風の強い日・6
夢を見た。
赤木さんと出会ったときの夢。
二年前の夏、ある賭場で、オレは負けがこんで泣きそうになっていた。
相手連中に嵌められたのだ。その賭場を仕切っていたものも含め、その博打に関わっていた者達はオレ以外みんなグルで、よってたかってオレから搾取しようという魂胆だったのだ。
それに気がついたときには、すでにオレの持ち金は底を尽きていた。財布の中の金だけでなく、雀の涙ほどの貯金までも、通帳ごと賭けて勝負に負けてしまったのだ。
悔しくて悔しくて、目の前が真っ暗になった。負けたことに対してではない。奴らの卑劣さに対してでもない。
この段階になるまで相手の思惑を見抜けなかった、自分自身に対して、死ぬほど腹が立った。
地団駄踏みたい気持ちを、嘲笑う声が遠慮会釈なく逆撫でしていく。
四面楚歌。
周りが全員敵だらけのその賭場で、歯が折れそうなほどギリギリと歯軋りしているオレの肩を、その時、ぽん、と叩いた人がいた。
それが赤木さんだった。
「散々だなぁ。兄さん」
軽い調子で言われ、すこし苛ついた。
誰なんだ、あんたは。
そう言おうとしたとき、周りが俄に騒がしくなった。
「赤木だ……」
「えっ……赤木、って……あの『神域』の!?」
「赤木しげるが、なんでこんな賭場に?」
ギャラリーが口々に呟く名前には、オレも聞き覚えがあった。
裏の麻雀界を震撼させた、伝説の男。
数々の噂は耳にしていたものの、本物を見るのは初めてだった。
予想外の展開に固まり、言葉がでないオレに、赤木さんは真顔で問うてきた。
「あと一勝負で、あいつらに勝つ自信はあるか?」
「……っ!」
目を見開いた。
赤木さんは『あいつら』って言った。見抜いているんだ、奴等のイカサマを。
あと、たったの一勝負。それで逆転するなんて、奇跡でも起こらない限り無理だろう。
でも。
強く拳を握り、睨みつけるように赤木さんを見る。
「勝つっ……! あと一勝負あれば、必ず勝ってみせるっ……!!」
それはオレの本心だった。
このままじゃ引き下がれない。
オレの矜持にかけて、必ず奴らに勝たなければ気が済まなかった。
赤木さんはオレの目を見て、片頬を吊り上げて笑う。
それから、スーツのポケットに手を突っ込み、なにかを取り出してオレの側のテーブルに叩きつけるようにして置いた。
「五万ある。俺はこの兄さんに賭けた。さぁ、もう一勝負だ」
赤木さんが不敵な笑みを浮かべ、周りがふたたび騒然となる。
信じられない気持ちで、オレは赤木さんを見上げる。
赤木さんはオレの視線に気がつくと、すっと目を細めてみせた。
「必ず勝てよ、兄さん」
瞼が、鉛のように重い。
それでも、うっすらと目を開けると、部屋の中はすでに昼の光に満ちていた。
ずいぶん寝過ごしてしまったらしい。部屋の明るさからすると、正午を回ったところだろうか?
ゆっくりと体を起こす。
傍らのベッドは、すでにもぬけの殻だった。
少年は、オレが寝ている間に出て行ったのだろう。
結局、取り分を渡し損ねたなと思いながら、大きく伸びをする。
外は今日も風が強いらしく、古ぼけた窓がカタカタと音をたてている。
床で寝たせいで凝った肩をぐるぐる回していると、
「あ。やっと起きた」
ふいに誰かの声がして、飛び上がりそうになった。
声のした方を見ると、見知らぬ男が寝室の入り口に立ち、オレの顔を見下ろしていた。
「なっ……だっ……」
誰だお前、と怒鳴りつけたつもりだったが、言葉にならなかった。
男はオレの傍まできて、しゃがみこむ。
「誰って……昨日のガキだけど」
「はぁぁ!?」
信じがたいことを言われて間抜けな声が出た。
確かに、昨日の少年と同じくきれいな総白髪だし、目つきや不思議そうな表情にも、面影は感じ取れないことはない。
だけど、男はオレとそう歳が変わらないように見える。少年とはまったくの別人であることは確かだ。
あの少年が成長したら、こんな風になっただろうとも思えるが、いったいどこの世界に、一晩でこんなにも歳をとる人間がいるというのだ。
「つ、つまらない冗談はよせ。わかったぞ……お前、昨日のガキの兄貴かなんかなんだろ!?」
この青年も、赤木さんとよく似ている。つまりは、昨日の少年同様、赤木さんの縁者なのだろう。
そして、この部屋へ少年を迎えに来たのだろう。そうに違いない。
「生憎だが、もうここにあいつはいないぜ。オレが寝てる間に、出てったんだと思う」
一息でそう言うと、男はじっとオレの顔を見詰めたあと、視線を上へ投げた。
「……ま、あんたがそう思うなら、それでいいよ」
男の台詞に既視感を覚える。そういえば、昨日の少年も同じようなことを呟いていた。
「それよりさ。もう二時過ぎてるよ。腹減らないの?」
男にそう言われて驚き、慌てて床に放り出してあった携帯を見る。
ディスプレイに表示されたデジタル時計は、午後二時半を示している。
呆然とした。こんなに長いこと、眠りこけていたなんて。
時間を認識したとたん、胃が痛くなるほどの強烈な空腹を覚えた。
そういえば昨日、うどんを少しだけ食ったきり、なにも飲み食いしてない。
とりあえずトイレを済ませてから、なにか作って腹に入れようと考えて立ち上がると、しゃがみ込んだままの男が目線を上げてオレを見る。
「……おい」
「ん?」
「ガキはここにいないんだって。わかったらこの部屋から出てけよ」
空腹のせいで、刺々しい口調になってしまった。
だが男は気にする風もなく、ゆっくりと立ち上がる。
オレの方がすこしだけ高いが、背丈もそう変わらなかった。
「今日はオレと遊んでよ」
「あ?」
「昨日、ガキと遊んでくれたでしょ。あんな風に、一日、一緒にいるだけでいいから」
オレと歳と変わらないであろう青年は、そう言ってオレの顔を覗き込んでくる。
遊ぶ、って……。
突飛な申し出に閉口する。
断固、断ろうとして、近くで見る青年の顔に息をのんだ。
年嵩になった分、青年は昨日の少年よりもっと、赤木さんに似ていた。
その目に、輪郭に、頬に、赤木さんの面影を見つけると、言おうとしていた言葉が喉に詰まって出てこなくなってしまった。
どんなに奇矯な頼みであっても、こんなにも赤木さんに似ている男の申し出を拒否するなんて、今のオレにできるわけがなかった。
重々しくひとつ、頷くと、男は鋭い目許を和らげて「ありがとう」と言った。
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