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79-2. ELSENA 第5話(決断の時)&エピローグ(完)
「……一応、な」

 人間の精神、概念などからできる「人間像」を何らかの方法で抽出し、実体化する、いわば「分身」を作り出すことの理論である。基本的にはその人のクローンに、記憶や性格を植え付けたり、「心」を電子化及びデータベース化して、外見上は本人と全く同じサイボーグにコピーさせたりすることを指す。

「けど人間の精神は複雑化していて、今でも全部解明できちゃいない。実現不可能というのが一般常識だろ?」
「人間の技術力ではね。けど、『ウラヌス』ならあるいは……」
「可能だってのか?無茶苦茶な話だな」

 吐き捨てるようにサネージャは言った。しかしディーンは怯まない。サネージャはそんな人間だから慣れているし、その考えには自信があった。

「エルセナを見てくれ。外見も中身も立派な人間だ。『ウラヌス』は間違いなく心を作り出せてる。人型機械生命は今のところエルセナしか見つかっていないけど、それでもできていたのは確かだ」
「まあ、な」

 一息置いて、ディーンは自分の考えを説明していった。
 
「脳の研究が始まってから、エルセナの脳は改造されていっていた。人工的に神経接続を行うことで、色々な能力を開発していったんだ。その結果、外部から送られる大量の情報に対応できるようになった。機械的にね」
「代わりに、心は死んでいったってのか?」

 ディーンは頷いた。
 
「多分ね。日誌の中にも、感覚機能の低下が記録されてる。それは管理都市の中枢に使うのに利用されることになった」
「……そうだな。機械に余計な感情は要らない。ただ情報を処理してくれればいいんだからな」
「うん。だけど人間がどれだけ洗脳されても心を捨てきれないように、エルセナも多分、どこかに心が残っていたんだ。それが、先月のブラックアウトの時に表層化したんだと思う」
「それで?」
「さっきの思念実体化理論さ。故意か偶然かは分からないが、ブラックアウト時のショックで、エルセナの心が形あるものとして作られた。……僕の家の前にいたのは本当に偶然だろうけどね」

 少し笑って、ディーンは言葉を切った。
 
「……じゃあお前の家にいるエルは、『エルセナ』の心が実体化したものだって言うのか?」
「ああ。物理的な身体、中身も含めて、あれは実体のあるホログラムのようなものだと思う。例の理論の最終目標だ」
「…………なるほど。『ウラヌス』のテクノロジーと『エルセナ』の能力から考えれば、あながち不自然じゃないな」
「だろう?それでエルセナの場合、心だけが実体化したんだから、それ以前の記憶が無くても不思議じゃない。むしろ意識的に、あの記憶を消しておいたんだと思う」
「記憶の喪失じゃなくて、抹消、か…………」

 サネージャは口に手を当てて、考える仕草をした。
 ディーンは続けた。

「病院で騒いだのは、言葉にはできなかったけど、焼き付いていたあの時の苦しみを思い出してしまったんだろう」
「まあ、悲惨すぎる過去なら、なるべく忘れたいだろうな…………それじゃあ、あの頭痛は?」
「それも大体分かってる。実体化した思念は独立してる訳じゃない。必ずどこかで本体とリンクしてるんだ。それで、エルセナの頭痛は脳にかかる負荷が原因で、その部分は『エルセナ』の記憶と情報処理に当たる」
「…………じゃあ」
「『エルセナ』の情報処理機能が過熱気味になってるんだ。その負荷が巡り巡ってエルセナに辿り着いて、頭痛という形になる」
「……『エルセナ』の機能は、今の状況に対応しきれてないのか!?」
「……そう考えられるね」

 ディーンは静かに言った。サネージャの額に冷や汗が流れる。
 
「ここ数年、『エルセナ』の人口が一気に増えただろう?」
「10万単位でな」
「そのせいで、『エルセナ』に送られる情報が爆発的に増加した。多分、以前から限界に近かったんだろうけど、この数年間でその情報処理機能のデッドラインを越えてしまったんだ。その顕著な例が……」
「……ブラックアウトか」

