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SD!選手名簿 このプロフィールはWikipediaから提供していただきました。
[新規トピ]
≫ バティスタ
By HBH
2006-09-12 22:31:42
経歴
父はフィリピン人、母はギリシャ人で、幼い頃に両親が離婚したため、双方の家を行き来しながら育った。長じてボディビルを志すが、断念。酒場の用心棒として働きながら、元プロレスラーの「ザ・サモアンズ」アファ・アノアイのもとでプロレスのトレーニングを始めたのは二十代後半になってからのことだった。

プロレスデビューは31歳。リバイアサンというリングネームで、WWE下部組織のOVWに所属していた。2002年5月のWWE昇格後、リングネームを現在のものに改名し、当時宣教師のギミックをしていたディーボン・ダッドリーの用心棒として、SmackDown!に登場した。同年11月、RAWに移籍。2003年春、トリプルH率いるエボリューションに加入するも、負傷により約半年の欠場を余儀なくされたが、復帰後はリック・フレアーとタッグを組み、WWE世界タッグ王座を二度獲得。2003年末から2004年春にかけてのエボリューションによるRAW内タイトル独占に貢献した。

OVW時代より一貫してヒールだったが、2005年に入り、ロイヤルランブルで優勝。ベビーフェイス・ターンを果たし、レッスルマニア21にて当時王者であったトリプルHを破って、世界ヘビー級王座を獲得した。その後、バックラッシュ、ヴェンジェンスと、三回連続でトリプルHに勝利。ヴェンジェンスではWWEの試合形式では最も過酷とされるヘル・イン・ア・セル(究極の金網デスマッチ)を経験している。

同年に行われたドラフトにより世界ヘビー級王座を持ったままSMACKDOWN!に移籍し、早速JBLと世界ヘビー級王座をめぐって抗争を繰り広げ、サマースラムにてJBLを下し、王座を守り抜いて見せた。

そして10月、ノー・マーシーにてエディ・ゲレロと防衛戦を行い、見事勝利。その後もエディとの微妙な関係が続いたが、同年11月13日のエディの死去をもってエディとのストーリーは終結している。

2005年11月に行われた、RAWのPPVタブー・チューズデイでは、直前にWWEを退団したストーン・コールド・スティーブ・オースチンの代役として急遽出場した。

2005年のサバイバー・シリーズにて行われるRaw対SmackDown!の前面対抗戦において、SmackDown!側の主将を務めるが、11月のSmackDown!収録時に登場したRaw所属のケイン、ビッグ・ショーのダブルチョークスラムを受けた際に背中の筋肉断裂の重傷を負った。重傷を負いながらもWWEの興行には参加し続けたが、2006年1月に行われたハウスショーにおいて、マーク・ヘンリーとの試合中に上腕三頭筋を断裂。長期休業に入らざるを得なくなったため、涙ながらに世界ヘビー級王座を返上した。手術の成功後はNo Way Out、WrestleMania等に登場、順調な回復をアピールしている。

7月7日、SmackDown!にて復帰。The Great American Bash 2006でヘンリーと対戦する予定であったが、Saturday Night's Main Event XXXIIIでヘンリーが怪我をして離脱した為、対戦相手がケン・ケネディに変更された。

2006年8月20日のSummerSlamでキング・ブッカー(ブッカーT)と戦ったが、王座復帰はならず。

得意技
バティスタ・ボム(シットダウン・パワーボム)
クローズライン
スパインバスター

タイトル履歴
WWE
世界ヘビー級王座 : 1回 (2005年4月3日レッスルマニア21でトリプルHに勝利し、獲得。)
WWEタッグ王座(&レイ・ミステリオ : 1回)
世界タッグ王座(&リック・フレアー : 2回)
2005年ロイヤルランブル優勝
OVW
OVWヘビー級王座 : 1回

pc
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≫ ブッカーT
By HBH
2006-09-12 22:29:12
経歴
17歳の時にウェンディーズに強盗に入り逮捕、19ヶ月の懲役を経験する。 1989年にプロレスデビュー。1992年にダラスのプロレス団体GWFに加入。実の兄のスティービー・レイとタッグチーム、エボニー・エキスペリエンスを結成してGWFタッグを獲得。またこの頃日本のプロレス団体NOWに2回参戦している。 1993年6月にWCWに登場。同時にタッグ名をハーレム・ヒートに改め、以後数々のタイトルを手中に収める活躍を見せる。また一時期マネージャーに、WWFから移籍してきたシェリー・マーテル(クィーン・シェリー)がついていたことがあるが、ピンチになると携帯電話でシェリーを呼び出し乱入させるという、何とも間の抜けたギミックを使っていた。 WCWが、WWFからシナリオライタービンス・ルッソーを引き抜いた頃には、WCWの主役級のポジションにあった。

