花束 アカギが子供っぽい



「あら、あなた、……赤木くん、だったかしら?」

 依頼された代打ちを終え、組の屋敷を出ようとする間際、そう声をかけられてアカギは足を止めた。
 正門の前に停められた黒塗りの車から降りてきたのは、アカギも何度か顔を合わせたことのある組長の妻だった。
 黒留め袖姿の彼女は、ゆったりとアカギに近づく。
 細腕に余るほどほど大きな花束を、抱きかかえるようにして持っている。目が覚めるほど色とりどりな花々は、きちんと結い上げられた黒い髪、黒い着物との対比で、ますます鮮やかに際立って見えた。
「うちの人がお世話になったわね。もう、お帰り?」
 アカギが頷くと、そう、と呟いてから、アカギの目線が大きすぎる花束に固定されているのを見て、おどけたように肩を竦めた。
「姪の結婚式でね。花は大好きなんだけど、すこし貰いすぎちゃった。あなたは、……、いらないわよね」
 苦笑してそう言う女に、そうですねと言いかけて、アカギはふと思い直した。
「すこしだけ、分けて貰えますか」
 囁くようにそう告げた声に、女はあからさまに意外そうな顔をしたが、すぐなにかを察したように目許に皺を刻むと、
「包んでくるから、ここで待ってて」
 と言って、門の奥へと消えた。


 数分後、二回りほど小さくなった花束を手に女は戻ってきた。
 はい、と手渡された花束は、それでもアカギの腕にずしりとした重みを感じさせた。
 ごく淡い茶色の包装紙に、丁寧に包まれた花々は、色のバランスがうまく纏められ、花屋で頼む花束と遜色ないほど立派に見えた。
 女房は趣味でフラワーアレンジメントをやっているのだと、昔組長が言っていたのを、アカギはその花束を見て思い出した。
「喜んでもらえるといいわね」
 女はアカギを見上げ、少女のように含み笑いを漏らす。
 根掘り葉掘り詮索はされなかったが、好奇心が悪戯っぽい瞳の底に見え隠れしている。
 アカギはなにも言わず、ただ軽く頭を下げた。
 女に渡すために包ませたのだと思われているに違いなかったが、肯定も否定もしなかった。
 当たらずといえども遠からず、という感じだったからだ。
 またね、と言って踵を返した女の背中がふたたび門の中へと消えるのを見送ってから、アカギも目的地へと歩き出した。

 本当は今日、そこへ赴く予定はなく、どこかで適当に夜明かしするつもりだった。
 だが、女の抱えた花束を見たときに、唐突に、ある人物の顔が頭に浮かんだのだ。花なんかとは無縁の生活を送っているような、その人物。
 いったいどんな顔をして、この花束を受け取るのだろう。さまざまに想像を巡らすが、その人物のどんなリアクションも、きっと自分を満足させるものだろうとアカギは思っている。
 アカギにあるのは、喜ばせたい、ではなく、嫌がらせしたい、という気持ちだった。

 その相手を好きなのは確か。
 でも、だからこそ困らせてやりたいなんて思うのは、小学生の男の子が好きな女の子をいじめて泣かせてしまうのと一緒で、生まれて初めてちゃんとした恋愛をしているアカギらしく、とても不器用で、幼い愛情表現の方法だった。
 当の本人は、そんなことに気がついてはいないが。



 無造作に片手に持った花束からは、微かに甘いような香りが漂う。だが花の種類や名前など知らないアカギには、どの花が香っているのかさっぱりわからなかった。
 ネオンで眩い夜の街を、花を持って歩くアカギは人目を引いた。
 長身に白い髪、それから纏う空気のせいでただでさえ目立つのに、見るからに尋常ではないその男が美しい花束を提げているその様子を、見るなという方が無理だというものだ。
 雑誌から切り抜いたようだとその姿に目を奪われる者もあれば、まるで悪魔が手向けの花を持って歩いているような不吉さを感じて立ち止まる者もあった。

 注がれる数々の視線も、アカギはまったく気にすることなく、ぬるい夜の空気をかき混ぜながら平然と歩いていった。




「はい」
 古ぼけたドアを開くとすぐ、目の前に突き出された花束を見て、家主はぽかんとした。
「……は?」
 半開きの口から間抜けな声が上がるのを聞いて、アカギはなぜだか無性に愉しくなる。
「やるよ。あんたに」
「!?」
 衝撃を受けたような顔で自分を見るカイジの顔を、アカギは表情を変えずに黙って眺めた。
「……へ、へぇ〜! きれいだな……」
 やたら明るい声でそう言って、カイジはそろそろと腕を伸ばし、花束を受け取る。
 精一杯笑顔を作っているが、口許が思い切り引き攣っている。
 おそらく、ズレたプレゼントに本心ではツッコみたいけれど、せっかく自分のために用意してくれたものだし、お世辞でも嬉しそうにしてやらないとアカギに悪い、とか、そんな健気な考えがカイジの頭の中で渦巻いているのだろう。
 カイジの単純な思考などアカギには手に取るようだった。だがカイジのそういうところも、揶揄い甲斐があって面白く感じられるのがアカギには不思議だった。

