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SD!選手名簿
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JBL
By HBH
2006-09-12 22:25:09
プロフィール
大学時代はアメリカンフットボールの選手として活躍。ダラスでブラック・バートの指導を受け、1992年にジョン・ホークの名でデビュー。

1994年にWWFに入団すると、バリー・ウィンダムとニュー・ブラックジャックスを結成。1997年には全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦に参戦するも、1998年にタッグ解散。同年秋からファルークとアコライツを結成すると1999年には世界タッグ王座を2度獲得。2000年には酒とポーカーを好み、金をもらえばどんな試合にも乱入する荒くれ者タッグのAPA(アコライツ警備保障)を結成。2002年の2リーグ制発足によってRAW所属となりファルークとのコンビを一旦解散。当初はプッシュを受けていたがその後暴力事件を起こしハードコア要員に格下げされてしまう。

腕を負傷し欠場した後はスマックダウンで復帰しファルークとAPAを再結成。トレードマークの長髪を切り、髪も黒から本来の金髪に戻す。2004年にファルークと別れ、株で成功した嫌味な証券アナリストにギミックを変更してシングルプレーヤーに転向。同年The GREAT AMERICAN BASH 2004でエディ・ゲレロとのテキサス・ブルロープ戦で勝利しWWE王座を獲得。その後はオーランド・ジョーダン、ダグ・バシャム、ダニー・バシャムと共にチーム「JBL内閣」を組織し、ヘタレヒールとしてジ・アンダーテイカー、ブッカー・T、ビッグ・ショー、カート・アングルらの強豪をあの手この手で避け、WWE王座を長期保持。2005年のWrestleMania 21でジョン・シナに敗れるまでここ10年でのWWE王座最長保持記録を打ち立てた。2006年09月現在もレスリング・ゴッドと自称し、SmackDown!のトップヒールとして活躍。RAWからSmackdown!に移籍してきたバティスタと世界ヘビー級王座をめぐって抗争を繰り広げた。結局、王座獲得ならずその上、レイ・ミステリオとのシングルマッチで負けてしまい、MNMのフィクサー、ジリアンを雇う。RAWとSmackDown!が抗争した際はSmackDown!側の主要レスラーとして活動し、Survivor Series 2005でのスマックダウン側の代表レスラーの一人として5対5の生き残り戦に登場した。

2006年に入ってブギーマンと抗争した後、WrestleMania 22でクリス・ベノワに勝利し、WWE・US王座を獲得した。US王座獲得後、WrestleMania 22で世界ヘビー級王座を獲得したミステリオを挑発。Judgment Day 2006で世界ヘビー級王座戦を戦うが敗戦。5月26日に開催されたSmackDown!でラシュリーに敗れてUS王座を奪われ、同日のメイン戦で自身のSmackDown!追放を賭けてミステリオと世界ヘビー級王座戦を行うが敗戦、SmackDown!追放が決定した。しかし、6月11日のECWワンナイト・スタンドに登場し、SmackDown!復帰を宣言、ECWに移籍した解説者のタズに代わる解説者としてSmackDown!に復帰を果たした。

リング外では証券取引をギミックではなく実際の副業としており、かつて証券アナリストとしてラジオ番組やテレビ番組に出演、著書も出版している。現在の夫人も株の番組に出演していた。WWEのドイツ遠征の際、ナチス式敬礼のパフォーマンスを取ったためにCNBCの番組を降板した事もあった。

必殺技
クローズライン・フロム・ヘル
ただのクローズラインだが威力が桁違いで現役レスラーでは最強の使い手の一人に挙げられる。元々は尊敬するスタン・ハンセンのウェスタンラリアットを模倣したもの。
パワーボム
フォール・アウェイ・スラム

タイトル履歴
WWE

WWE王座 : 1回
WWE・US王座 : 1回
WWFハードコア王座 : 18回
WWFヨーロッパ王座 : 1回
WWF世界タッグ王座 : 3回(&ファルーク : 3回)
GWF

GWFタッグ王座 : 2回(&Bobby Duncum, Jr.、&ブラック・バート)
MCW

MCWタッグ王座 : 1回(&ファルーク)
OVW

OVW南部タッグ王座 : 1回(&ファルーク)
その他

NWA北米ヘビー級王座 : 1回
キャッチレスリングタッグ王座 : 2回(&Fit Finlay、Grizzly)

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