北風と太陽 甘々


「お前は『北風と太陽』の寓話を知らんのか?」

 呆れ顔でため息を一つ零しながら南郷が言った、耳慣れないその言葉にアカギは軽く首を傾げた。
「……なんですか、それ」
 すると、南郷は大げさな仕草で眉間に手を当て、お手上げだ、というように首を横に振ってみせた。
「知らないなら調べるか、誰かに教えてもらえ。今のお前に相応しい教訓が得られるぞ、きっと」
 そう言ってビールを煽る南郷の横顔を見ながら、いやに勿体ぶるなと思いつつアカギもグラスを傾ける。

『つき合っている相手が最近、かたくなに自分のことを避けるようなそぶりを見せる』
 互いの近況をだらだらと話しているうち、恋人の話になって、アカギが漏らしたそんな言葉に対しての南郷が返事が、件の『北風と太陽』だった。
 十代らしいアカギの悩み(?)に、親身になってあれやこれやと質問を交えつつ話を聞いていた南郷だったが、アカギの恋人に接する態度が次第に明らかになるにつれ、徐々にその顔を曇らせていった。
 アカギには南郷の表情の変化が意味するところも、『北風と太陽』という寓話の内容もさっぱりで、そんな遠回しな物言いでなく、もっとストレートに言えばいいのにと非難するような目で南郷を見る。
 その視線に気がついた南郷は、またため息をついて、苦笑いした。
「まったく困った甥っ子だな、お前は」




 しかし結局、南郷は「自分で調べろ」の一点張りで答えを教えてはくれなかった。
 南郷と別れたアカギは、その足で恋人の家を訪ねた。

 古ぼけた扉をノックをし、開いたドアの隙間から、大きな三白眼がじとりと睨みつけてくる。
 アカギは口角を上げ、力尽くでドアを大きく開け放った。
「っ……!!」
 ドアの向こうにいた恋人は、一瞬、怯んだ顔をする。
 恋人のそういう顔が、アカギはたまらなく好きだった。
 さらに笑みを深くして、恋人に声をかける。
「こんばんは、カイジさん」
 カイジはむっつりした顔で、「おう」とだけ答えた。




 居間に通されて床に座ったが、ふたりの間には人ひとりぶんほどの、奇妙な空間があいていた。
 警戒心を丸出しにした野良犬のような瞳で見られ、アカギは内心苦笑する。
 そういう目で見られる理由に心当たりがありすぎるからだった。
 
 夜の行為の際、アカギはカイジをつい、いじめていじめていじめ倒してしまうのだ。
 肉体的、精神的両方の意味で、限度いっぱいまでいってしまうのだ。

 べつにアカギはサディストではない。ただ、虐げられた時に見せるカイジの、瞳が好きなのだ。
 悔しさや怒りや快楽や、いろいろな要素で潤んでしまった負け犬のような黒色の奥に、こちらを射殺そうとするような反抗的な光が一瞬、見え隠れするときがある。
 それは命知らずのギャンブルに死に物狂いで勝とうとするときの、カイジの瞳にほんの少しだけ似ていて、その目を見るとアカギはゾクゾクするのだ。

 つまるところ、アカギはカイジに意地悪するのが好きだった。
 だからつい、カイジが嫌がっても意地悪してしまうのだが、そういうことを繰り返すうち、カイジはすっかりアカギに対して懐かなくなり、睨むような目つきばかりするようになったのだ。


 それでも、
「ほら」
 と、コンビニの袋の中から、手土産に持ってきたビールを卓袱台の上に置くと、カイジはぴくりと反応し、横目でチラリと缶ビールを見てから、そろそろと手を伸ばして素早く自分の方へ引き寄せた。
 アカギがクスリと笑うと、カイジはさすがにバツの悪そうな顔で俯き、プルトップを上げる。

 ちびちびとビールを啜るカイジは、やはりアカギから微妙な距離をとり、目を合わせようとしない。
 そんなカイジに、ついまたちょっかいをかけたくなる気持ちがこみ上げてきて、アカギはカイジの方へ手を伸ばそうとした。

 だが、そこでふと、先の南郷の言葉が頭を過ぎった。
 今にも伸ばされつつある魔の手に気づく様子もなく、カイジはビールを飲んでいる。
 それを見ながら、なんとなく、アカギは聞いてみた。
「カイジさん、『北風と太陽』ってなんだ?」
 するとカイジは顔を上げ、アカギの方を見て眉を寄せる。
「は?」
「寓話らしいんだけど」
 平板なアカギの物言いに、カイジの眉間の皺がさらに深くなった。
「なんだよ、いきなり……っていうか、知らねえのか? お前……」
「うん」
 アカギは素直に頷き、
「知ってたら、教えて欲しいんだけど」
 真面目な顔で言う。

