踊る阿呆



 いらっしゃいませー……、と愛想よく笑った茶色い巻き髪の店員の、赤い唇が露骨に引きつっていくのをモロに見てしまったカイジは、いたたまれない思いでスッと目線を逸らした。
 さっさと済ませてくれ、とひたすら祈りながら、自分が差し出した商品のバーコードをひとつひとつ読み取る音を、もどかしい思いで聞く。


 全体的にファンシーなピンク色で彩られた狭い店内には、若い女の子たちがわらわらとひしめき合っている。
 みんな、自分のことに精一杯で、周りのことなど眼中にないように見える。
 だが、この空間にぽつんと男ただひとり、明らかに浮いているカイジは、自分がこの場にいる全員から奇異の目で見られている気がして仕方がなかった。

 店の中心、ど真ん中にある売り場の一角から、カイジが値段も見ずに素早く引っつかみ、速やかにレジへと突き出した商品は三つ。
 普通に流れれば、会計など二、三分で終わる筈だった。

 が、しかし。

『ピーー!!』とけたたましい音がレジから鳴り響き、カイジはびくっと顔を上げる。
「あれ? おっかしいな……」
 店員が首を傾げながら、慣れない手つきでレジを操作して、音が止んでから改めてスキャナーをバーコードに近づける。
 だが、またしても『ピーー!!』というエラー音が鳴り、店員はさっきと逆の方へかくんと首を傾げた。
 その暢気な様子にカイジは額に青筋が立つほど苛立ったが、店員はそんなカイジの様子を知ってか知らずか、それからも二度、三度と同じことをモタモタと繰り返しては、レジに弾かれて細い眉を寄せている。

 そのうち、カイジの後ろに列がつきだした。ちいさな店なので、レジは一台しかないのだ。
 カイジは顔が真っ赤になっていくのを感じた。
 死んでも、後ろを振り返りたくない。ただでさえ、丸めた背中にグサグサと視線が刺さる視線が痛いのに、そんなものを真正面から食らった日には、確実に精神が崩壊してしまう。
 全身をどっと嫌な汗が伝い、視野狭窄、呼吸も怪しくなってくる。

 なんでもいいからとっとしてくれ、そんだけやってダメなら手打ちでやれよ手打ちでっ……!! そんくらい臨機応変にやってくれよ頼むからっ……!!

 ……などと、心中で懇願とも文句ともつかないことをグダグダ言いながら、カイジはほとんど睨みつけるようにして、店員の動向を見守る。
 やがて、どうやってもバーコードを読み取れないとわかると、ようやく諦めがついたのか、店員は「せんぱーい。ちょっと……」とヘルプを呼んだ。

 ようやく解放される、とカイジが安堵の息をついたのもつかの間、
「あのー、すんません、これ読み取れないんですけど……」
「え、そうなの……? ちょっと待ってて……」
 どうやら、呼び出された『先輩』も、キャリアとしてはレジの娘と大差ないらしい。
「売り場から同じ商品取ってくるから……えっと、『自分でつくれる! かんたんハートのガトーショコラキット』……ね!」
 高らかに商品名を読み上げるなっ……!!
 羞恥に悶絶しながら、カイジは接客マナーのなってない店員を罵る。もちろん、心の中で。
 もうしわけございませぇん、とやる気があるのかないのかわからない謝り方をして、『先輩』が戻ってくるのをぼさっと突っ立って待っている茶髪の店員に、殺意すら湧いてくる。
 背後から突き刺さる視線の痛みに、いい加減堪えられそうにない。

(ここは地獄かっ……!!)