WCW崩壊後、WCW世界ヘビー級王者としてWWFに契約をテイクオーバーされる。WWF登場当初はダイヤモンド・ダラス・ペイジと共に、試合に乱入を繰り返すだけだったが、いまいち観客の反応が鈍く、また顔見世的に行われたアレキサンダー・バフ・バグエルとのWCW世界ヘビー級選手権試合が、バグエルのおかげで稀に見るダメ試合となったこと、その他諸々の事情(WCWのTVマッチを放映してくれる会社が見つからなかった。スポンサーが見つからなかった・・・・・・)からWWF首脳陣はWCWをWWF傘下のブランドとして位置付ける(現在のWWEにおけるECWのそれと同じ)のを諦め、新たにWCW/ECW連合軍、所謂アライアンスを創り上げ、そのWCW側のエースとしてWWFに参戦。この頃からコメディタッチなキャラクターが鮮明となる。 連合軍崩壊後は、ヒールとして引き続きWWEに参戦した。但し、アライアンス側の人間はストーリー上全員解雇されたことになっていたため、WWF復帰のためにいろいろと工作するストーリーが展開。WWFへ共同経営者というギミックで参戦を開始したリック・フレアーとストーン・コールド・スティーブ・オースチンに対抗するためビンス・マクマホンがブッカーTを利用するというストーリーで復帰する。オースチンとの抗争では、スーパーマーケットの中でストリートファイトを展開したこともある(試合は最後にブッカーTがレジに通されて終了)。

WWFのTV番組分割後はRawに参戦した。2002年にはnWoにメンバーとして参加するも、ショーン・マイケルズ加入に際してnWoを離脱。同時にベビーフェイスに転向した。

2004年3月22日、RawからSmackDown!へ移籍。ヒールへ転向した。その後ジョン・ブラッドショー・レイフィールドおよびオーランド・ジョーダンとの抗争でベビーフェイスに戻る。

2005年3月、ブッカー・Tはスティービー・レイと共同で、「ブッカー・T&スティービー・レイ プロレス・アカデミー」をヒューストンに開いた。また、元WCWのナイトロ・ガールスのシャメールと結婚した。なお、シャメールもディーヴァとしてWWEに出演している。ベビーフェイスとヒールを頻繁に行き来しており、シャメールのWWE登場時にカート・アングルと抗争していたときはベビーフェース、クリス・ベノワからUS王座を獲得して以降はヒールとして活動している。そのUS王座を賭けたクリス・ベノワとの七番勝負の最中に負傷し、ランディ・オートンに代理参戦を依頼。結果、史上初めて戦わずしてUS王座を手に入れた。2006年ノー・ウェイ・アウトでベノワにUS王座を奪還された後はブギーマンと抗争。5月のJudgment DayでのKing of The Ring決勝戦においてはボビー・ラシュリーを破って優勝。その後、「国王」を自称しリングネームをキング・ブッカーと改めた。その後ウィリアム・リーガル、フィンレーと手を組み、世界ヘビー級王者のレイ・ミステリオと抗争。The Great American Bash 2006で王座戦を行い、ミステリオに味方していたチャボ・ゲレロの介入により王座を奪取した。

得意技
現在の主な技

シザース・キック(WCW時代はアックスキック)
スパインバスター
スピンルーニー(ブレイクダンスのウインドミル。直接の攻撃技ではなくどちらかといえば観客へのアピールであるが、実況では技として扱われることが多い)
ブック・エンド(膝しかマットにつけないロック・ボトム)
その他

110th Streetスラム(アラバマスラムの一種)
ヒューストン・ハング・オーバー(トップロープから一回転してのギロチン・レッグ・ドロップ。大一番でしか使用しない危険技。この技でビックショーから勝利を収めたこともある。)

タイトル履歴
WCW

WCW 世界ヘビー級王座 : 5回
WCW 世界タッグ級王座 : 11回(&スティービー・レイx10、テストx1)
WCW世界TV級王座 : 6回
WCW USヘビー級王座 : 1回
WWE

世界ヘビー級王座 : 1回
IC王座 : 1回
US王座 : 2回
世界タッグ王座 : 3回(&ゴールダスト、ロブ・ヴァン・ダム)
ハードコア王座 : 2回
その他

GWFタッグ級王座 : 3回(パートナー : スティービー・レイ)
UWFヘビー級王座 : 1回

pc
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≫ クリスベノワ
By HBH
2006-09-12 22:27:20
経歴
ダイナマイト・キッドに憧れプロレスラーを志し、カナダのハート・ダンジョンでスチュ・ハートにより鍛えられる。若いころからプロレスラーとして活躍し、1987年に来日し、新日本道場の訓練生にもなった。この頃ダイナマイト・クリスというリングネームで試合に出場していた。その後、覆面を被りペガサスキッドというリングネームにて新日本プロレスに参戦する。後に獣神サンダー・ライガーに敗れ覆面を取る。1993年TOP OF THE SUPER Jr.優勝を機にワイルドペガサスに改名。獣神サンダー・ライガーやエル・サムライ、金本浩二、大谷晋二郎、2代目ブラックタイガー(故エディ・ゲレロ)らと激闘を繰り広げた。1990年にはIWGPジュニア・ヘビー級王座獲得、1994年にはSUPER J-CUP 1st STAGE優勝、SUPER Jr. TAG優勝、1995年にはBEST OF SUPER Jr.優勝など、新日本ジュニアヘビー級のトップ外国人として活躍した。

