなど。しかし、ヴァンには少年を攻撃する力は残っていないようだった。
少年はルークの木刀をなぎ払おうとした。しかし少女の力は想像以上に強かった。
木刀と剣がせめぎ合う。
その時、ルークの頭の中にあの声が響いた。
――――…け…ローレライの意思よ…開くのだ……!
「こんなとき…に…」
彼女の体が不思議な光に包まれた。彼ははっとして目を見開く。
「これは……第七音素(セブンスフォニム)!?」
キィィンという音が、響いた気がした。
「いかん…やめろ!」
ヴァンは二人の間に入ろうとした。しかし、もう遅かった。
木刀と剣の間で何かが膨張していくのが見えた。そしてそれが二人の体を包み込んだ。
目を開けていられないほどの光が、空へ消えていった。
そして二人は悲鳴だけを残して、光とともに消えてしまった。
「しまった…第七音素が反応しあったか……!」
というヴァンの苦しげな呟きをガイは聞いた。

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