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コラム

2005-01-01(土)
初めての甘利山


山寺仁太郎(白鳳会・甘利山倶楽部顧問)

初めて甘利山へ登ったのは、小学校四年生の時、昭和四年の初夏であった。もう七十年以上昔のことになるが、その時の鮮やかな印象は、今も決して消え去ることはない。

栗平を少し上ったところ、山道が大きく右手に曲り、左の方に小径が、新緑の中に消えてゆく。其処に、一寸した小屋掛けした茶店があった。ヤマツツジが満開であった。旭村の武骨な小父さんが、お茶を出し、ビールやサイダー、餅菓子などを賣っていた。お茶だけだと干菓子がついて、茶代は五錢。
小学四年生の一行は、餅菓子を買いたがったが、誰も金を持っていない。大人達を羨ましそうに眺めるだけであった。

其処へ、何と韮崎小学校のN先生が、同僚教師と一緒に登って来た。美人で活発なこの先生は、長いスカートをはいていた。白い上着の袖をまくっていた。薄いピンクの帽子を一寸斜めにかぶっていて、私たちには、まぶしいように見えた。先生は、茶店の棚から三ツ矢サイダーを一本抜き取り、無雑作に、二十銭程の銅貨を、主人に渡すと、栓を抜くや否や、ラッパ飲みをした。
洋装の美女が、ラッパ飲みをする。その大胆な姿が、少年の心をどきどきとさせた。

椹(さわら)池は、どんよりと無気味に濁っていた。その寄辺に、金ぶちの眼鏡をかけた先生が、背広に巻腰胖、わらじばきという格好で、手にした一本の草を、学生達に、説明していた。数人の学生が、熱心にメモをとっていた。
その横を通り抜けながら、私は、
「あっ、これやー、先生の卵か」と生意気な口をきいた。学生の一人が立ち上って、
「これ、小僧、生意気なことを言うね」
と、私の頭をこづいた。Oというこの学生は後に、有名な校長になった。
N先生も、O校長も、とっくに亡くなってしまったが、私には懐かしい思出の中に残っている。

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