「代打ちした組で押し付けられたんだ。オレが持ってても仕方ないから」
 複雑そうな顔で花束を眺めるカイジの姿を心ゆくまで楽しんでから、アカギがそうつけ加えると、カイジは二度瞬きしたあと、
「なんだ、そうだったのかよ」
 と呟いて、ホッとしたように息を吐いた。
 安心して緩んだその表情にはしかし、ほんのわずか、爪先ほどの落胆の色も混ざっていて、それを見咎めたアカギの口許も緩む。
 頼んで包んで貰ったものを、『押し付けられた』なんて嘘をついたのは、本当のことを伝えるのが癪だからということもあるが、いちばんの理由はこの表情を見たいがためだったりする。
 自分のためにアカギが用意してくれたものではないとわかって、自分でも気づかないほどわずかに、がっかりする。
 その、カイジの感情の動きが透けて見えるのが、アカギは愉しくてたまらないのだった。


 アカギのひねくれた愛情になど気づくはずもないカイジは、「上がれよ」と声をかけて居間へと引き返した。
 アカギが部屋に上がると、夕食の途中だったのか、卓袱台の上には食べかけのカップ麺が置いてあり、テレビは点けっぱなしになっていた。

 似合わない花束を片手に、カイジは部屋の奥の棚から、花瓶を引っ張り出している。
 やけに慣れているように見える様子に首を傾げつつも、アカギは口を開いた。
「あんた、いかにも花束なんて無縁っぽいよな」
「お前も人のこと言えねぇだろうがっ……!」
 細長い花瓶に薄く降り積もった埃に眉を寄せ、息で吹き飛ばして落とすカイジに、アカギはさらに言う。
「贈られたことないんじゃない? 花なんて」
 軽んじるような口調にむっとしたらしく、カイジはアカギを睨む。
「馬鹿にすんなっ……! 花くらい、……貰ったこと、ある……」
 威勢良く言い返し始めたのに、カイジの口調はだんだんと歯切れが悪くなっていった。
 嫌なことを思い出した、というように歪められた顔が、その言葉が嘘ではないことを物語っていた。
 アカギは意外そうに眉を上げる。
「へえ……女に?」
 カイジは一瞬しんと押し黙ったあと、首を静かに横に振る。
「お……とこ……」
 ちいさな声だった。
 あまり思い出したくない思い出だったらしく、わずかに青ざめた顔で、カイジは花瓶に目を落とす。
 その姿を見て、アカギはものすごく気分を害されたような気になった。
 カイジが他の男からすでに花を貰ったことがあるという事実に対して、なのか、花を贈ったのは過去のことであるのに、今でもカイジにそんな表情をさせるその相手に対して、なのか。あるいは、その両方なのか。
 わからないけれども、とにかくアカギは、先ほどまでの気分が台無しにされたような、正体不明の苛立ちと、つまらない気持ちで胸を覆われたのだった。
「……面白くねぇな」
 募る怒りに任せてぼそりと呟くと、地を這うような声の低さにカイジはびく、と顔を上げ、点けっぱなしのテレビを見て納得したように頷いた。
「え? ああ、この芸人だろ? 最近よく出てるけど、本当、笑えねえよな……」
 そんなズレたことをぶつくさと言うカイジは、さっきまで顔を歪めていたことをすっかり忘れたかのように暢気な様子で、それがまた、アカギの気分を薄暗くさせた。
 面白くねぇ、ともう一度独りごちて、アカギは花束と花瓶ごと、カイジの体をきつく抱き締める。
「うぉっ……!? いきなりなんだよっ……!!」
 戸惑う様子にはお構いなしに、ますます力を込めると、いててて、とカイジが声を上げた。
 カイジはしばらく痛がっていたが、アカギに離す気がないとわかると、体からやわらかく力を抜き、ため息をついた。
「相変わらずわけわかんねぇよ、お前……」
 アカギの突飛な行動を詰るカイジの声は、しかしとても静かだった。
 なにも聞かずに自分の好きにさせてくれているカイジに、アカギの胸に面白くないような気持ちがまた募る。
 だが、それはさっきまでの『面白くない』気持ちとは、まったくべつの感情だった。
 さっきまでの『面白くない』を、やわらかくぬくみのあるもので包まれて、とても居心地が悪い、そういう類の『面白くない』だった。

 深く息を吸うと、この部屋に似つかわしくない花の香りが鼻先を掠める。
 面白くねぇ。
 心の中でもう一度だけ呟いて、アカギは黙ったまま、カイジの首筋に額をつけた。






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