1995年にはアメリカに戻り、ECW(Extreme Championship Wrestling)やWWF(World Wrestling Federation 後のWWE)、WCW(World Championship Wrestling)などに渡っている。べノワは、ECW時代にサブゥーの首を折ってしまって以来“クリップラー”(壊し屋・破壊者)という異名をとって人気をかもしていた。これにより、日本で戦うことはなくなってしまった。

WCWでは波乱の人生を送っていた。彼はさまざまなレスラーと戦っては勝っていたものの、内部でnWoが起こると、ベノワは雌伏をした。その後、1999年に再び本格的な表舞台に立ち、さまざまなWCWのタイトルを獲得している。また、リック・フレアーのユニット、フォー・ホースメンのメンバーの一員でもあった。

2000年にはWWFに移籍し、ラディカルズ(エディ・ゲレロ、ペリー・サターン、ディーン・マレンコ)に参加、ストーン・コールド・スティーブ・オースチン、ザ・ロック、カート・アングルらと抗争を繰り広げる。2001年にはかつての戦友であった、クリス・ジェリコとともにWWFのタッグのチャンピオンを制している。WWE改名後、2004年のレッスルマニア20にて念願の世界ヘビー級王座を獲得。同年サマースラムで、ランディ・オートンを相手にベルトを手放してしまった。

2005年に行われたECW ワン・ナイト・スタンドに出場。また同年のドラフトによりSmackdown!へ移籍した。スマックダウンに移籍後、オーランド・ジョーダンからUSヘビー級王座を獲得。その後ブッカー・Tに敗れて王座を失い、王座をかけてブッカー・Tと7番勝負で抗争した。結局2006年No Way Outで王座を取り戻すものの、WrestleMania 22でのUS王座戦でJBLに敗れて王座を明け渡した。

必殺技
クリップラー・クロスフェイス
ダイビング・ヘッドバッド
トップロープに上る前に必ず首をかっ切るポーズを取る。この技を繰り出すと実況担当のJRは必ず「ダイナマイト・キッドばり!」とアナウンスする。

シャープ・シューター(サソリ固め)
この技で試合を決める事も多い。

ジャーマン・スープレックス(ベノワは3連発が多い。時にはそれ以上も)
高速ブレーンバスター
これもダイナマイト・キッドが得意としていた技。 

タイトル履歴
WWE
世界ヘビー級王座:1回
IC王座:4回
世界タッグ王座:2回(&エッジ:2回)
WWEタッグ王座:1回(&カート・アングル)
UWA世界ライトヘビー級王座:1回
2004年ロイヤルランブル優勝
US王座:1回
WCW
世界ヘビー級王座:1回
US王座:2回
テレビジョン王座:3回
世界タッグ王座:3回(&ディーン・マレンコ:1回)(ペリー・サターン:1回)
ECW
世界タッグ王座:1回(&ディーン・マレンコ:1回)
新日本プロレス
IWGPジュニアヘビー級王座 : 1回
1994年スーパー・J・カップ優勝
その他
スタンピード・ブリティッシュ・コモンウェルス・ミッドヘビー級王座:4回
スタンピード・インターナショナルタッグ王座:4回
(&ベン・バサラ:1回)(&キース・ハート:1回)(&ランス・アイドル:1回)(&ビフ・ウェリントン:1回)


pc
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≫ JBL
By HBH
2006-09-12 22:25:09
プロフィール
大学時代はアメリカンフットボールの選手として活躍。ダラスでブラック・バートの指導を受け、1992年にジョン・ホークの名でデビュー。

1994年にWWFに入団すると、バリー・ウィンダムとニュー・ブラックジャックスを結成。1997年には全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦に参戦するも、1998年にタッグ解散。同年秋からファルークとアコライツを結成すると1999年には世界タッグ王座を2度獲得。2000年には酒とポーカーを好み、金をもらえばどんな試合にも乱入する荒くれ者タッグのAPA(アコライツ警備保障)を結成。2002年の2リーグ制発足によってRAW所属となりファルークとのコンビを一旦解散。当初はプッシュを受けていたがその後暴力事件を起こしハードコア要員に格下げされてしまう。

