風の強い日・5

 数時間後。
 店の外の換金所に数枚のカードを出すと、交換で現金が返ってきた。
 万札が十枚と、千円札が四枚。
 受け取った金を手に呆然としているオレを、少年が隣から覗き込んでくる。
「言ったとおりだったでしょう」

 打ち始めて五分で確変の大当たりをして、その後もずっと、途切れることなく連チャンが続いた。
 堆く積み上がっていく箱に唖然としているオレを余所に、少年は当然の結果だと言わんばかりの涼しい顔で、賑々しい演出の続くオレの台を眺めていた。




 辺りはすっかり闇に沈んでいたが、風は依然としてのぼり旗をバタバタとはためかせていた。
 換金所を離れ、ふたりで歩き出す。
 白い前髪を風に吹かれながら歩く少年の横顔を、思わずじっと見てしまう。
 本当に何者なんだろう、この少年は。
 まぐれだったとしても、あれだけ出る台を見抜いたのは、やはり赤木さんの縁者だからこその才能なのだろうか。

 赤木さんも、ときどき一緒にパチンコに行ったとき、出る台を教えてくれた。
 赤木さんの薦めてくれる台は百発百中だった。だけど、オレはなんだか悔しくて、妙なプライドで、本当に苦しいとき以外は赤木さんに薦められた台で打たなかった。
 自分の直感で選んだ台で打ち、毎度毎度、派手に負けて涙目になるオレを、赤木さんは朗らかに笑いながら見てくれていた。
 今思えば、なぜあんなに意固地になっていたのだろうと可笑しい気持ちになる。





「勝ったのに、あまり嬉しそうにしねえんだな」

 ふいに少年が呟いて、オレは我に返る。
「……え?」
 少年はオレをチラリと横目で見て、すぐに視線を元に戻した。

 少年の言うとおりだった。以前のオレなら、残高千円ちょっとが百倍にもなる大勝ちをすれば、多少なりとテンションも上がっていただろう。
 だけど、赤木さんが亡くなってから、博打に対する感覚が、本当に薄くなってしまったのだ。
 あれだけギャンブルに熱中していたはずなのに、負けた悔しさとか、勝った喜びとか、さほど感じなくなってしまった。
 けれど本当に深刻なのは、そのことに対する危機感が、これっぽっちも湧いてこないという事実だった。

 星の瞬く夜空を見上げ、少年はなにかを考え込むような顔をしている。
 なんとなく、その横顔をぼんやり眺めながら歩いていると、しばらく歩いたところで、少年が足を止めた。
「ねぇ。オレ今日、宿無しなんだ。よかったら、あんたのうちに泊めてくれない?」
「……は?」
 突拍子もないことを淡々と言われて、きょとんとしてしまう。
「出る台、教えてあげたでしょ」
「……その礼に、うちへ泊めろっていうのかよ?」
 少年は悪びれもせず、まっすぐにオレを見て頷く。
「素泊まりでいい。メシとかいらないから、一晩くらいいいでしょ?」
 呆れた図太さだ。少年を睨みつけたが、柳に風と、笑みで受け流されてため息が漏れた。
 盛大に頭を掻いて舌打ちする。突き放しても構わなかったが、今日一日ともに過ごしただけで、オレの中に少年に対する微かな情のようなものが芽生えてしまったらしい。
 他人に対してこんな気持ちになるのはひさしぶりのことで、たいそう居心地が悪かった。
 じっとオレを見つめる少年の顔を見て、またため息をつき、
「……本当に、寝床を貸すだけだからな」
 と言うと、我が意を得たりというように、少年はニヤリと笑った。




 オレもなんだか腹が減っていなかったので、そのまままっすぐうちに帰った。
 部屋に上げると、少年は疲れたのか、すぐさま大きな欠伸をする。
 そのまま、居間の床に寝転がろうとするのを慌てて止め、ベッドへと引きずっていった。

「べつに、床でかまわないのに」
 ベッドの上からオレを見上げて少年は言ったが、そうもいくまい。
 オレも、人とこれだけたくさん喋り、行動をともにしたのは久々のことだったので、なんだかひどく疲れて、眠かった。
 欠伸しながら寝間着に着替え、汚れ物を纏める。
 ずいぶんと厚みを増した財布をジーンズのポケットから抜き出したところで、ふと思い立ち、少年に近づく。

 万冊を数枚、適当に抜いて目の前に突き出すと、少年は瞬きする。
「なに?」
「取り分。お前のお陰で勝てたから」
 少年は目を伏せ、笑って首を振った。
「いいよ。オレは」
「いや……そうもいかねえだろ」
 引き下がらない意思を示せば、少年はオレを見上げ、
「だったら……その金は、明日までとっておいて」
 と言った。
「明日?」
 問い返しても、例によって少年は返事をしない。
 明日、ここを出て行くときに受け取るということだろうか?
 疑問に思いながらも、オレは仕方なく金を財布にしまい直した。


「電気消すぞ?」
 少年が頷いたので、壁際のスイッチを切る。
 客用の布団などないから、今日はオレが床で寝ることになる。
「……じゃあ、おやすみ」
 ベッドの傍らの床に寝転がろうとして、服の裾を引かれた。
「あんたもベッドで寝ればいい」
「……嫌だよ。狭くなるだろ」
 床で寝るのには慣れている。赤木さんとふたりでベッドで眠るような関係になる前までは、赤木さんがうちに泊まりに来たとき、オレは決まって床で眠っていた。



 赤木さんも少年と同じように、床でいいって言ってくれたけど、そんなことさせられるはずがなかった。
 高そうなスーツのままベッドに寝転がろうとする赤木さんを、嗜めるのがオレの役目だった。
 何度言っても、スーツのまま寝ようとする赤木さんの悪い癖は直らず、次第に子供を叱るような口調になってしまう。
 それでも、赤木さんはすこしも反省することなく、次来たときにはまた同じことを繰り返しては、オレの苦い顔を見て笑ったものだった。



 床に寝転がって目を閉じる。
 鼓膜に赤木さんの低い笑い声がこびりついていて、瞼の裏には、悪ガキみたいな赤木さんの笑顔がくっきりと焼きついて、離れない。

「なに考えてるの?」

 少年の声がした。
「あんた今日ずっと、心ここにあらずって感じだった」
 心ここにあらず、か。
「……悪い……」
「べつに、謝るようなことじゃないけど」
 少年の声がすこしだけ笑う。
 暗闇の中、その声は冴え、澄んで耳に届いた。

 悪い、と少年に謝りながらも、オレは瞼の裏の、赤木さんの幻を追い続けていた。
 夜毎、オレはこうして赤木さんのことを思い出して眠りに就くのが習慣となっていた。
 そうすることで、赤木さんを喪ってからも、オレは落ち着いて眠ることができていたのだ。

 暗くて、あたたかくて、穏やかな一日の終わり。
 ここにあらず、と少年に言われたオレの心は、きっと赤木さんのところへ行ってしまったのだろう。

「おやすみ、迷子のお兄さん」
 次第に霞み、眠りへと落ちゆく意識の中、ちいさくそう呟いた少年の声が、微かに鼓膜を揺らした。
 



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