76-2 ELSENA 第2話「水辺の再会」(その2)
食事を終えて一休みしていると、ディーンは不意に後ろから声をかけられた。
「もしかしなくても、ディーンか?」
「え?」
振り向くとそこには、眼鏡をかけた一人の女性が立っていた。ほどけば長いであろう黒髪を適当に束ね、切れ長の目でディーンを見下ろしている。背が高いためか、それともその態度のせいか、少し人を見下しているように思える。ディーンはその女性を見て、驚きの声をあげた。
「サネージャ!何で君がここに?」
「そりゃ全くもって私のセリフだ。お前こそ何で……」
そこまで言いかけて、サネージャはエルセナに気付いたようだ。きょとんとした顔で二人を見ているエルセナを眺めていたサネージャは、急に溜め息をついた。
「お前なあ。いくら相手がいないからって、こんな子をナン……」
「違う違う違う!誤解するなよサネージャ!」
サネージャが何を言わんとしたかが分かり、ディーンは慌てて遮った。
「なんだ、違うのか」
「ちょっと事情があって、一緒に住んでるんだよ」
「かどわかして?」
「……何で君はそっちの方に話を持っていくんだ」
ディーンはがっくり肩を落とした。
「ま、犯罪沙汰じゃないならいいか。お嬢ちゃん、名前は?」
「ほえ!?」
突然話しかけられてエルセナは驚いた。しかし、ディーンの知り合いであるというのは分かったらしく、すぐに笑顔を作る。
「私はエルセナだよ」
「エルセナ?変わった名前だな。ここと同じなんて」
ディーンの感想を、サネージャも口にする。ディーンは、そこに口を挟んだ。
「一応だよ。便宜上ね」
サネージャはしばらくディーンを見ていたが、その言葉で大体のことを察したらしい。
「お人好し」
「……悪かったね」
嗤うサネージャの言葉に、ディーンは憮然とした顔で答える。
「そういうことならそれでいいや。私はサネージャ・ソーマ。よろしくな、エル」
サネージャはそう言って右手を差し出す。エルセナはにこっと笑ってその手を握った。
「うん。よろしくね、サネージャ」
その様子を、ディーンは黙って見ていた。早くも略称で呼んでいるサネージャと、何の抵抗もなく相手を受け入れるエルセナの対応の早さに、少し驚いた。
「それで?サネージャは何でここにいるんだ?」
「運動の一環さ。水泳は効果的な運動の一つだからな」
「そうかい」
「ねえディーン。サネージャって知り合い?」
今更のように、エルセナが疑問を口にする。う、とディーンは少しの間固まった。なるべくなら答えたくない質問だった。
「元恋人だよ」
しかし、サネージャがあっさり答えてしまう。ディーンは脱力した。
「元恋人?」
「ああ。半年前までつきあってたんだけどな」
「ある日突然、『飽きた』とか言って、別れたんだよ。サネージャの方からね」
「ふーん……?」
エルセナはよく分からない、といった顔をする。恋人というのがどういうものなのか分かっていないのかもしれなかった。
「ディーン、お前は何でここにいるんだ?」
空いている椅子に座って、サネージャが訊いてきた。
「休暇とったんだ。それで、エルセナが泳ぎたいって言うから……」
「へえ……ブラックアウトからこっち、相当仕事入るようになったのにな」
「運が良かったんだろうね」
昼食後、サネージャも交えてエルセナは再び泳ぎだした。エルセナが泳げないというのでサネージャがコーチしていたが、成果は芳しくなかったようだ。結局、11種のプールで遊んだところで、その日はお開きとなった。
ディーンとエルセナは、『リゾートパーク』内のホテルに部屋をとっておいたので、そこへ戻った。『リゾートパーク』には様々なアミューズメントがあるので、それらも楽しむためだった。
「でもどうしてサネージャがここにいるんだ?」
ツインの一室に戻ったディーンは、荷物を置くと、後ろにいるサネージャに訊いた。
「半年ぶりに会ったんだ。積もる話もあるだろう」
「……まさか、泊まる気じゃないよね?」
「そのまさかに決まってるだろ。アホかお前は」
「……あのね。見ての通り二人部屋なんだ。君の分のベッドはないよ」
「私の分ならあるじゃないか」
サネージャは、エルセナが陣取っていない方のベッドを指さした。
「……じゃあ僕のは?」
「床だ」
さらりとサネージャは答える。ディーンは反論する気もなくなってしまった。
「慣れてるだろ?」
「……まあね」
サネージャがディーンの家に泊まった時も、そして今も、ディーンは床で寝ている。不思議とどこでも眠れる体なので、素直に頷いておいた。
「さ、それじゃ飯食いに行くか。親睦会も兼ねておごってやるよ、エル」
話はついたとばかりに腰に手を当て、サネージャはエルセナに呼びかけた。部屋を出るサネージャを、わーい、とエルセナがついて行く。ディーンも仕方なく立ち上がった。
「そう、悪いねサネージャ」
「誰がお前までおごるなんて言った?」
本気で考えてなかったのか、ディーンの言葉にサネージャは驚いて振り向く。
「僕は自分で払えと?」
「当たり前だ。お前は金持ってるだろう?」