腕を負傷し欠場した後はスマックダウンで復帰しファルークとAPAを再結成。トレードマークの長髪を切り、髪も黒から本来の金髪に戻す。2004年にファルークと別れ、株で成功した嫌味な証券アナリストにギミックを変更してシングルプレーヤーに転向。同年The GREAT AMERICAN BASH 2004でエディ・ゲレロとのテキサス・ブルロープ戦で勝利しWWE王座を獲得。その後はオーランド・ジョーダン、ダグ・バシャム、ダニー・バシャムと共にチーム「JBL内閣」を組織し、ヘタレヒールとしてジ・アンダーテイカー、ブッカー・T、ビッグ・ショー、カート・アングルらの強豪をあの手この手で避け、WWE王座を長期保持。2005年のWrestleMania 21でジョン・シナに敗れるまでここ10年でのWWE王座最長保持記録を打ち立てた。2006年09月現在もレスリング・ゴッドと自称し、SmackDown!のトップヒールとして活躍。RAWからSmackdown!に移籍してきたバティスタと世界ヘビー級王座をめぐって抗争を繰り広げた。結局、王座獲得ならずその上、レイ・ミステリオとのシングルマッチで負けてしまい、MNMのフィクサー、ジリアンを雇う。RAWとSmackDown!が抗争した際はSmackDown!側の主要レスラーとして活動し、Survivor Series 2005でのスマックダウン側の代表レスラーの一人として5対5の生き残り戦に登場した。

2006年に入ってブギーマンと抗争した後、WrestleMania 22でクリス・ベノワに勝利し、WWE・US王座を獲得した。US王座獲得後、WrestleMania 22で世界ヘビー級王座を獲得したミステリオを挑発。Judgment Day 2006で世界ヘビー級王座戦を戦うが敗戦。5月26日に開催されたSmackDown!でラシュリーに敗れてUS王座を奪われ、同日のメイン戦で自身のSmackDown!追放を賭けてミステリオと世界ヘビー級王座戦を行うが敗戦、SmackDown!追放が決定した。しかし、6月11日のECWワンナイト・スタンドに登場し、SmackDown!復帰を宣言、ECWに移籍した解説者のタズに代わる解説者としてSmackDown!に復帰を果たした。

リング外では証券取引をギミックではなく実際の副業としており、かつて証券アナリストとしてラジオ番組やテレビ番組に出演、著書も出版している。現在の夫人も株の番組に出演していた。WWEのドイツ遠征の際、ナチス式敬礼のパフォーマンスを取ったためにCNBCの番組を降板した事もあった。

必殺技
クローズライン・フロム・ヘル
ただのクローズラインだが威力が桁違いで現役レスラーでは最強の使い手の一人に挙げられる。元々は尊敬するスタン・ハンセンのウェスタンラリアットを模倣したもの。
パワーボム
フォール・アウェイ・スラム

タイトル履歴
WWE

WWE王座 : 1回
WWE・US王座 : 1回
WWFハードコア王座 : 18回
WWFヨーロッパ王座 : 1回
WWF世界タッグ王座 : 3回(&ファルーク : 3回)
GWF

GWFタッグ王座 : 2回(&Bobby Duncum, Jr.、&ブラック・バート)
MCW

MCWタッグ王座 : 1回(&ファルーク)
OVW

OVW南部タッグ王座 : 1回(&ファルーク)
その他

NWA北米ヘビー級王座 : 1回
キャッチレスリングタッグ王座 : 2回(&Fit Finlay、Grizzly)

pc
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≫ ポールロンドン
By HBH
2006-09-12 22:22:10
経歴
1999年にプロレスデビュー。ROHに参戦し、華麗な空中技で注目され始める。2003年の中盤に、WWEと契約を果たす。TV中継されない、ダークマッチと呼ばれる試合に数試合出場後、同年8月30日WWEの下部組織のOVWに移籍。2003年の10月9日にWWEに昇格し、SmackDown!にブロック・レスナーとの試合で登場。

初期のうちはスパンキーとタッグチームを結成していたが、スパンキーがWWEを離脱した後はビリー・キッドマンとタッグチームを結成。2004年7月8日にはダッドリーボーイズからWWEタッグ王座を奪取した。

2005年5月31日、バトルロイヤルにおいてWWEクルーザー級王座を奪取。8月にナンジオに奪われた。その後ブライアン・ケンドリックにリングネームを改めてWWEに復帰したスパンキーとタッグチームを結成し、MNMとの連戦などでクルーザー級戦線を賑わせている。2006年ジャッジメント・デイでMNMを破りケンドリックと共に再びタッグ王座を獲得した。

得意技
450スプラッシュ
シューティングスタープレス
ドロップサルト

タイトル履歴
WWE クルーザー級王座 : 1回
WWE・タッグチーム王座 : 2回(& ビリー・キッドマン、ブライアン・ケンドリック)
FC US王座 : 1回
FC TV王座 : 1回
FC ハードコア王座 : 1回
ETW TV王座 : 1回
ECWA スーパー8 トーナメント優勝 (2003年)

pc
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≫ ランディーオートン
By HBH
2006-09-12 22:20:03
経歴
2000年にMMWA-SICWにてプロレスデビュー。その後すぐにWWEの下部組織であるOVWに移籍する。2002年の4月にWWEのSmackDown!に昇格、9月にRAWに移籍した。

2003年1月20日、トリプルH、リック・フレアー、バティスタがスコット・スタイナーを倒す事を手伝ったのをきっかけに、トリプルH率いるチーム、エボリューションにトリプルHの後継者として入団。

