神の盃
大晦日の晩、年明けまであと一時間足らずという頃に、手土産持って赤木はカイジを訪ねた。
「赤木さん……」
寝巻き姿で出てきたカイジは、大きな目をまん丸にして、
「どうしたんですか? こんな時間に」
と訊いてきた。
大晦日は親しい仲の人々との酒盛りに誘われているのだと聞いていたから、純粋に驚いているようだった。
「抜け出してきた。どうしても、お前と年越ししたくってな……。いきなり押しかけて悪い。土産、持ってきた」
赤木が右手に提げた紙袋を持ち上げると、カイジは顔を仄かに赤らめた。
「ありがとうございます……」
猫背を丸めるようにして、ぼそぼそ礼を言うカイジに、赤木は目を細める。
よろこびを表に出すことを、恥じらっているのだ。
一線を越えてしまって久しいが、こんな風にいつまでも、まるで生娘みたいに狎れないカイジの様子は、赤木を楽しませた。
赤木の手土産が日本酒だと知ると、カイジは夕飯の残りのおでんをあたためて出してきた。
「つまみ、こんなもんしかないんですけど……」
申し訳なさそうにするカイジに、
「上等だ。開けようぜ」
赤木は笑いかけ、黒い瓶を取り出した。
「滅茶苦茶、高そうな酒ですね……」
素直すぎるカイジの呟きに、赤木は噴き出しそうになりながらも首を傾げてみせる。
「そうか? ……知り合いに貰っただけだから、値段は知らねえんだが」
本当は、カイジのためにわざわざ山口から取り寄せた酒で、この四合瓶で一本、三万円を越えるのだが、無論、赤木はそんなこと口に出さない。
「すみません。猪口なんて、気の利いたものなくて……」
カイジがきまり悪そうに差し出してきたコップを受け取り、瓶を渡す。
さっそく、低い音をたてて栓が抜かれ、傾けたコップにとくとくと酒を注がれながら、赤木の好き心がふと、動いた。
「心配いらねえよ、カイジ」
宥めるようなすかすような口振りに、きょとんとするカイジを見つめながら、赤木はさらに続ける。
「ここに、あるだろ……俺専用の盃が」
そう言って、空いた手の指先でかさついた唇をそっとなぞれば、その下の喉仏が微かに動き、傷のある頬にじわじわと、薄紙が水を吸い込むような速さで赤みがさしていく。
無骨な見た目にそぐわぬほどカイジは初心なのだが、そのくせ、赤木の言うことには基本的に逆らわない従順なところがある。
うつむきがちにじっと赤木の手中にあるコップを眺めたあと、カイジはつと手を伸ばし、酒のなみなみ注がれたそのコップをそっと奪った。
唇を湿らす程度に酒を含み、コップを卓袱台に置いて赤木に顔を近づける。
唇をあわすと、たちまち甘辛い芳香が鼻腔を抜けていった。
ほどよく醸された、口当たりの滑らかな酒だ。
赤木はくまなく舌を巡らせ、ぬるくなった美酒を舐めまわすようにして味わう。
硬い歯の感触を愉しむように歯列をなぞると、おずおずと舌が絡んできた。
遠慮がちに、ぎこちなく赤木に応えようとするのがいじらしくて、酒の味がしなくなったあとも、赤木はしばらくカイジから離れず、淫靡な口付けを楽しんでいた。
カイジが苦しげに眉を寄せ、微かに呻いたのを聞いた赤木がようやく離れると、絡まった唾液の糸がふたりを繋ぎ、すぐに切れた。
長すぎる口付けの余韻に息を荒げ、ぽうっとしているカイジの濡れた唇を親指で撫で、赤木は囁く。
「うまいな」
「ぁ……は、い、」
そう返事しながらも、もう酒の味どころではなさそうなカイジに、赤木はちょっとだけ笑い、続けて言った。
「手」
「え?」
「手、出せ」
カイジは躊躇いつつも、両手を合わせてお椀の形にし、赤木の前に差し出す。
赤木はその上で酒瓶を傾けた。
両手で作られた盃に浅い酒溜まりができると、今度はそこに顔を伏せて酒を啜る。
カイジは困惑の表情を浮かべつつも、両手にぐっと力を込めて酒を零すまいと頑張っているようだった。
緊張しているさまが掌から伝わってきて、赤木はひっそりと笑う。
一滴も残すまいとするように、犬のように卑しく盃に舌を這わせ、掌、指と、余すところなく味わう。
ぞろりと生き物のように動き回る舌の感触に、カイジはいちいち反応を返し、ぴくりと指を引き攣らせたり、ため息を漏らしたりする。
特に、きっちりとくっつけられた指と指の間の、わずかな谷間をなぞってやると、ひどく感じるのか、指先がきゅうと丸まって盃がちいさくなってしまうのが面白くて、赤木はそこばかりなんどもなんども往復しては、カイジを困らせた。
掌の皺や指の関節もすべて舐め、文字通り盃がからっぽになったところで、赤木はようやく顔を上げ、性感を焚きつけられてしっとり濡れてしまったカイジの瞳に気がつかぬふりで、ニッコリ笑う。
「盃がいいと、酒の味も格別だよな」
「……それは、どうも……」
恥ずかしいのか、ふてくされたように応えを返すのが、なんともかわいい。
「さて、次は……」
指に黒髪を巻き付けて遊びながら、赤木はカイジの体を、これまた舐めるようにじろじろと見る。
品定めするみたいなあけすけな視線を体に這わされ、カイジはまるで全身を舌で舐めまわされているように錯覚してしまう。
たいそう居心地悪そうにしているカイジに、赤木は手を延べ、寝間着の首許に見え隠れする、くっきりと浮き出た鎖骨を撫でた。
「次は……ココだな」