 ディーンは黙って頷いた。
 自分でも突飛な考えだと分かっている。しかし、それならば全てをつなげることができるのだ。

「けどなあ。あくまで仮説だろ?証拠、何でもいいからないのか?」

 溜め息をつきながらサネージャは尋ねた。
 
「……残念ながら確たる証拠はない。けど、エルセナが『エルセナ』とリンクしてるのは事実なんだ。昨日それが分かった」
「何だ?」
「『滞電』だよ」
「『滞電』?」

 サネージャは眉をひそめた。
 
「過去8回……『滞電』は、実はエルセナが頭痛を起こした時とほぼ同時に起きているんだ」
「……そうか、頭痛のせいで機能が低下して……」
「いや。正確には違うと思う」
「え?」
「正確には『滞電』は、エルセナが鎮痛剤を飲んだ後に発生しているんだ」
「鎮痛剤を、飲んだ後……?」

 ディーンは頷くと、続けた。
 
「鎮痛剤といっても、即効性のものは痛みそのものを抑えるだけじゃない。初めに痛覚を麻痺させ、それから痛みを抑えるんだ。ただ、最初は少量でも効いていたのが、回を重ねる毎にその回数も増えていって、その効果は痛覚を麻痺させるだけじゃなくなった。脳全体を麻痺させるようになってしまったんだ」

 薬の袋には、大量に服用すると危険だと書いてあった。
 
「……つまり、睡眠薬の大量服用とおんなじようなもんか。多すぎると身体に悪影響っていう……」
「うん。エルセナと『エルセナ』がリンクしているなら、エルセナの脳が麻痺した場合、当然その影響は『エルセナ』に及ぶ」
「それが、『滞電』…………」

 全てはつながった。
 この一連の事件も、エルセナのことも、全ては『エルセナ』そのものが原因だったのだ。
停電も、『滞電』も。エルセナの頭痛も、記憶喪失も。100年以上前から全て始まっていたのだ。

「参ったな…………大問題じゃないか」

 苦笑して髪をかき上げながら、サネージャは言った。しかしすぐに真顔になる。
 
「それで、ディーン。お前はどうするんだ?」
「どうって?」
「前に言ってただろ?エルの記憶が戻ったらその後のことはエルに決めさせるって。まあ、あいつの素性は私達の方が知ってしまったわけだけど、こればっかりはエル一人が決められる事じゃないし、決めさせて良いものでもないぞ?」

 ディーンはしばらく黙った後、頷いた。
 
「それにこのままエルに薬を飲ませてもいいものかどうか……」
「でも、あんなに苦しんでるのに、放っておく訳にはいかないよ」
「だから、どうするつもりなのかって、訊いてるんだ」

 責めるような口調で、サネージャは言い放つ。
 
「……エルセナの脳の代わりに、スーパーコンピューターを置くことは?」
「無理だ。現在人間が作れる最高のスーパーコンピューターは、ルオシーラ星の第3管理都市のものだ。それだって収容人数は400万。『エルセナ』の半分にも満たない。3基も作る金はないし、第一、中枢部全体の交換なんて聞いたこともない。一旦全ての機能を止めることになるだろうが、そのリスクはこの間のブラックアウトの比じゃないぞ」
「……駄目か」

 もうすぐ昼休みが終わるので、サネージャとディーンは立ち上がった。二人とも、自分の部署に戻る。

「まあ、色々手は尽くしてみる。気休め程度にしかならんだろうがな……」

 エレベーターの中で、サネージャは静かに言った。やはり、『アバーヴ』でも最高の権力を持つ者でもない限り、『エルセナ』を変えることは不可能なのだろう。
 エレベーターが30階に着いた。扉が開き、ディーンが外に出る。
 
「ディーン」

 と、その時サネージャがディーンを呼び止めた。立ち止まってディーンは振り返る。
 
「何?」
「……あんまり、早まったことはするなよ」

 扉が閉まる。エレベーターの位置を示す光が、徐々に上へと向かって行く。
 ディーンはそこに立ったまま、俯いた。
 
「分かってる……分かってるよ」

 翌日。ディーンは仕事を無断欠勤して、家にいた。
 出がけにエルセナが頭痛を起こしたため、大事をとって残ったのだ。
 鎮痛剤の服用後、やはり『滞電』は発生した。それが治まってしばらくしてからディーンはなくなった薬を買いに行き、そしてたった今帰って来たところだった。
 エルセナは寝室で眠っている。その表情は、とても数時間前まで苦悶していたとは思えない程、安らかなものだった。
 ディーンはエルセナを起こさないように、棚の上に薬を置き、そっと寝室を出た。
 起こさないように、といっても眠っているのはエルセナであって、『エルセナ』は起きている。昼夜を問わず100年以上、常に働き続けている。休むこともできなかったのだ。
 ディーンは溜め息をついた。いくら考えても、エルセナを救う方法は出なかった。必ず壁にぶつかってしまう。