最初は、インターコンチネンタル王座を標的にしていたが、世界ヘビー級王座への第一挑戦権をバトルロイヤルによって獲得。3週間後の2004年8月15日に行われたPPV、サマースラム2004でそのまま世界ヘビー級王座に挑戦。見事王者クリス・ベノワに必殺技RKOで勝利し、史上最年少24歳で世界ヘビー級王者になる。

世界ヘビー級王者になった辺りから、シングルプレーヤーとして十分に売り出せるようになったとの判断から、エボリューションから離脱する。アングル上は、エボリューションのリーダートリプルHの狙う世界ヘビー級王座を取ってしまったことが裏切りとみなされてエボリューションを追い出された形をとり、またオートンとエボリューションの抗争ストーリーもスタートした。2004年9月に行われたアンフォーギヴェン2004で世界ヘビー級王座をトリプルH相手に防衛を失敗し、王座を奪われる。

その後PPV、”ニュー・イヤーズ・レボリューション”"ロイヤルランブル2005" で王座に連続で挑戦するが、2連敗。

2005年4月に行われた、WWE最大のイベント”レッスルマニア21”では、この大会で12連勝を誇る、”墓堀人”ジ・アンダーテイカーに、挑戦したが、敗戦。

同年に行われたドラフトで”RAW”から”Smack Down”にトレード。トレード後肩の負傷で休養していたが、サマースラム前に復帰し、父のボブ・オートンと組みヒールターン。ジ・アンダーテイカーとの抗争を開始した。テイカーの蝋人形を棺桶に入れ、テイカーをかく乱させようとするなど、心理戦を挑んだがテイカーの方が一枚上手だった。特番ノー・マーシーで、WWEでは初のハンディキャップ形式の棺桶戦でテイカーから勝利を奪い、棺桶ごと放火してしまった。下記のサバイバー・シリーズ後にテイカーは復活、アルマゲドンにてヘル・イン・ア・セルマッチで闘ったが、死闘の末親子共にツームストーンを受けて敗北を喫した。

2005年のサバイバー・シリーズで行われた、RAW対Smackdown!の対抗戦のSmackdown!代表の選考に一度は漏れるも、代表だったエディ・ゲレロの急死により対抗戦メンバーに加わることになった。

ロイヤルランブル2006では30番手での参加も、優勝目前でレイ・ミステリオに敗退。 その後故エディ・ゲレロに対する暴言でミステリオを挑発、No Way Outでミステリオの持つ王座挑戦権を賭け試合を行い、勝利して挑戦権を奪取。WrestleMania 22では結局トリプルスレッドとなった世界ヘビー級王座戦でレイ・ミステリオ、王者カート・アングルと対決したが敗退。

WrestleMania 22終了後、WWEより「最低60日の謹慎処分」との発表がなされた。バックステージでの素行不良と噂されている。

2006年7月に謹慎処分を解かれ復帰。

2006年7月15日、テキサス州ダラスで行われたSaturday Night's Main Eventで、ハルク・ホーガンの娘であるブルック・ホーガンに接近し、それが親バカであるハルクの逆鱗に触れ、ランディの挑戦をホーガンが受ける形でランディとハルク・ホーガンの試合が急遽、同年のSummerSlamで行われる事になった。

レジェンドキラー
前述のニックネームレジェンドキラー(Legend Killer)は、エボリューション入団後に与えられたギミックで、以降名だたるレスラーを次々と倒していくことになる。以下にそれを記す。

エリック・ビショフ
クリス・ベノワ
サージェント・スローター
ジェイク・ロバーツ
ジェリー・ローラー
ショーン・マイケルズ
ストーン・コールド・スティーブ・オースチン
トリプルH
ハーリー・レイス
ファビュラス・ムーラ
ブッカー・T
ミック・フォーリー
メイ・ヤング
リック・フレアー
ロブ・ヴァン・ダム
ジ・アンダーテイカー
以下はプロレスラーではないが、ランディーオートンに倒されたことがある。

マーク・キューバン (ダラス・マーベリックスオーナー)

得意技
RKO
スーパーRKO(雪崩式RKO)
変形バックブリーカー
オゾン(エリックス・スキッパーのオーバードライブと同型)
トップロープからのクロスボディ
ドロップキック
ヨーロピアンアッパーカット
コーナーに追い詰められてからの丸め込み

タイトル履歴
WWE
世界ヘビー級王座 : 1回(史上最年少25歳で)→王座獲得 ”Summer Slam 2004” VS クリス・ベノワ 王座陥落 ”Unforgiven 2004”VS トリプルH
インターコンチネンタル王座 : 1回      →王座獲得 ”ARMAGEDDON 2003” VS ロブ・ヴァン・ダム 王座陥落 ”Vengeance 2004”VS エッジ
OVW
OVW ハードコア王座 : 3回

pc
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≫ レイミステリオ
By HBH
2006-09-12 22:17:35
経歴
オスカーは1989年、15歳という若さでメキシコ、ティファナでデビューした。デビュー当時のリングネームはWWAで活躍した叔父のレイ・ミステリオにあやかりレイ・ミステリオJr。