 突然の要求に、カイジはなんだか納得のいかないような顔をしながらも、話し始める。
「北風と太陽が、勝負すんだよ……地上を歩く旅人の着ている上着を、どっちが早く脱がせられるかって。北風は、強く吹きつけて旅人の上着を吹き飛ばそうとするけど、うまくいかないどころか、寒がった旅人が余計に服を着込んじまう。次に、太陽がガンガン地上を照らし始めると、旅人は暑がって、着込んだ服も上着も脱いじまった……だから、勝負は太陽が勝ったって話……」
 聞き取りにくい声で、ぼそぼそとそう説明して、話は終わったとばかりにカイジはまたビールを煽る。
 そんなカイジを見ながら、アカギは「なるほどな」と思った。
 北風と太陽。
 まったくお節介な「叔父さん」だと、南郷の苦笑を思い出しつつアカギは軽く息を吐いた。
 そのため息がやけに大きく響いてしまい、カイジの肩がびく、と揺れる。
 怯えているようにも見えるその姿に、アカギはどうしたものかと考えた挙げ句、とりあえず近づき、手を伸ばした。
 途端、うめき声、とも、悲鳴、ともつかないような小さな声がカイジの喉奥から漏れる。
 反射的に体をすこし、後ろにずらせたカイジは、だがそこで踏み止まり、目を見開いてアカギの方を睨みつけている。
 本当は逃げ出したいに違いない。だけどそれをしないのは、男としての矜持からだろうか。
 アカギは一瞬、伸ばす手をどうするか考える。
 北風と、太陽。
(まぁ……今回は、「叔父さん」の助言通りにしてみるか……)
 正直、今も自分を見つめる気の強い瞳を、潤ませてやりたくてうずうずしているアカギだったが、伸ばした手をできるだけ、そっとカイジに近づけた。
 また、大仰に肩を揺らしたカイジは、近づいてくるアカギの手にぎゅっと目を瞑り、唇を噛んだ。
 まるで殴られる人間のようなその反応を無視して、アカギはカイジの頭に手のひらをぽん、と乗せる。
「……え?」
 そのままわしゃわしゃと、長い髪をかき混ぜるように撫でると、目を開いたカイジがぽかんとした表情を晒す。
 さて、次にどうするべきか。
 カイジの頭を撫でながら、アカギは考えあぐねていた。
 とりあえず警戒心を解くために頭を撫でてみたはいいものの、それからどうすればいいのかがわからない。
 いわゆる普通の恋人同士が取るスキンシップの流れというものを把握できていないアカギは、なにか思いつくまで、とりあえずひたすらカイジの頭を撫で続けていた。
 なんだか難しげな顔で思考に耽りながら自分の頭を撫でるアカギを、呆気にとられたような顔で見つめたあと、カイジは急に不機嫌そうな声で、
「いきなり、なんだよっ……くすぐってえよ、バカ」
 と呟く。
 だが、その表情が歪んでいるのが、アカギにははっきりと見てとれた。
 目を逸らして下唇を噛む、その仕草はさっきまでと変わらないのに、まったくべつの表情みたいにアカギの目には映った。
 紅潮した頬、拗ねたように明後日の方向を見る瞳。
 嬉しくてしょうがない気持ちを、必死で押し殺そうとしているのだ。
 それを悟った瞬間、アカギの意思より先に、体が自然と動き出した。
 躊躇いなく両腕を伸ばし、無防備になっていた目の前の体を抱き締める。
「……っ!」
 腕の中でカイジが体を硬直させたのがわかったが、アカギは構わず抱き竦めた。
 首筋にかかる吐息が熱い。

 しばらくすると、二本の腕がおずおずと背中に回されるのがわかって、アカギはそっと体を離した。
 あからさまに残念そうな顔をするカイジに、アカギは呼びかける。
「カイジさん」
 カイジはアカギの顔をチラリと見て、またさっきみたいに、拗ねた表情をつくってみせた。
「お前、本当になんなんだよ……らしくねえぞ?」
 ぶっきらぼうに言いながらも、その口許は明らかに緩みを隠し切れていない。

 ああ、この人は、本当にオレのことが好きなんだ。
 ひどい意地悪をされて疑心暗鬼に陥っているくせに、こんな風に抱きしめただけで、こんなにも嬉しそうにするなんて。

 ずっとわかっていたはずのその事実を、初めて知ったような気持ちになって、アカギは目を伏せてすこし、笑った。
 反抗的な表情と同じくらい、いやそれ以上に、嬉しそうにしているカイジの顔をもっと見てみたいと思った。
「……なんだよ?」
 自分のことを笑われたと勘違いしたカイジが、むっとして問い掛けてくるのに首を振り、アカギは言った。
「『北風と太陽』だよ」
 カイジはわけがわからない、といったように眉を寄せたが、アカギの口許に刻まれた笑みを見て、
「なんだそれ。わけわかんねぇよ、お前」
 そう言って、頬を緩ませて笑った。
 笑顔を見たのはずいぶんと久しぶりのような気がして、アカギはカイジの額を隠す髪を掻き上げ、唇を寄せる。

 瞼を伏せ、次会ったら南郷さんに礼を言わなきゃな、と思いながら。






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