WWE Down'N'Dirty Tour(2004年、イタリア・フィレンツェ)WCW崩壊後に再びマスクマンとなりレイ・ミステリオのリングネームでWWEに入団。SmackDown!に登場し、マット・ハーディーやチャボ・ゲレロとクルーザー級王座を争い、同年WWEタッグ王座をエッジとのタッグで初代王者のクリス・ベノワ&カート・アングル組から奪取。2004年12月9日にはロブ・ヴァン・ダムとのタッグでケンゾー・スズキ&レネ・デュプリー組からWWEタッグ王座を奪取。2005年1月13日に開催されたSmackDown!でのタッグ王座を賭けたフェイタル4ウェイ戦でロブ・ヴァン・ダムが負傷、その後長期離脱しバシャム・ブラザーズに王座を奪われるが、長年の親友であるエディ・ゲレロとタッグを組みNo Way Out 2005でタッグ王座を再奪取。以降、パートナーであるエディと腕試し的なシングル戦でWrestleMania 21で対戦し勝利。その後2005年からデビューしたMNMに王座を奪われてから両者の間に不協和音が流れ始め、その事が原因でエディはヒールターン。ミステリオの息子のドミニクは実はエディの息子であり、その親権を巡っての抗争というストーリーが組まれた。両者はJudgment Day 2005、The Great American Bash 2005、SummerSlam 2005で対戦。SummerSlamではドミニクの親権を賭けての壮絶なラダー・マッチで勝利した。
Royal Rumble 2006では、2番手として登場。1番手のトリプルH共々60分以上闘い続けた。終盤、協力攻撃を見せたロブ・ヴァン・ダムを誤って敗退させてしまい、トリプルHとランディ・オートンのダブル攻撃に遭うが、これを回避。トリプルHはオートンに攻撃し、ミステリオに狙いを定める。が、これも回避してトリプルHを敗退させる事に成功。しかし腑に落ちないトリプルHがリング下でミステリオを鉄階段に叩き付けてリングに戻す。オートン優勝と思われたが、投げ落とそうとしたオートンをミステリオが切り返し、オートンが敗退。ミステリオが、WrestleMania 22での王座挑戦権を獲得した。オートンの挑発で組まれたNo Way Outでの試合で一度は挑戦権を失うものの、SmackDown!GMのセオドア・ロングの計らいで再び王座挑戦が決定。WrestleMania 22では、大会前日に行われたWWE殿堂において、エディ・ゲレロの殿堂入りプレゼンターをクリス・ベノワ、チャボ・ゲレロと共に務め、大会当日のカート・アングル、ランディ・オートンとのトリプルスレッドを制して世界ヘビー級王座を獲得した。
2006年7月のThe Great American Bashにて、挑戦者であるキング・ブッカー(ブッカーT)に王座を奪われる。