1992年にAAAに入団。1995年にはシコシスからWWA世界ウェルター級王座を奪取。同年WARのスーパーJカップ参戦で初来日。その後もフベントゥ、エル・イホ・デル・サント等と王座を争い、1995年にECWにシコシスと共に参戦。

1996年にはWCWに移籍。同年ディーン・マレンコをからWCW世界クルーザー級王座を奪取。同王座を6回獲得してクルーザー戦線で活躍。1998年から1999年にはLWoの一員としても活躍した。1999年にはケビン・ナッシュ&レックス・ルーガーとの一戦がコントラ・マッチとして行われた。覆面(マスカラ)を賭けて戦い、敗れたためにマスクを剥がされ素顔を晒す。2002年はWWCのエディ・コロンを破りWWC世界ジュニアヘビー級王座を獲得。


WWE Down'N'Dirty Tour(2004年、イタリア・フィレンツェ)WCW崩壊後に再びマスクマンとなりレイ・ミステリオのリングネームでWWEに入団。SmackDown!に登場し、マット・ハーディーやチャボ・ゲレロとクルーザー級王座を争い、同年WWEタッグ王座をエッジとのタッグで初代王者のクリス・ベノワ&カート・アングル組から奪取。2004年12月9日にはロブ・ヴァン・ダムとのタッグでケンゾー・スズキ&レネ・デュプリー組からWWEタッグ王座を奪取。2005年1月13日に開催されたSmackDown!でのタッグ王座を賭けたフェイタル4ウェイ戦でロブ・ヴァン・ダムが負傷、その後長期離脱しバシャム・ブラザーズに王座を奪われるが、長年の親友であるエディ・ゲレロとタッグを組みNo Way Out 2005でタッグ王座を再奪取。以降、パートナーであるエディと腕試し的なシングル戦でWrestleMania 21で対戦し勝利。その後2005年からデビューしたMNMに王座を奪われてから両者の間に不協和音が流れ始め、その事が原因でエディはヒールターン。ミステリオの息子のドミニクは実はエディの息子であり、その親権を巡っての抗争というストーリーが組まれた。両者はJudgment Day 2005、The Great American Bash 2005、SummerSlam 2005で対戦。SummerSlamではドミニクの親権を賭けての壮絶なラダー・マッチで勝利した。

エディとの抗争終了後、10月21日のSmackDown!でのJBLとの試合中にエッジ、クリス・マスターズから襲撃を受ける。エッジのスピアー、クリス・マスターズと立て続けに攻撃を受け、フナキ、ハードコア・ホーリーらに救出される。これをきっかけとしてRAWスーパースターとの抗争を開始。11月に行われたTaboo Tuesday 2005にSmackDown!のメンバーとして登場し、RAWのスーパースターであるマスターズ、ジーン・スニツキーと対戦し勝利。その流れでバティスタとタッグを組み、短期間タッグ王座を手にしていた。

Royal Rumble 2006では、2番手として登場。1番手のトリプルH共々60分以上闘い続けた。終盤、協力攻撃を見せたロブ・ヴァン・ダムを誤って敗退させてしまい、トリプルHとランディ・オートンのダブル攻撃に遭うが、これを回避。トリプルHはオートンに攻撃し、ミステリオに狙いを定める。が、これも回避してトリプルHを敗退させる事に成功。しかし腑に落ちないトリプルHがリング下でミステリオを鉄階段に叩き付けてリングに戻す。オートン優勝と思われたが、投げ落とそうとしたオートンをミステリオが切り返し、オートンが敗退。ミステリオが、WrestleMania 22での王座挑戦権を獲得した。オートンの挑発で組まれたNo Way Outでの試合で一度は挑戦権を失うものの、SmackDown!GMのセオドア・ロングの計らいで再び王座挑戦が決定。WrestleMania 22では、大会前日に行われたWWE殿堂において、エディ・ゲレロの殿堂入りプレゼンターをクリス・ベノワ、チャボ・ゲレロと共に務め、大会当日のカート・アングル、ランディ・オートンとのトリプルスレッドを制して世界ヘビー級王座を獲得した。

2006年7月のThe Great American Bashにて、挑戦者であるキング・ブッカー(ブッカーT)に王座を奪われる。

2006年、大リーグの球団シンシナティー・レッズの試合の始球式に参加した。

ファンサービスの良い事でも知られ、入場時・試合中、またリングの外でもファンにはいつも気さくに応じる。

得意技
ウェストコーストポップ(West Coast Pop) - スプリングボード(スワンダイブ)式のウラカン・ラナ・インベルティダ。
ダイム(Dropping the Dime) - スプリングボード(スワンダイブ)式のレッグドロップ。
619 - セカンドロープに相手の上半身をもたれさせた状態で、助走をつけてロープに駆け寄りトップロープとセカンドを掴んでジャンプし両足をロープの間をくぐり抜ける様に回転させて相手の顔面を両足で蹴りつける技。もともとはDDTプロレスリング所属のMIKAMIの得意技「180°ブーメラン」を真似たものだがミステリオはTAJIRIの技だと勘違いしていたらしく、TAJIRIに「お前の技、パクってごめん。」と謝罪してしまった事がある。(週刊プロレスTAJIRIの連載より)なお、619はサンディエゴの市外局番である。
ミステリオ・ラナ

