風の強い日・4



 そんなに早足でもないはずなのに、気を抜くと少年の後ろ姿はぐんぐん遠ざかってしまう。
 何度か見失いそうになりながらその背を追いかけていくと、よく見知った通りに出た。

 少年はつかつかと歩いて、たくさん並ぶ建物の中の、ある店の前で立ち止まった。
 わずかに目を見開く。そこは、オレの行きつけのパチンコ屋だった。
 カラフルなのぼり旗が、強風に煽られて強くはためいている。あまりに風が強いので、そのうちの何本かは土台から倒れてしまっていた。
 少年がいっさいオレの方を振り向かないまま、なんのためらいもなく店の中に入っていこうとしたので、オレは慌てて止めた。
「バカ……!! ガキが入っていい場所じゃねえんだよ、そこはっ……!!」
 少年の体と自動ドアの間に割って入るようにして立つと、笑みに細まったふたつの黒い瞳がオレを見上げた。
「ふふ……、大丈夫なんだよ、オレはな……」
 なにが大丈夫なのか、少年の言うことの意味がわからず戸惑っている隙に、少年はオレの隣をするりと通り抜けて自動ドアを潜ってしまった。
「あっ、待てっ……!」
 慌てて少年を追い、店の中に入る。

 薄暗く、絶えず雑多な音が鳴り続けるうるさい店内。
 少年は深海を泳ぐ魚のように、狭い通路を悠々と歩いていく。
「おい、こらっ……!」
 声を張り上げるが、周りの音が邪魔をして、その声は自分の耳にさえほとんど届かない。
 再度、呼び掛けようとして、ギクリとした。
 通路の向こう側から、若い男性店員がオレたちの方に向かって歩いてきたからだ。

 とっさに考える。少年とオレの間にはすこし距離がある。少年とオレが知り合いであることがバレたら、未成年を連れ込んだということでこのパチンコ屋には出入り禁止にされてしまうかもしれない。
 だったら、このまま他人のふりを貫き通せば……
 だが、そんな考えが頭をよぎった途端、今まで気にならなかった少年の肩の細さだとか、まだ発達途上のちいさな背中だとかが急に目につきだす。

 店員に見つかったら、少年はすぐさま事務室なんかに連行されて事情を聞かれることだろう。
 たったの、ひとりきりで。
 それは当然、自業自得だといえるけれど……

(……っくそっ……!!)
 心中で毒づいて、オレは店員がこちらに気付くより早く少年に近づいた。
 自分でも呆れるほどお人好しなオレの心は、さっき初めて会ったばかりの生意気そうなガキでさえ放っておけないらしい。
 店員はもうすぐそばまで来ている。今さら逃げ隠れなどできはしない。
 ありとあらゆる言い訳を考えたが、たぶん聞き入れられはしないだろう。オレは覚悟を決める。
 店員は当然、オレを少年の保護者だと思うだろう。そしたら素直に謝って、さっさと店を出よう。誠意を見せれば、出禁は免れるかもしれないーー


 決死の覚悟でいるオレに、当の本人は不思議そうな視線を投げかけている。
 その暢気さに若干の苛立ちを覚え、口を開きかけた瞬間、
「お客様」
 若い男の声に、心臓が竦んだ。
 オレはすぐさま店員に向き直り、しどろもどろに言い訳のようなことを始める。
「え、えっと、こいつは……その……すっ、すんませんっ……!!」
 勢いよく頭を下げ、びくつきながら男の声を待っていると、
「あの……、失礼ですが、ここ、通していただいてもよろしいでしょうか?」
困ったような声でそう言われた。
「え……?」
 弾かれたように顔を上げると、店員は貼り付けたような苦い笑顔でオレの方を見ていた。
 隣にいる少年のことが、まったく見えていないかのように、その視線はオレだけに注がれている。
「あ、す、すんません……っ」
 混乱しつつも通路の端に寄ると、「失礼いたします」と丁寧に声をかけて、店員は早足でオレたちの横を通り抜けていった。
「な? 大丈夫なんだよ、オレは……」
 ひっそりと笑う少年の顔を見る。
 店員の後ろ姿を見送るその顔が、すこしだけ悪戯っぽく見える。それは、少年が初めて見せる年相応の表情だった。
「お前……何者なんだよ……?」
 店員が少年の存在に気づきもしなかったということに薄気味悪さを感じて、オレはすこしだけあとじさる。
「そんなことよりさ。この台で打ってみなよ」
 少年はオレの質問など無視して、ちょうどオレたちの隣にある台を顎でしゃくってみせた。
 つられてその台を見る。最近オレがよく打つ、ヒット映画のパチンコ台だ。
「ぜったいに、出るからさ」
 少年の予言に、オレは呆れる。
「ぜったいって……、なんでお前にそんなことが言えんだよ……?」
「いいから……。騙されたと思って」
 嫌に決まってんだろ騙されるのなんて、と言い返そうとするも、少年はさっさと件の台の隣に座ってしまい、早くしろという目線を送ってくる。
 今までの少年の態度を鑑みると、梃子でも動かなさそうだ。無理に連れ出そうとして、騒がれるのも面倒くさい。
「打つっていっても……手持ちは千円しかねえぞ?」
「いい。それだけあれば、十分だ」
 その自信はいったいどこからくるんだよ、と問い質したい気持ちになりながらも、オレは仕方なく財布を取り出しつつ、その台に座った。





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