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73-1 Zephyr 第四話 想い、届けて(その1)
 滞在折り返しから三日後。
 結城は「みよし」の部屋でゴロゴロしていた。外はもうすぐ夕方というのに。
 絣を泣かせてしまってから、結城は絣に会っていなかった。絣が結城を避けているのか、それとも結城自身が絣を避けているのか、とにかくこの三日間、結城は一度も絣に会わなかった。会わなかったが、結城はずっと絣のことを考えていた。
 他人と話すだけで傷つく絣。それ故、ずっと他人を拒絶してきた。
 それが哀れに思えてならない。一般的な、「他人」から見た見解でしかないかもしれないが、結城は、絣のその考えをどうにか変えてやりたかった。人と話すことが怖いことでなく、楽しいことなのだと教えてやりたかった。

 しかし、恐らくはそれが不可能だから、こうしてくすぶっている。
 絣自身、変わりたいとは思っていたのだ。そのための努力もした。しかし、結果的に挫折してしまった。絣の心は、その恐怖を克服できなかったのだ。絣は、自分を変えられないと分かってしまった。正確には、そう思い込んでしまったのだ。
 だからもう努力はしない。更に大きくなってしまった自尊心を傷つけないために、その思い込みをより強固なものにしてしまったのだ。
 固定化された悲観的な考えを変えさせるのは難しい。失敗すれば、絣は絶対に立ち直れなくなる。
 だからそれを、出会ってたかだか二週間の結城がどうにかできる訳がなかった。
 しかも、三日前の論議の結果、絣は結城を「他人」と見なしてしまったはずだ。別れ際の絣の言葉には、軽蔑が含まれていた。
 もう話したくない。拘わりたくない、と。
 
「……くそ!」

 結城の立場を考えれば、それでもいいはずだ。下手に他人の心なんかに拘わらないで、のんびりと休暇の残りを過ごせば良いのだ。元々結城はそう考えていたはずだ。
 なのに、今はもうこうして情けないくらい悩んでいる。たった一人の少女のために、仕事の原稿以上に苦悩している。

(将来のため……なんてのは駄目だよな)

 就職組の人間には言っておくものだろうが、そんなものは絣には逆効果だ。分かっていることをくどくど言われるのは頭にくる。第一、そんなほとんど強制的な変えさせ方は卑怯だ。将来のために必要だとか、食べていくためには仕方ないとか、そういった大人じみた打算的な言葉では絣は納得しない。どうせ駄目なんだ、とヤケになるだけだ。
 何とかやる気を起こさせ、且つ持続させられる方法。そんな都合のいいものがあるのか、結城は自問する。

「……あーもう!」

 結局何も思いつかず、結城は反動をつけて立ち上がった。
とりあえず絣に会おうと思った。拒絶されるかもしれないが、話さないことには始まらない。結城は「みよし」を出た。
 しかし、いざ行こうとすると気がひける。考えなしで話したところで無意味だ。押し入るように家に上がる訳にもいかない。
 しばらく考えて、結城は神社を目指した。夕焼けが見えるから、絣がいるかもしれない。
偶然会ったふりをして会話に持ち込めばいいのだ。

(まずこの間のことを謝って、それからえーと……)

 会話をシミュレートしながら、異常な数の石段を登る。だいぶ慣れたつもりだが、それでも膝は笑いをこらえきれないようだった。
 息を切らせて結城は鳥居をくぐる。そしてまず本殿の屋根を見上げた。
夕陽を見つめる絣は、そこにはいなかった。
結城は、拝殿に近づいて周囲を見渡した。しかし、黒髪の少女はいなかった。

「ありゃ?川本さん」

 安心したような残念なような複雑な気持ちで結城が頭を掻いていると、本殿の脇から声をかけられた。

「成羽……」

 そこには、巫女装束を着た成羽が立っていた。
 
「珍しいですね、こんな所に来るなんて」

 にこにこしながら、成羽は近づいてきた。
 
「まあな。成羽は、バイトだったのか」
「ええ。仕事は全部終わっちゃったんですけどね」

 巫女の仕事というのがどんなものか結城は知らないが、そうか、とだけ言っておいた。
 
「だからヒマでヒマで。丁度話し相手が欲しかったんですよ。川本さんは何でここに?」

 ひょいと顔を覗き込んで、成羽は尋ねた。
 
「んー……夕陽を見に、な」

 本当は絣に会いに来たのだが、その絣がいないのでは仕方ない。結城はそういうことにしておいた。今日が曇りではなかったことに感謝して。
 そこで二人は一緒に夕焼けを見ることにした。絣のために使わなければならない時間を、結城は成羽と共に浪費していた。
 夕陽は大きく、信じられないほど紅かった。長く伸びた鳥居の影が膝の上に落ちている。その影さえも、どこか朱く見える、茜色の世界。

(絣ちゃんは……何を思ってこれを見てたんだろう)

 ゆらゆらとゆれる太陽を眺めながら、結城はぼんやりと考えていた。幻想的な炎の光を見つめていた絣。その目は何を見て、何を求めていたのだろう。初めて会った時の、寂しさと脅えを持った目。

「……川本さん」

 結城がぼうっとしていたところで、隣の成羽が不意に声をかけてきた。
 
「うん?」
「……絣と、何かあったんですか?」

 その言葉に驚いて、結城はバッと振り返った。夕陽に照らされた成羽が、じっと結城を見つめている。

「……何で、そう思うんだ」

 その態度では、もはや肯定しているも同然だったが、なるべく平静を装って結城は聞き返した。事実である以上、否定するわけにはいかなかった。

「だって、絣テレビ見てるんですもん」

 しかし、返ってきた答えは理解し難いものだった。唐突に心を見透かされたような言葉と、全く的外れの言葉が続いてきたために、結城は混乱してしまった。

「……テレビくらい、絣ちゃんだって見るだろう?」
「見ませんよ」

冗談かと思い笑って返したが、成羽はさらに結城の予想を超える答えを出してきた。

「絣はね、川本さん。自分からテレビを点けて見るってことはしないんです。あたしが点けないことにはね」

 抑揚のない声で成羽は言った。
 
「……だけど、それとこれとどう関係があるんだ?」
「……過去一度」

 成羽は半分以上沈んでしまった夕陽に目を向け直して、話し始めた。
 
「絣のやつ、目、真っ赤にして学校から帰ってきたことがあるんです」

 泣いていた、ということだろう。成羽は続けた。

「何があったのか絣は話さなかったし、多分今聞いても答えないと思う。けど、すごく悲しいことか、嫌なことがあったのは確かだと思います」

 人と話すことでまた自らを傷つけてしまったのだろうか。結城は黙って成羽の次の言葉を待った。

(第四話 その2へ続く)


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