2005年のサバイバー・シリーズにて行われるRaw対SmackDown!の前面対抗戦において、SmackDown!側の主将を務めるが、11月のSmackDown!収録時に登場したRaw所属のケイン、ビッグ・ショーのダブルチョークスラムを受けた際に背中の筋肉断裂の重傷を負った。重傷を負いながらもWWEの興行には参加し続けたが、2006年1月に行われたハウスショーにおいて、マーク・ヘンリーとの試合中に上腕三頭筋を断裂。長期休業に入らざるを得なくなったため、涙ながらに世界ヘビー級王座を返上した。手術の成功後はNo Way Out、WrestleMania等に登場、順調な回復をアピールしている。
7月7日、SmackDown!にて復帰。The Great American Bash 2006でヘンリーと対戦する予定であったが、Saturday Night's Main Event XXXIIIでヘンリーが怪我をして離脱した為、対戦相手がケン・ケネディに変更された。
2005年3月、ブッカー・Tはスティービー・レイと共同で、「ブッカー・T&スティービー・レイ プロレス・アカデミー」をヒューストンに開いた。また、元WCWのナイトロ・ガールスのシャメールと結婚した。なお、シャメールもディーヴァとしてWWEに出演している。ベビーフェイスとヒールを頻繁に行き来しており、シャメールのWWE登場時にカート・アングルと抗争していたときはベビーフェース、クリス・ベノワからUS王座を獲得して以降はヒールとして活動している。そのUS王座を賭けたクリス・ベノワとの七番勝負の最中に負傷し、ランディ・オートンに代理参戦を依頼。結果、史上初めて戦わずしてUS王座を手に入れた。2006年ノー・ウェイ・アウトでベノワにUS王座を奪還された後はブギーマンと抗争。5月のJudgment DayでのKing of The Ring決勝戦においてはボビー・ラシュリーを破って優勝。その後、「国王」を自称しリングネームをキング・ブッカーと改めた。その後ウィリアム・リーガル、フィンレーと手を組み、世界ヘビー級王者のレイ・ミステリオと抗争。The Great American Bash 2006で王座戦を行い、ミステリオに味方していたチャボ・ゲレロの介入により王座を奪取した。
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クリスベノワ By HBH
2006-09-12 22:27:20 経歴
ダイナマイト・キッドに憧れプロレスラーを志し、カナダのハート・ダンジョンでスチュ・ハートにより鍛えられる。若いころからプロレスラーとして活躍し、1987年に来日し、新日本道場の訓練生にもなった。この頃ダイナマイト・クリスというリングネームで試合に出場していた。その後、覆面を被りペガサスキッドというリングネームにて新日本プロレスに参戦する。後に獣神サンダー・ライガーに敗れ覆面を取る。1993年TOP OF THE SUPER Jr.優勝を機にワイルドペガサスに改名。獣神サンダー・ライガーやエル・サムライ、金本浩二、大谷晋二郎、2代目ブラックタイガー(故エディ・ゲレロ)らと激闘を繰り広げた。1990年にはIWGPジュニア・ヘビー級王座獲得、1994年にはSUPER J-CUP 1st STAGE優勝、SUPER Jr. TAG優勝、1995年にはBEST OF SUPER Jr.優勝など、新日本ジュニアヘビー級のトップ外国人として活躍した。
1995年にはアメリカに戻り、ECW(Extreme Championship Wrestling)やWWF(World Wrestling Federation 後のWWE)、WCW(World Championship Wrestling)などに渡っている。べノワは、ECW時代にサブゥーの首を折ってしまって以来“クリップラー”(壊し屋・破壊者)という異名をとって人気をかもしていた。これにより、日本で戦うことはなくなってしまった。
2005年に行われたECW ワン・ナイト・スタンドに出場。また同年のドラフトによりSmackdown!へ移籍した。スマックダウンに移籍後、オーランド・ジョーダンからUSヘビー級王座を獲得。その後ブッカー・Tに敗れて王座を失い、王座をかけてブッカー・Tと7番勝負で抗争した。結局2006年No Way Outで王座を取り戻すものの、WrestleMania 22でのUS王座戦でJBLに敗れて王座を明け渡した。
腕を負傷し欠場した後はスマックダウンで復帰しファルークとAPAを再結成。トレードマークの長髪を切り、髪も黒から本来の金髪に戻す。2004年にファルークと別れ、株で成功した嫌味な証券アナリストにギミックを変更してシングルプレーヤーに転向。同年The GREAT AMERICAN BASH 2004でエディ・ゲレロとのテキサス・ブルロープ戦で勝利しWWE王座を獲得。その後はオーランド・ジョーダン、ダグ・バシャム、ダニー・バシャムと共にチーム「JBL内閣」を組織し、ヘタレヒールとしてジ・アンダーテイカー、ブッカー・T、ビッグ・ショー、カート・アングルらの強豪をあの手この手で避け、WWE王座を長期保持。2005年のWrestleMania 21でジョン・シナに敗れるまでここ10年でのWWE王座最長保持記録を打ち立てた。2006年09月現在もレスリング・ゴッドと自称し、SmackDown!のトップヒールとして活躍。RAWからSmackdown!に移籍してきたバティスタと世界ヘビー級王座をめぐって抗争を繰り広げた。結局、王座獲得ならずその上、レイ・ミステリオとのシングルマッチで負けてしまい、MNMのフィクサー、ジリアンを雇う。RAWとSmackDown!が抗争した際はSmackDown!側の主要レスラーとして活動し、Survivor Series 2005でのスマックダウン側の代表レスラーの一人として5対5の生き残り戦に登場した。