「たった一人の女の子も、助けられないなんてな……」

 ふがいなさで、泣きたくなる。自分が無力なのを、徹底的に思い知らされる。
 ならば、『エルセナ』を救えなくても良い。せめて、その苦痛だけでもどうにかならないだろうか。エルセナに鎮痛剤を与えても与えなくても、『エルセナ』に悪影響が出る。
何とかそれ以外で、エルセナの苦しみを取り除くことはできないものか。ディーンはそのことをずっと考えていた。
 しかし、答えは出ない。
 たった一つだけ、ディーンはエルセナをその苦しみから解放する手段を思いついていた。
 それは、エルセナを殺すことだ。
 だが、その考えはすぐに却下された。
 エルセナを殺すのは簡単だ。もう一度『エルセナ』の中枢部に行き、配線を切ってそこから高圧電流を流せば良い。護身用のスタンガン程度でも充分ショートさせられる。
 しかし、『エルセナ』を殺すとどうなるかは一目瞭然だ。都市の中枢を破壊するのだから、都市機能は完全にストップし、2度と復活しない。『エルセナ』に住む1200万以上の人間が、全員死に絶えることになる。
 たった一人の少女のためにそれだけの人間を巻き込む。過去の研究者達がエルセナに行った事以上に、それは許されないことだ。
 それに、それは本当の解決ではない。ただの逃避だ。第一、ディーンにエルセナを殺すことなど、できるはずがなかった。
 だが、かといって顔も知らない大勢の人間のために、たった一人の少女をこのままいつまでも苦しませることなど、考えたくもない。
 それ以外に方法はないのだ。
 だが、選ぶことなど、できない。
 ディーンは頭を抱えた。
 
「…………どうすればいいんだよ…………!」

 時間(とき)が過ぎる。
 1日、2日と、現状を変えられないまま、ディーンはずっとエルセナのそばにいた。
 もうエルセナは、1日に最低2度は頭痛に襲われるようになっていた。ただ、今日は夕方になっても起きてはいなかった。それが逆に怖かったが。

「ねえ、ディーン……」

 日も暮れて、夜の帳が降り始める頃。このところずっとベッドで寝たきりのエルセナが、隣にいるディーンに話しかけた。その声には、以前の元気はなかった。

「何?」

 ディーンは、努めて優しく答える。
 
「夢……見たんだ。私は眠ってて、目が覚めたら、周りに人がいて……その人達と、楽しく過ごしたの……」
「それで?」
「あとは…………覚えてない。けどそれは、すごく楽しくて…………すごく、短かった…………」
「……そっか」

 それはきっと、エルセナが人間に発見された時の記憶だ。楽しい時だけは、ぼんやりとでも覚えているらしい。たとえ、それがほんの1週間であっても。

「でもね、ディーン。私、今の方が楽しい。ディーンのことが好きだから、一緒にいられて、すごく、嬉しい」
「……うん。僕も、嬉しいよ」

 エルセナと会えたことが、すごく。ディーンはエルセナの髪を撫でた。
 エルセナは布団をかぶったまま、にっこりと笑った。
 
「海……行こうね」
「ああ…………」


 外はすっかり暗くなっていた。
 エルセナは、またうとうととしていた。『エルセナ』が眠っていない分、エルセナが眠るのだろうか。
 ディーンは、エルセナの寝顔を静かに見つめていた。
 このまま時が止まってしまえばいい。そうすれば、エルセナは苦しまなくて済む。ディーンは、心からそう思った。
 しかし、それは儚い願いだった。
 
「う…………!」

 不意に、エルセナの顔が歪んだ。
(…………きた!)