タイトル歴
WWE
世界ヘビー級王座 : 1回
クルーザー級王座 : 8回
タッグチーム王座 : 4回(&エッジ、 ロブ・ヴァン・ダム、エディ・ゲレロ 、バティスタ)
2006年ロイヤルランブル優勝
WCW
クルーザー級王座 : 5回
世界タッグ王座 : 3回(&ビリー・キッドマン、フベントゥ・ゲレーラ、コナン)
クルーザー級タッグ王座 : 1回(&ビリー・キッドマン)
WWC
WWCジュニアヘビー級王座 : 1回
WWA
WWAライトヘビー級王座 : 3回
WWAウェルター級王座 : 3回
WWAタッグ王座 : 1回(レイ・ミステリオ・シニア)
その他
メキシコナショナルウェルター級王座 : 1回
メキシコナショナル6人タッグ王座 : 1回(&オクタゴン、スーパームネコ)
IWCミドル級王座 : 1回
IWASタッグ王座 : 1回(&コナン)

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≫ アンダーテイカー
By HBH
2006-09-12 22:11:55
プロフィール
大学卒業後、ドン・ジャーディンのコーチを受けて1987年にデビュー、USWAでマスター・オブ・ペインのリングネームで活躍。

現在WWEで解説者を務めるジェリー・キング・ローラーを破りUSWA世界ヘビー級王座を獲得。同年、ザ・パニッシャーの名でUSWAテキサスヘビー級王座を獲得。その後はWCWでマーク・キャラスの名でタッグ戦を中心に試合をするがパっとせず退団。パニッシャー・ダイス・モーガンの名で新日本プロレスにも参戦した経験がある。

1990年にWWEに移籍しジ・アンダーテイカーの名でデビュー。テッド・デビアスの元で怪奇派として注目されると、ポール・ベアラーをマネージャーにして1991年のサバイバー・シリーズではハルク・ホーガンを破りWWF王座を獲得。しかし6日後にリック・フレアーの介入でホーガンに王座を取り戻されている。この頃、骨壷にパワーを封じ込められてそれが無いと力を発揮できない、というギミックが加わる。その後数年間ヨコヅナ一味と棺桶デスマッチ等で抗争。さらにマネージャーのベアラーの裏切りでマンカインド(ミック・フォーリー)とも抗争した。

1997年再びベアラーが裏切り、火事で死んだと思われていたテイカーの弟というギミックのケインが登場し抗争、後にも共闘と抗争を繰り返した。1998年にストーン・コールド・スティーブ・オースチンとのベリードアライブ・マッチ(生き埋めデスマッチ)に敗れ、生き埋めとなったが、翌年に復活しミニストリー・オブ・ダークネスという怪奇派ユニットを組織し、暗黒の帝王にギミックチェンジ。団体の掌握を目論みビンス・マクマホンとの抗争を開始したが、後にステファニー・マクマホン誘拐のアングルを機にビンスと手を組みコーポレート・ミニストリーを結成。この頃股関節の故障により抗争後に長期離脱、しばらく表舞台から姿を消していた。

2000年にアメリカン・バッド・アス(アメリカの不良中年)というギミックで再登場。これまでの怪奇派からバイク(全て私物とのこと)に乗って入場したり、バンダナを巻いたりという(普段のライフスタイルをそのまま持ち込んだ)全く逆の不良中年スタイルが受け、ベビーフェイスの地位を確立。2001年にはケインと破壊兄弟を結成し、当時団体を掌握していたトリプルH、ストーン・コールド・スティーブ・オースチンと抗争。2002年のWWEのTV番組分割時にはRAWに所属。そしてまたもハルク・ホーガンからWWE王座を奪取した。後にスマックダウンに移籍。移籍後ブロック・レスナーと抗争したが、翌年に行われたビンス・マクマホンとのベリードアライブ・デスマッチ中に暴走したケインの乱入により生き埋めにされ姿を消す。しかし翌年のレッスルマニア20にて、再び墓堀人ギミックで再登場してケインを粉砕した。

2005年のレッスルマニア21では、テイカーのレッスルマニアにおける連勝記録に対して「レジェンドキラー」のギミックを有するランディ・オートンが挑む、というストーリーが展開された。試合はジ・アンダーテイカーが勝利し、レッスルマニアでの不敗記録を守った。その後、ノー・マーシーにおけるランディ・オートン、カウボーイ・ボブ・オートンとの初のハンディキャップ形式の棺桶戦でオートン親子に最後の最後でパイプ椅子で殴られ敗北。その後、ランディ・オートンが会場でテイカーの入った棺桶をガソリンで燃やしまたも姿を消した。しかし、翌月のサバイバー・シリーズでのRAW対スマックダウンの番組対抗戦の後、棺桶が登場してその棺桶に稲妻が落ちた。その棺桶は燃え上がったが中からテイカーが登場、そのままスマックダウン復帰となり、アルマゲドンでランディ・オートンとヘル・イン・ア・セル戦を行うことになった。ランディ・オートンはテイカーとのヘル・イン・ア・セル戦を恐れ、引退をほのめかしてテイカーを油断させ、不意打ちを浴びせたがテイカーは屈せず、その後ヘル・イン・ア・セル戦での激闘の末、オートン親子にツームストーン・パイルドライバーを決めて勝利した。