くったりとこなれた寝間着の生地の上から、ことさらゆっくり撫でられ、カイジは身を縮こまらせる。
赤木の方をそっと窺い見るその表情は、まるで飼い主のお叱りを受けている犬のようだ。
赤木は柔和に笑いかけてやりながら、鋭い目の奥で逃げることは許さないとはっきり伝える。
その色を見て取ったカイジは浅く唇を噛んだが、嫌そうな素振りは見せず、おずおずと寝間着を脱いで上半身を露わにした。
怠惰な生活を送っている割に、カイジの体はゆるみが少ない。
だが、赤木に抱かれるようになってから、脂肪とはまたべつの、甘み、とでもいうようなものが加わって、いわゆる『そそる』体に変化しつつあった。
明らかに男を知っているということが、膚を通し、匂やかに伝わってくるようだった。
「相変わらず、いい体してるよな」
赤木が褒めると、カイジはどう受け取っていいかわからず、まごついて視線をうろうろさせた。
つと手を伸ばし、赤木はまず、左の鎖骨に触れる。
「……動くなよ」
と忠告してから、黒い瓶を手に取ると、正座した膝の上に手をついて鎖骨を浮かせながら、カイジはひどく緊張している様子だった。
赤木が瓶をそっと傾けると、滴った酒の冷たさにカイジが身を竦ませる。
三角形の硬い盃にうっすらと張った酒の膜を、赤木は愛でるように眺めてから、カイジの首許に顔を寄せた。
猫が水を飲むようにして舐め、わざとゆっくり舌を押し付けて味わうと、カイジは敏感に体を戦慄かせ、膚を粟立てた。
「あ、赤木、さ……ん……」
赤木がちらりと目線を上げると、情欲に濡れた表情であえかな吐息を漏らす青年と目が合う。
「おいおい、盃がそんなにカタカタ震えちゃいけねえだろ。せっかくの酒が零れちまう」
嗜めるように鎖骨を甘噛みすれば、あ、と鼻にかかった声を上げ、堪えきれないという風にカイジは身を捩らせる。
その拍子に、つう、と酒がひとしずく、骨張った器から涙のように零れ、平らな胸板へと流れていった。
「ああ、ほら……言わんこっちゃねえ」
赤木はわざとらしくため息をつくと、かたく尖らせた舌で濡れた線を辿っていく。
そして、その先にあるちいさな胸の尖りを口に含み、たっぷりと唾液を絡めて転がすと、急な刺激にカイジは大きく体を震わせ、喘いだ。
「あっ! あっ、は、ぅ……っ」
嬌声を押し殺しながら、赤木の腕から逃れようと藻掻くカイジ。
だが、カイジの体は素直すぎた。
既に快感に溺れ、ぴくぴくと跳ねる体では碌な抵抗などできるはずもなく、涙目で形だけ赤木の胸を押し返すような仕草をしながら、カイジは確実に欲望に流されていく。
その艶めかしい様子にそそられ、赤木はカイジの体をそっと床に横たえると、さらにこの、酔狂な遊びに没頭していくのだった。
体のいろいろなところを盃にして酒を注がれ、呑まれ、掬われ、舐め尽くされると、やがて、酒を口にしていないはずのカイジの頬が赤木より先にうっすら赤く染まり、したたか酔っているような具合になった。
最初の頃の緊張が赤木の手管によって徐々にほどけてゆき、いまや、どうにでもして、とでもいうように、くたりと床に投げ出されたカイジの体からは、色気が零れていた。
臍の窪みに注いだ酒を舐め終えた赤木が、体を起こしてその顔を見ると、頬を艶やかに赤く染めながらも、カイジは怒ったようにそっぽを向いた。
子供のように拗ねてみせる仕草さえ官能的に感じられて、赤木は口端を持ち上げる。
兜合わせするが如く、布越しに兆したモノを押し当てると、カイジは上目遣いにちらりと赤木を見遣った。
「あんたは……盃相手に欲情するんですか?」
黒い瞳を色欲に潤ませておきながら、減らず口を叩くカイジに、
「盃は、口なんざ利かないもんだぜ?」
甘やかにそう言って、赤木は唇を塞いだ。
そんなことをしているうちに、いつの間にか年は明けてしまったようだった。
長々と耽っていたことがようやく一段落つき、水を打ったようになった部屋で、ふたりは遠く、除夜の鐘を聞いた。
吐く息がうっすら白むほど部屋は冷え込んでいるが、ことを終えたばかりのふたりには、膚を撫でる冷気さえむしろ心地よく感ぜられる。
情事の熱冷めやらぬまま、荒くなった息を整えているカイジの、汗で湿って冷たくなった髪を、赤木はやさしく梳いてやる。
赤木の胸にぐったりと頭を凭せかけながら、カイジはうっすらと目を瞑り、ぼそりと呟いた。
「あんた、新年早々……、煩悩にまみれてるじゃねえか」
照れ隠しのつもりか、怒った風な口を聞くカイジに、赤木は朗らかに笑って、その頬に口づける。
「許せよ。お前といると、こうなっちまう……百八つ程度じゃ到底、足りねえんだよ」
すこしの躊躇いもなくそんなことを言ってのける赤木に、カイジはつんとした態度を崩さなかったが、頬にますます朱がさしていくのを、隠せようはずもなかった。
かたくなに伏せられたままのうすい瞼に唇を落とし、赤木は恋人に新年の挨拶をする。
「あけましておめでとう、カイジ。俺が煩悩してるのはお前だけなんだから、悪いが、今年もつき合ってくれよ?」
冗談めかした赤木の言葉に、カイジはゆるゆると瞼を持ち上げて恨めしげな目をしたが、やがて、ちいさな子供みたいに、こくりと頷いてみせた。
終
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