確かにそうだけどさ、とぶつぶつ言いながら、ディーンは二人の後についた。いくら抗議しようとも、口でサネージャに勝てないことは知っているので、ディーンは面と向かって文句は言わないことにした。
久し振りに会った元恋人が全く変わっていないことにディーンは閉口し、同時に何故か安心していた。
「しかし……実際何者なんだ?あの子は」
夕食を終えた後、サネージャはディーンに話があると言って、エルセナを部屋に戻らせた。エルセナは残念そうだったが、ディーンに言われ、素直に部屋に帰っていった。
そこまでして何の話かと思っていると、エルセナがレストランを出て少ししてから、サネージャはディーンに言った。
「エルセナのこと?」
「ああ。1週間経っても行方不明者の欄に名前が出ないなんて、おかしいぞ」
サネージャは、酒を頼みながらそう言う。
『エルセナ』の管理はほぼ完璧だ。行方不明者の情報は、そう判断されたら、それとほとんど同時にセンターに届く。
「ブラックアウトの直後にお前の所に現れたのは偶然としても、何故記憶喪失なんだ?」
「……それは分からないんだ。けどエルセナは、時々ひどい頭痛がするらしい」
「頭痛?」
「まだ2回しか見てないけどね。相当苦しいらしいんだ。今は鎮痛剤持たせてるから対応はできるけど」
「そいつは何か関係あるのか?」
「さあ……けど、近いうちに病院に連れて行くつもりだよ」
「早い方がいいな」
「うん」
そこまで話して、酒が運ばれてきた。サネージャは二人分のグラスにそれを注ぐ。
「ほれ」
「……君は明日仕事があるんじゃないのか?」
「適当に理由つけてサボるさ」
「……それが『アバーヴ』の人間のすることか」
『エルセナ』の管理センターは70階建てで、それに地下が5つ足される。1階と2階はロビーなどで、3階から44階までが2階ずつ小区域担当である。ディーンは30階の第14地区担当である。『アバーヴ』というのは、43階以上の階の通称である。ここでは管理センターそのものを管理したり、『エルセナ』外の町との連携や、他惑星との通信や貿易を司っている。そのため、『アバーヴ』の人材は、小区域担当よりも優秀だとされている。
「興味があるんだよ。特にエルにな」
「まあ、謎だらけだからね、エルセナは」
つきあっていた時も、謎解きや推理小説が大好きだったサネージャ。エルセナは、それこそサネージャの興味を惹くのだろう。
「ああ。そういやあんなご大層な服……どこに売ってんだろうな」
エルセナの民族衣装のような服。羽衣のような布が特徴的だった。『エルセナ』内にもいかがわしい店はいくつかあるが、そういうところにもなさそうな服だ。第一、それとエルセナとの関係が見いだせない。
「作ったのかな?」
「にしちゃすごく豪華だぞ。それに2着持ってる理由が分からん。エルって裁縫できるのか?」
「さあ……でも、やらせたくないな」
エルセナが針で指を刺すところが容易に想像できる。サネージャも同じだったのか、くっくっと笑っていた。
「それで、結局お前はあの子をどうするつもりだ?」
しかし、急に真面目な顔になって、サネージャは尋ねた。その瞳は真っ直ぐで、真剣なものだった。確かにそれは、ディーンにとっても、またエルセナにとっても重要なことだった。
「……どうもしないさ。エルセナの記憶が戻らないことには手も足も出ないからね。エルセナに関する情報を探すだけだ。それまでは家に泊めておくつもりだよ」
「もしも記憶が戻ったら?」
「その時はその時だろう?どうするかはエルセナに決めさせる。僕が口出しする事じゃない」
「……そうか」
サネージャはグラスを置いた。
その言葉に含まれている意味を、ディーンはなんとなく感じとった。
「ま、まずはエルを病院に連れて行くことだな」
「うん」
「何か分かったら私にも教えてくれ。色々調べてみる。情報量なら『アバーヴ』の方が上だからな」
「分かった。ありがとう、サネージャ」
「それじゃ行こう。エルが待ちくたびれてるだろ」
サネージャは立ち上がった。うん、と頷いてディーンもそれにならう。
「じゃあ金は割り勘な」
「……ちょっと待った。それだと僕の払い分が増えるんだけど」
「気にするな。ハゲるぞ」
半ば強引にディーンに会計の半分を払わせる。全部払わされるよりはましだと思って、ディーンは財布を取り出した。
「ディーン」
レストランを出て部屋に戻る途中、サネージャが口を開いた。
「何?」
「……同居してるからって、手は出すなよ?」
やはり酒が回っていたのか、サネージャはにやにやしている。さっきまで真面目な話をしてたのに、とディーンは溜め息をついた。
「……出さないよ」
がっくりと肩を落として、そう一言だけ答えた。
(ひょっとしてサネージャ、これが言いたかっただけなのかもな)
サネージャの性格からすれば、充分考えられる。当たっていそうなだけに、ディーンはより一層脱力した。
ホテルの廊下を歩きながらディーンは、これから床で寝なければならないことを思い出していた。
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