アルマゲドン後、暫く姿を見せなかったが2006年ロイヤル・ランブルに登場。王座防衛した直後のカート・アングルの前に現れ、雷を放ってアングルの居るリングを直撃、王座への挑戦を表明する。しかし次のノー・ウェイ・アウトでは敗れ、その後のリマッチの際に乱入してきたマーク・ヘンリーとレッスルマニア22でキャスケット・マッチ(棺桶デスマッチ)を戦い、勝利した。

必殺技
R・I・P(rest in peace/安らかに眠れの意。欧米で墓碑に書かれる慣用句。ツームストーン・パイルドライバー)
ラスト・ライド
チョークスラム
オールド・スクール
トライアングルスリーパー(三角絞め)
T.C.B(Take Care of Business、ドラゴンスリーパー)

タイトル履歴
WWF/WWE
WWF・WCW統一王座:1回
WWF世界ヘビー級王座:3回
ハードコア王座:1回
WWFタッグ王座:6回
(&ストーン・コールド・スティーブ・オースチン:1回) (&ビッグ・ショー:2回) (&ザ・ロック:1回) (&ケイン:2回)

WCW
WCW世界タッグ王座(&ケイン:1回)
USWA
USWA世界ヘビー級王座:1回
USWAテキサスヘビー級王座:1回

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≫ ウィリアムリーガル
By HBH
2006-09-12 22:09:55
経歴
15歳でプロレスデビュー。

1991年にWWFのトライアウトを受けるが、契約には至らず。同年のWCWの英国公演に参加し、高い評価を得たことで、WCWと契約を結び、渡米。1993年から、イヤミな英国貴族ヒール、ロード・スティーブン・リーガルとしてWCWのリングに登場し、以後、米国を本拠地に活躍を始めた。

1998年2月、WCWを解雇になった後、WWFと契約。同年10月にビンス・ルッソー考案の"木こり"のギミック「リアルマンズマン (the Real Man's Man)」でWWFのリングにデビューしたが、このギミックは大失敗だった。なおこのギミックは、2003年に行われたRaw10周年記念特番でも「外してしまったギミック」の一つとして紹介された。その後ギミックを修正し、"ロード"スティーブン・リーガル (Lord Steven Regal)のリングネームを名乗るようになった。翌1999年1月、薬物依存の治療のためにWWFのサポートを得て入院するも、4月の退院とともにWWFはリーガルとの契約を解消。再びWCWと契約を結ぶことになった。

翌2000年2月、WCWを解雇されたマテューズ はWWFと契約。同年9月、現在のリングネームであるウィリアム・リーガルに改名し、英国親善大使のヒールとしてWWFのリングに再デビュー。以後、数々のタイトルを獲得する一方、2001年3月にはWWFのコミッショナーに就任するなど、リング内外で活躍をする。しかし2001年に展開していたWWF対アライアンスの抗争ストーリーの中、2001年10月にWWF側からアライアンス側に寝返る。2001年のサバイバー・シリーズでアライアンスはWWFに敗北し、ストーリー上アライアンスの人間はタイトル保持者以外全員解雇された。リーガルは、ストーリー上復職するために「ビンスのケツにキスする会」という企画において、リング上でビンス・マクマホンの尻にキスをすることとなる。

2003年春から約1年間、心臓病のため、長期欠場。2004年の復帰後はベビーフェイスにターンし、ユージン、タジリと組んで、タッグ戦線で活躍した。

2005年6月、トレードによりRawからSmackDown!に移籍。英国出身の新人ポール・バーチルと英国人ヒールのタッグとして活動を開始した。

リングネーム
現在、過去に名乗ったことがあるリングネーム

ウィリアム・リーガル(現在も利用)
リアルマンズマン
"ロード"スティーブン・リーガル

得意技
リーガルストレッチ(ロイヤルストレッチ、STFの一種)
リーガルカッター
神拳(ブラスナックルを付けての左パンチ)

WWE

WWE IC王座 : 1回
WWE ヨーロッパ王座 : 4回
WWE・ハードコア王座 : 5回
世界タッグ王座 : 4回 (パートナー : ランス・ストームx2、ユージン、タジリ)
WCW

WCW 世界TV王座 : 4回
MCW(Memphis Championship Wrestling)

MCW 南部ヘビー級王座 : 1回
PWI

2003年度PWI シングルレスラーのランキング : 196位(全500位中)

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