2006年に入ってブギーマンと抗争した後、WrestleMania 22でクリス・ベノワに勝利し、WWE・US王座を獲得した。US王座獲得後、WrestleMania 22で世界ヘビー級王座を獲得したミステリオを挑発。Judgment Day 2006で世界ヘビー級王座戦を戦うが敗戦。5月26日に開催されたSmackDown!でラシュリーに敗れてUS王座を奪われ、同日のメイン戦で自身のSmackDown!追放を賭けてミステリオと世界ヘビー級王座戦を行うが敗戦、SmackDown!追放が決定した。しかし、6月11日のECWワンナイト・スタンドに登場し、SmackDown!復帰を宣言、ECWに移籍した解説者のタズに代わる解説者としてSmackDown!に復帰を果たした。
ロイヤルランブル2006では30番手での参加も、優勝目前でレイ・ミステリオに敗退。 その後故エディ・ゲレロに対する暴言でミステリオを挑発、No Way Outでミステリオの持つ王座挑戦権を賭け試合を行い、勝利して挑戦権を奪取。WrestleMania 22では結局トリプルスレッドとなった世界ヘビー級王座戦でレイ・ミステリオ、王者カート・アングルと対決したが敗退。
2006年7月15日、テキサス州ダラスで行われたSaturday Night's Main Eventで、ハルク・ホーガンの娘であるブルック・ホーガンに接近し、それが親バカであるハルクの逆鱗に触れ、ランディの挑戦をホーガンが受ける形でランディとハルク・ホーガンの試合が急遽、同年のSummerSlamで行われる事になった。
WWE Down'N'Dirty Tour(2004年、イタリア・フィレンツェ)WCW崩壊後に再びマスクマンとなりレイ・ミステリオのリングネームでWWEに入団。SmackDown!に登場し、マット・ハーディーやチャボ・ゲレロとクルーザー級王座を争い、同年WWEタッグ王座をエッジとのタッグで初代王者のクリス・ベノワ&カート・アングル組から奪取。2004年12月9日にはロブ・ヴァン・ダムとのタッグでケンゾー・スズキ&レネ・デュプリー組からWWEタッグ王座を奪取。2005年1月13日に開催されたSmackDown!でのタッグ王座を賭けたフェイタル4ウェイ戦でロブ・ヴァン・ダムが負傷、その後長期離脱しバシャム・ブラザーズに王座を奪われるが、長年の親友であるエディ・ゲレロとタッグを組みNo Way Out 2005でタッグ王座を再奪取。以降、パートナーであるエディと腕試し的なシングル戦でWrestleMania 21で対戦し勝利。その後2005年からデビューしたMNMに王座を奪われてから両者の間に不協和音が流れ始め、その事が原因でエディはヒールターン。ミステリオの息子のドミニクは実はエディの息子であり、その親権を巡っての抗争というストーリーが組まれた。両者はJudgment Day 2005、The Great American Bash 2005、SummerSlam 2005で対戦。SummerSlamではドミニクの親権を賭けての壮絶なラダー・マッチで勝利した。
Royal Rumble 2006では、2番手として登場。1番手のトリプルH共々60分以上闘い続けた。終盤、協力攻撃を見せたロブ・ヴァン・ダムを誤って敗退させてしまい、トリプルHとランディ・オートンのダブル攻撃に遭うが、これを回避。トリプルHはオートンに攻撃し、ミステリオに狙いを定める。が、これも回避してトリプルHを敗退させる事に成功。しかし腑に落ちないトリプルHがリング下でミステリオを鉄階段に叩き付けてリングに戻す。オートン優勝と思われたが、投げ落とそうとしたオートンをミステリオが切り返し、オートンが敗退。ミステリオが、WrestleMania 22での王座挑戦権を獲得した。オートンの挑発で組まれたNo Way Outでの試合で一度は挑戦権を失うものの、SmackDown!GMのセオドア・ロングの計らいで再び王座挑戦が決定。WrestleMania 22では、大会前日に行われたWWE殿堂において、エディ・ゲレロの殿堂入りプレゼンターをクリス・ベノワ、チャボ・ゲレロと共に務め、大会当日のカート・アングル、ランディ・オートンとのトリプルスレッドを制して世界ヘビー級王座を獲得した。
2006年7月のThe Great American Bashにて、挑戦者であるキング・ブッカー(ブッカーT)に王座を奪われる。
1998年2月、WCWを解雇になった後、WWFと契約。同年10月にビンス・ルッソー考案の"木こり"のギミック「リアルマンズマン (the Real Man's Man)」でWWFのリングにデビューしたが、このギミックは大失敗だった。なおこのギミックは、2003年に行われたRaw10周年記念特番でも「外してしまったギミック」の一つとして紹介された。その後ギミックを修正し、"ロード"スティーブン・リーガル (Lord Steven Regal)のリングネームを名乗るようになった。翌1999年1月、薬物依存の治療のためにWWFのサポートを得て入院するも、4月の退院とともにWWFはリーガルとの契約を解消。再びWCWと契約を結ぶことになった。