見る前に飛べ カイジが告白する話 カイジ視点
「飛び込んじまえば、あとは、なんてことなかったよ」
チキンランの話を聞いたとき、奴はそう言った。
いくら助かる確率が高かったとはいえ、車ごと断崖から飛び出すなんて想像するだけで恐ろしすぎる、常軌を逸してると言ったオレに、
「あんただって、相当なもんだと思うけど」
と静かに言って笑ったのだ。
失礼な話だ。確かにオレは、やむを得ず何度か危ない橋も何度か渡ってきたし、勝つためにかなりの無茶をしたこともある。
だけど、それはあくまでもそうせざるを得ない状況があったからだ。自ら望んで博打に命を賭すような、狂人と一緒にするな。
なんどそう言ったって、奴は同じように笑ってみせるだけだった。
そして、なにもかも見透かしているみたいな目で、獣が喉を鳴らすみたいな低い声で、聞き返すのだった。
「本当に?」
当たり前だ。
オレは凡人だ。只人だ。ギャンブルなんてもう懲り懲りだって、本当はいつも思ってる。行動が伴っていないけど……少なくとも、体や命を代償にして大金を得るようなことは、金輪際ごめん被る。
だからオレは、奴とは付き合えねえ。生き方というか、考え方が違いすぎる。
それなのに、奴はオレの家を訪ねてくる。
一緒に飯を食い、酒を飲む。ただそれだけの、奴にとっては至極つまらないだろうことを、ずっと繰り返している。
奴がそんなことをする理由なんて、ひとつしか考えられない。
奴は、オレを待っている。
オレが自ら望んで奴の側へ来ることを、待ち続けているんだ。
オレ自身も、薄々、勘づいてはいた。
どんなに理性が否定しても、この心が、体が、本能レベルでギャンブルを欲していること。
本当は、まっとうな人間になど、とっくの昔に戻れなくなっちまってるってこと。
それを奴は見透かしているんだ。それで、オレが堕ちてくるのを、笑いながらじっと待っているんだ。
駄目だ。駄目なんだ。お前との関係が深くなると、たぶん、オレはますます戻れなくなっちまう。
お前みたいな奴が傍にいると、胸にしまい込んだ欲求を抑え続けられなくなる。
それが怖いんだ。恐れているんだ。
だけど会うたび、強烈に惹かれていくことを止められない。
それは奴に惹かれているのと同時に、自分の中のギャンブラーの血が、抑圧から解放されたいと叫んでいるようだった。
初めて会ったときからずっと、止めようもなく、気持ちは大きくなる一方だった。
「頭でぐちゃぐちゃ考えてないでさ。本当にあんたが望んでいることをしなよ。そういう生き方しかできないだろ、オレたちは」
奴はそう言って、オレのことをじっと見る。
無茶を言うな。考えるなったって無理だろ。
目の前に広がる真っ黒な海、そこへ飛び込んでいくような真似なんて、そう簡単にできるわけない。
オレはお前とは違うんだ。
俯いていると、奴はオレの顔を覗き込むようにしたあと、ふっと苦笑して立ち上がった。
「また、来るよ」
そう言ってあっさり帰ろうとする奴に、思わず顔を上げた。
本当は引き止めたい。
だけど、なんて言葉をかければいいのか。なにも思いつかず焦っている間に、奴の背中はどんどん遠ざかってゆく。
オレは立ち上がった。
『飛び込んじまえば、あとは、なんてことなかったよ』
本当だろうか? 気が狂っている。でも、オレももう、飛ぶしかなくなってしまった。
どうしようもなく惹かれているやつに、あんな言葉をかけられて、なにも行動を起こさないなんて、ありえない。
後戻りなんて、実はとうの昔にできなくなっていたのかもしれない。
「アカギ」
名前を呼ぶと、奴は振り向く。
溺れてるみたいに苦しくなる息を、必死で整えた。
飛び込んだあとのことなんて考えるな。
足元に広がる海、それを見るから恐ろしい。
ただ目の前の男だけを見て、本当に自分が望むことを。
そう、自分に言い聞かせながら、オレは奴をここへ引き止めるための言葉を、震える声で口にした。
終
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