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大和の政治(総督府広報) 日本総督府からの様々な発表を、 電脳委員会が更新します。
2013-01-11(金)
労働党が日本を解放した朝。

西暦2012年10月23日に日本国は正式に「大阪臨時革命政府」の決定により、により解体された。

西暦2012年11月11日。
無政府状態となった日本民族を救済すべく、朝鮮労働党の高麗大国構想の一環として、朝鮮への日本併合が決定した。


当時の日本は中央政府が崩壊し、
関西は橋下首長はこの朝鮮労働党の提案を、
「日本民族を救う最後の手段だ」として受け入れました。



その時、日本人民には秩序無き、ニヒリズム的な混乱とあきらめが蔓延していた。
偉大なる朝鮮労働党の幹部らもさすがに日本併合と統治にはたじろいだ。
一億の人口を誇る経済大国をどうやって統治するのだ?

それは誰もが感じていた。
南朝鮮の併合・統治には時間は掛からなかった。
だが言葉も民族も違う日本を救うのは全くの未知なる闘いだった。


しかし、当時、日本救済委員会の委員だった朴丁寧氏は、「杞憂だった」と語る。

「日本人民は我々が思っていたよりも働き者で、
 団結した精神に満ちていた。」
「日本人民は再び、無政府の混乱からあっというまに立ち上がった。」

朴丁寧委員は、日本併合が決まった時の
日本人民の不安そうな顔が忘れられないと言う。
「この人たちのためにも日本総督府を作ろうとここから願った。朝鮮民族と日本民族は兄弟だからだ。」


当時、大阪臨時革命政府の首長だった橋下同志も
日本人民の復活がスムーズに行われた事に驚いている。
「2012年の日本は本当にバラバラで混乱していた。関西が立ち上がったのは良かったが自立できるだけのそこ力が無かった。」


今年西暦2013年は記念すべき年だ。
朝鮮の一部と成った日本は再びアジア一の経済大国に躍り出ている。
日本の技術力が中華連邦民國やロシアにも多大なる影響を与えている。

はやぶさ2号が飛ぶのも、朝鮮労働党の指導なくては有り得なかった。
日本併合を成功させた我々は更なる、
人民の幸福のために邁進するのである。



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