「う……あ、ああぁぁああああぁあぁぁぁ!!」

 一気に苦しみが増す。エルセナはベッドの中でもがき始めた。
 ディーンはすぐに薬を取り出し、隣のポットからコップに水を注ぐ。
 
「エルセナ!」

 エルセナを抱き起こして、薬を飲ませる。エルセナの身体上、一度に大量に飲むことは不可能なので、5粒ずつに分けて飲ませる。合計40錠。

「痛い……痛い!あぁああぁぁああああぁあああ!!」

 しかし、今回はそれでも効果がない。普通の薬の倍は効果が出るよう特別に作ったものであるのに。

「くそっ!!」

 ディーンは袋から更に薬を取り出そうとした。だが、逆さにしても何も出てこない。
(しまった!きらしてたのか!?)
 しかも、他に袋はない。これが最後だったのだ。
 
「痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!」

 だがエルセナはまだ苦しんでいる。
ディーンは椅子から立ち上がった。

「待ってて、エルセナ!すぐ買ってくる!」

 しかし、一歩踏み出そうとした瞬間、ディーンはエルセナに服の裾をつかまれた。
 エルセナは痛みに顔を歪め、涙を流しながらディーンを見ていた。
 
「ディーン!助けて!助けて!助けて!助けて!助けて!助けて!助けて!助けて!助けて!助けて!助けて!助けて!助けて!助けて!助けてぇ!!」
「た、助けてって、言われても……!」

 その言葉をどうとればよいのか。
 痛みを止めろということか。それともその痛みの根本を治せということなのか。
 あまりに悲痛な叫び。まるで、今までの苦痛を全て吐き出すかのような訴え。
 ディーンは悟っていた。もう、薬ではどうしようもないことを。
 
「助けて!助けて!助けて!助けて!助けて!助けて!助けて!助けて!助けて!たす…………ああああああああああああああああああああああああああっっ!!」

 取るべき選択肢は2つ。エルセナを殺すか否か。
 エルセナをこの苦しみから解放するために、大勢の人間を犠牲にするか。名も知らぬ人間達のために、エルセナをこのまま苦しませ続けるか。
 決断しなければならない。
 
「………………く………………!」
「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
「…………くっそおおおおおおおおおおおおおお!!」

 ディーンはきつく瞼を閉じて叫んだ。そして、棚の奥から「それ」を取り出すと、家を飛び出した。
 ディーンは、まだ人の往来がある夜陰の中を、「そこ」へ向かって走って行った。


エピローグ



 その日、『エルセナ』で創設以来2度目のブラックアウトが発生した。

『エルセナ』は3日後になってようやくその機能を取り戻した。各機関への影響は甚大なものだった。ただ停電は既に一度起きているし、『滞電』の件もあって対策が施されていたため、人的な被害はそれ程大きくはなかった。
 尚、様々な調査が成されたが、ブラックアウトの原因は結局「不明」となっている。


「……復活するとは思ってなかったんだけどな」

 1週間後、『滞電』も発生しなくなり、通常業務に戻ってきたサネージャは、ほとんど終わりかけの、ブラックアウトの処理を行っていた。
 そのブラックアウトは、『エルセナ』の機能の停止を意味すると思っていたので、電気が点いたのは本当に意外だった。

「ディーンの奴、結局何もしなかったのかな……ん?」

 そう呟いた時、サネージャは奇妙な報告を見つけた。
 ブラックアウト発生時、特別許可証を持った一人の男が、『エルセナ』の外に出たという。

「………………」

 サネージャはしばらく考え込んだ後、その男は少女を一人連れていなかったかと返信した。
 答えは、不明。ただ、人一人入るような、大きな荷物を持ってはいたらしい。
 そして現在、行方不明者の欄に、ディーン・ユーリオの名がある。サネージャは一度ディーンの家に訪れたが、ディーンもエルセナもそこにはいなかった。
 外に出た男がディーンかどうかは分からない。ただ、その可能性があるだけだった。
 サネージャは席を立った。昼休みである以上、昼食はとっておくべきだろう。
 
「まあ…………過去の事実は、変えようがないよな……」

 自嘲気味に呟いて、サネージャは部屋を出た。



 そして、『エルセナ』は、まだ、生き続ける。  




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