 暑くもないのに汗びっしょりになりながら、カイジはちいさく縮こまって、ひたすらそこに立ちつづけるしかなかった。


「大変お待たせいたしました! ありがとうございました〜!!」
 すったもんだの挙げ句、結局、コード手打ち入力での会計が終了する頃には、カイジの後ろに六人もの列がついていた。
 大小さまざまなハートマークが、これでもかというほどプリントされているかわいらしい紙袋を引っつかみ、カイジは後ろに目もくれず、逃げるようにしてそそくさとその場をあとにした。




 土曜日のデパートは、人でごった返している。
 チョコレート売り場からすこし離れたところで、柱に凭れて立っている白髪の男が、店から出てきたカイジを見つけ、その表情をやわらかく解いた。
「大丈夫か? 顔色が悪いぜ?」
 よたよたと歩き、目の前で立ち止まったカイジの顔を覗き込んで、男は心配そうに声をかける。
 白々しい口振りに、カイジは涙目でキリキリと男を睨みつけた。
「誰のせいだと思って……っ!!」
「ん……? おいおい待てよ、まるで俺が悪いみてぇな言い方じゃねえか」
「『まるで』じゃねえっ……! 赤木さんがっ……! 悪いんですよっ……!!」
 カイジに怒鳴られ、赤木はキョトンと瞬きなんかしていたが、眉を上げてやれやれとため息をつく。
「元はといえば、お前が負けちまったのが悪いんだろうが……それを棚上げして俺だけを責めるのは、ちょっと筋違いなんじゃねえのか? ん?」
「ぐっ……それは、そうですけどっ……」
 痛いところを突かれ、カイジは言葉に詰まる。
 それでも、先ほどの店での出来事がよほど堪えたのか、
「でも……だからって、いくらなんでもこれはねえよっ……!!」
 手に提げたハートがいっぱいの紙袋に目を落とし、カイジはぐちぐちと零した。

 
 先日、酔った勢いで挑んでしまった、赤木との簡単なギャンブル。
 当然の如く、カイジはストレートで敗北を喫し、こてんぱんに熨されたわけだが、その罰ゲームとして、バレンタイン前日の今日、カイジはバレンタインチョコの手作りキット(ハート型は赤木からの注文)と製菓用のブロックチョコ、それにラッピング用の箱まで買わされる羽目になったのだった。

『スイーツ男子』なる言葉さえ世の中に浸透しつつある昨今、男がバレンタインに自分用のチョコを購入していたとしても、さほど周囲の注目を浴びたりはしないだろう。
 しかし、きちんと包装された売り物のチョコならまだしも、手作りキットとなると、周りの見る目も多少、変わってくる。
 茶髪の女店員が最初にみせた、引き攣った表情。
 あれこそが、チョコレートショップにいたすべての女性の総意なのだという気がして、先ほどの出来事を思い出すだにカイジは羞恥を通り越し、ゾッとして震えが止まらなくなるのだ。


「だいたい、なんで手作りチョコなんだよっ……! オレ、菓子とか作ったことねぇしっ……!! そもそも、あんた甘いもんなんてあんまり食わねえだろっ……!!」
 半ベソのような情けない顔のカイジに詰られ、赤木は朗らかに目を細めた。
「たったの一年に一度、オレのためだけに恥を忍んでああいう店で買い物して、慣れない菓子作りに四苦八苦する……そういうお前の『心』こそが、俺にとっちゃ最高に旨ぇんだ。わかるか? カイジ……」
「わかりません」
「まだまだ青いなぁ、お前さんも」
 冷たく即答されても、赤木はまったく気にしていないようにカラリと笑う。
 その様子に理不尽な苛立ちを感じながら、カイジは呆れ混じりに大仰なため息をついた。
「『神域の男』がこんな、菓子業界の戦略に踊らされてるなんて知ったら、みんな嘆き悲しみますよ」
 自分こそ赤木の掌の上で踊らされまくっているのだという事実は棚の上に放り投げ、カイジは赤木をチクリと刺す。
 すると、赤木はしんから愉しそうな笑顔で、無邪気に言った。

「同じ阿呆なら踊らにゃ損々、だろ? バレンタインってのがこんなに面白えものだなんて、この歳になるまで知らなかったぜ」

 長生きもしてみるもんだなぁ、などとしみじみ漏らす赤木を横目で睨み、つき合ってられるかとカイジは床を蹴って歩き出す。
 すぐに追いついてその隣に並んだ赤木は、自分よりすこしだけ背の高い年下の恋人の、ムスッとした横顔を見て、甘く低い声で囁きかけた。

「うちに帰ったらさっそく、作ってくれよ」
「毒入れてやろうかな、毒……」
「来年もよろしくな、カイジ」
「二度としませんっ……!」






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